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いまさらながら〈アニメ視聴履歴 天元突破グレンラガン〉
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いまさらながら〈アニメ視聴履歴 天元突破グレンラガン〉

2019-02-13 14:25
    先週中頃から熱によってぶっ倒れてしまい、週末の休日をほぼまるっと一日40℃近くを放熱しながら寝て過ごすという愚挙。市販の総合感冒薬で熱が下がらないということは後は分かるな?ということで。

    今年に入ってからまぁまぁなペースでアニメを観るようになっている。先立つ金もないものだから、出かけて出費する位ならという単純な理由なのだけど。
    その感想を書いていくのが以前織田信奈の野望の時に使ったこのタイトル。
    ちなみにリアルタイムでニコニコチャンネルで追いかけるようなことではなく、ニコニコのdストアで配信されている過去の作品を、ジャンルをあまり問わず思いついた端から貪り観ていこうと思った次第。なので今更ネタバレというのも何もないだろうという備忘録だから、今からちゃんと観たいという人は回れ右。大したことも書かないけれど。
    そのトップバッターが『天元突破グレンラガン』。

    思い付きの理由は

    ロボットの大きさ比較 174作品を並べてみた【ミクロマン~グレンラガン】
    https://www.nicovideo.jp/watch/sm20365493

    という動画を観たことから。これはまぁ大分前に観ていた動画ではあるのだけれど、ふと何かの拍子でまた観たくなって。そしてグレンラガンのその突拍子もないというか、小学生のノリのような大きさにちょっと心惹かれたもので、そこにたまたまdストアで観れることが分かったので観ることにした。

    視聴感想を一言で言えば

    ヨーコが不憫
    んだな。一話から颯爽と登場して、堂々センターでヒロイン張ってたと思ったら、カミナの兄貴の死周りでやれデスキッスだの言われ、ニアが出てきてからというものの正ヒロインの座をもっていかれる、挙句の果てにはキタンの最期の出撃にまたデスキッスと言われるような始末。ほとんど死神扱い。そりゃこんなことがあればラスト前シモンとニアの結婚式にだってスーツで参加しますよ。案の定20年後はおそらく独身のまま島の校長先生ときたもんだ。やけにアゴのラインがごっつくなってたりして。
    これだけでもう泣ける。

    ここまで哀しい別れを二度もしなければいけないヒロインがいただろうか。



    ドリルと人間の進化、というテーマでここまでのものをよくも書ききったというべきか。
    物語は主人公の成長を描いていくのが王道と、その過程の中で出会いと別れ、感情の機微、立ち塞がる困難とその打開。そこからのどんでん返し、生還、そして物語は帰結する。この流れを至極真っ当に、順当に描いていた。ただ穴を掘るだけに特化した持たざる者のシモンが、ガンメン(ラガン)に出会い、グレンラガンとなり、立ちはだかる敵に向かっていく。その中でカミナという存在が大きく、最後までその大きさがシモンを初めとする登場人物に大きく関与していたことが否めない。ただの兄貴分であったならば、ラガンを自分のものにしてしまったかもしれない、それをシモンにお前のものだと託す。お前の信じる俺を、俺の信じるお前を、そしてお前の信じるお前を信じろ、この言葉の力がドリルの一点突破の力となって様々な困難を突き破っていくジュブナイルサーガの核となっている。ただ8話で退場は早すぎると思うんだ、兄貴……。

    それと前半における世界のあらまし、地底に住むことを余儀なくされた人類と、螺旋王率いる獣人との関係。これの本質がアンチスパイラルとの関係に結びついた時の世界の広がり、想定していたラスボスが実は信念に基づく行為からその立場にいたという事実。こういう視点の切り替わりは非常に好き。カタチを変え、立場を変えロージェノムが仲間となって共闘する様は少年アニメのワクワクする要素のひとつで、お義父様のダイナミック結婚祝いの瞬間は目頭が熱くなってしまった。共闘、いい響きだ。

    サイドの登場人物達も光っていたよね。その多くが最終決戦で死にゆく者として輝いていたのだけど。特に個人的にマッケンのシーンはレイテのことと重なってちょっと涙の量が増えたわ。キタンの特攻はむせるほど泣いた。あの曲は本当に秀逸。そしてコメントで事あるごとに色んな王にされてたヴィラル。彼ほど人間らしく泥臭さを感じたキャラも久しい。ただの敵役としてではなく、語り部として物語に寄り添って全うした彼をすごく愛おしいと感じてしまった。


    アンスパさんの言い分って正しいのよ。進化の先にあるのは自滅であって、過ぎたるは猶及ばざるが如し、なのよ。それでも人はよりよく生きるためにその歩みを止めない。一度手にした利便性を当たり前とした時に、人は手放そうとはしない。
    カミナの像を倒した時の民衆の暴動が最たる部分で、それまで英雄と称えていたはずが、アンスパさんの登場でコロッと手のひらを返す。それまでは散々地底に住むことを余儀なくされていたはずが、地上の暮らしになって7年であの変貌ぶり。その生活が当たり前になっていたからこそ、その生活ができるキッカケになったシモン達へ平気で八つ当たりをする。
    民衆の愚鈍さをこれでもかと見せつけたシーンではあったけれど、これこそが今の人類の限界であって、誰が責められようもない真実であったりする。
    だからこそシモンはその螺旋力を悪用されないように孤独を選んだ最後であり、その力の本質を知るロシウやリーロンが主となって統治に務めなければならなかったわけで。
    こう書くと劇場版のシモンのアンスパさんへの台詞と噛み合わなくなるなぁ、とは思うけれど、そういうことなのだろう。少なくとも最終決戦に挑んだ者達の心の中では。
    人類が過ぎたる力を持ち得た時に、どう扱えばいいのか、どうあるべきなのか。そういったテーマがここにあると思う。今現在の世界を見ればどう核と向き合うべきなのか、と置き換えられるか。

    劇場版はチラッと動画で上がっているもので最終決戦だけ観たけど、ラストの一連は劇場版のほうがいいなぁ。確かにラガンインパクトで決着のTV版の方がカタルシスとしては高いけれど、何というかお義父様の芝居の熱さとか、ギガード→リ↑ルゥ↓ブレイクー!同士のぶつかり合いから宇宙全破壊→再構築の際の空色デイズの使い方とか、マトリョーシカアタックからのアンスパさんとの殴り合い・宇宙の泥臭さとか、おぢさん的にはこちらの方が好き。多分尺の問題で端折られている箇所多いだろうから、作中はTV版でじっくり観た方が良いのだろうけれど。
    特に結婚式からのエンディングへの流れが、ということなのでDVD買うしかないだろうなぁ。


    小学生がよくやる「地球全体バーリア」とか、大きな桁に無量大数とかもってきちゃうアレを、大人がバカ真面目にそれやっちゃうとそれ以上のモノ作っちゃうんだなー、という感慨深さ。これを2クールで作り切ってしまう中島かずきの脚本力。この展開の早さをどこぞの劇団主宰は見習ってほ……ゲウンゲウン……素敵よね。
    これが後にキルラキルに繋がっていくのかと、先にキルラキルをリアタイで観ていた者としては納得したわけで。

    でもやっぱりなー。ハッピーエンドが好物なおぢさんとしては、物語の必然性としてニアが消えるのはもはや仕方がないことだとしても、この作品の根幹に携わった登場人物、とりわけ最初の三人が幸せに見えない終わり方をしていることに一抹のもんにょり感を抱いてしまう。
    カミナは死んでるし、シモンは今のおいらと同い年であの老け方はねーだろだし、ヨーコは言わずもがな。螺旋力って老化も促進しちまうのか、と。ロシウもごつくなってるしなぁ。あ、でもリーロンだけ変わってないのはなんでだよ、と。
    それでも一話の最初の台詞と最終最後の台詞。天の光は~の変化に、人が人としてあって欲しい姿が顕されていたのがせめてもの救いか。人類の進化をテーマとするならば、ここが落としどころであり、各登場人物の気質を鑑みればこういう物語の閉じ方もまた必然なのだろう。
    人類に前へ進む希望と幸あれ。

    そこまでロボットアニメを観てきているわけではないけれど、カタルシスと物語の疾走感、テーマに基づく帰結、熱血根性と恋愛感情、どれをとっても最高の作品だと思う。観終わってなお続く余韻はその少しのもんにょり感も伴って今も残り続けている。この余韻というものが作品を評価する上での大きな要素だと。

    そのもんにょり感のはけ口を求めて次の作品に臨むわけだが、さてさて。

    本日はここまで。



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