• コンテンツの衰亡と淫夢

    2019-05-26 19:41
    今回話したいなと思ったのが“オワコン”のことです。
    色々考えていくと、表面的な問題だけじゃなくて、そもそもの発信や創作といったものに共通する“シュガーコート(糖衣)”の問題があるんじゃないかなと思いました。

    順を追って考えていきます。


    オワコンの原因
    そもそも“オワコン”とは一口に言うけれど、その理由は「飽き」とか「商業路線」とか、いまいち自分の中で腑に落とし込めない原因ばかりでした。
    よく言われるのが...
    ・過度な商業路線
    ・技術(と知識)の格差による新規参入減少
    ・飽きが来た=一過性のブームに過ぎなかった
    ・他のコンテンツに流れた
    ・共有する楽しみが減った

    などですね。

    結論としてはそれらは「間違ってはいない」と思います。ですが、ある程度の共通する原因があるはずなのに個々の問題で決着するには惜しいとも思います。


    逆にオワコンじゃないものは?
    原因を特定するもっとも簡単な方法は、正しく動作しているものと正しく動作していないものを比べて違いを見つけることです。

    オワコンの「なぜ」に答えるために、オワコンの逆を考えてみます。
    つまり、今でも続いているコンテンツです。10年20年ではなく、何百年単位でです。あまりコンテンツとは普段呼ばないようなもの、伝説とか童話とか古典とかその類です。

    主観はよくありませんが、「桃太郎」とかを知らない人はほとんどいないんじゃないかと思います。なんで続いてきたのか、甚だ豊富なコンテンツで育った現代人からしてみれば不思議そのものですよね。

    そこに視点を当てて浮かび上がったのは、“物語”の性質でした。


    物語の基本的な性質
    物語はその名の通り、物を語るコトですよね。言葉の詳細は割愛します。

    さっき挙げた「桃太郎」なんかは童話かと軽く扱われますが、その内容は示唆に富んでいます。そもそも、川から巨大な桃が流れてきたら取ろうとしないだろ! いい加減にしろ! とかホモは突っ込みそうですよね。

    それらに共通するのは、伝えたいこととシュガーコート(糖衣)の存在です。
    伝えたいこと、とは文字通り「出来事」そのものを指しもしますし、これから起こるかもしれない「予言」かもしれないし、生きる意味や教訓、正しいとされることかもしれません。

    シュガーコート(糖衣)とは、甘いもので包むことで受け入れやすくする、ってイメージです。分かりやすく例えてみると...

    子供は苦いものが嫌いです。ですが、病気のときはお薬を処方しなければ悪化しますし、一般的に苦い食べものは栄養素が豊富です。
    なので、それらをお菓子で包んだらどうでしょう?
    (食べ合わせの問題があるのでマネはやめようね!)

    こうなります。でもそれがどう伝えたいことと物語と、果ては“オワコン”に繋がるんだよ! とせっかちなホモは思うかもしれません。

    まとめると、物語は“伝えたいこと”だけでは後世に残らないから面白おかし(お菓子)くしてるんだよ! ってことです。



    ...ん? ちょっと待って! 現代のコンテンツだって昔より面白おかしくなってるじゃん! だからコンテンツはそうそう終わらないはずだよね?

    そう思うかもしれませんが(自分も最初はそうでした)、これには落とし穴があります。


    現代コンテンツの落とし穴
    それでは、面白いはずなのにオワコン化してしまう現代コンテンツと、今も続くコンテンツの違いとは何なんでしょう?

    それは、伝えたいこととシュガーコート(糖衣)の“割合”の関係だと考えます。


    作品中に裂ける表現を達成させる要素には限界があります。これをわきまえないと、何が何だか分からない滅茶苦茶なものになってしまうのです。

    情報量の過多は、矛盾を引き起こします。野獣先輩は男で女でホモで妻がいて彼氏がいて実母が2人いて人間の兄弟がいて二次キャラの姉妹がいて田所で鈴木で......とかです。

    なので、自然と伝えたいこととシュガーコート(糖衣)の割合は生じます。


    そして問題なのが、現代コンテンツは非常にシュガーコート(糖衣)の割合が高いということでしょう。更に酷に言えば伝えたいことが形骸化しているのです。

    シュガーコート(糖衣)は、受け入れやすくするとてもいいやつですが、割合が高すぎると悪さをし始めます。それは俗に言う「キャッチー」なもののことです。有名な人を出演させるのも、より性的なものになるのも、過激な内容をやるのも、呼び込みには非常に有効です。

    ですが、こういった要素が増えれば増えるほど肝心の伝えたいことに裂く表現も時間も減っていくのです。

    まさに、“子供の苦手を克服させるための甘い糖衣(手段)が、健康を害するただの砂糖の塊(目的)”になってしまったんですね。虫歯が増えます

    しかもこれの恐ろしいことは、段々と飽きが早まりますし中毒度が高いということです。
    子供だって同じフレーバーのお菓子は食べ続けません。際限なくゾンビのように求め続け、イナゴのように食い尽くします。

    ......なんとなく“オワコン”に共通する原因が分かってきたのではないでしょうか。



    KEN、どうにかしろ
    実はこういったことは外国の映画でも苦戦する問題なので、あまり創作する人は気にかけなくてもいいのかもしれません。
    自分のひねりだしたものもまだまだなので...。

    もし解決するとしたら、割合をバランスよく調整することでしょう。

    伝えたいこと8割シュガーコート2割が妥当ではないでしょうか。
    (ターゲットの年齢層によっては変動するかもしれません)


    伝えたいことだけが重要ってわけでもありません。伝えたいこと10割なら、それはもう「論文」や「報告書」、「実験映像」と何ら変わらないと思います。その道の人しか観ません。




    淫夢はなかなか終わらない?!
    淫夢とも絡めて、さっきまで進めた“オワコン”の視点から考察してみたいと思います。

    大手のメディアと一次創作者たちが大きな権力を握ってから今の時代に至るまで、めざましい変動がありました。淫夢というウンコンテンツがぶっちっぱされて、シュガーコートの問題を浮き彫りにさせたとも考えます。

    既存のメディアで“ホモ”をネタにするなんてできないし、それこそ際どいネタも駄目でした。
    (ハードゲイとか出てた時代もあったけど)

    綺麗ごと抜きで考えなきゃいけない問題も、正しさを問うことも、ほとんどが規制やら自粛やらで取り沙汰されなくなりました。笑いにも中身がありません。

    そこには、キレイな部分だけ見ていればいいんだというシュガーコートと、それに矛盾するように恐怖を煽る過激な事件事故のシュガーコートがあります。
    本当に“伝えたいこと”から逃げていたんだと思います。


    淫夢の良いところは、まさに(直球)でしょう。
    ホモビ男優というシュガーコートが、偶然にも伝えたいことを包み隠さず表現できる割合に落ち着いたのです。これはなかなか起こらないことです。

    特定のアニメ界隈で社会問題を取り上げますか? 政治について話せますか? オカルトチックな話題はできますか? その他そのアニメとは関係ない分野の話題はできる? 歴史は哲学は倫理はスカトロは?

    意外にも、そういう「空気」ではありません。もちろん特定のアニメ界隈だけにも限りません。ひどい場合は、思考すら停止してしまう界隈もあります。

    こういう話題すら出せない場を支配する「空気」は、社会にもあります。
    淫夢は、○○淫夢とかで非常に手広く話題を取り扱います。ク☆の人も神社アレンジで様々な音楽に触れたことでしょう。

    つまり、淫夢の強みは伝えたいことを伝えられる、というとても基本的なことだったんです。


    そしてこの記事を書いた自分も、淫夢というシュガーコートをまんまと利用していたのです。



    以下、おまけです。


    シュガーコートの割合が高いのに伝えたいことが伝わる稀な映画

    アドレナリン
    止まれば、死ぬ。

    自らの命が危機に陥った時に公共性を尊守すべきか? とかいう根源的な問題も考えられます。絶望的な状況でそのまま虚無主義に陥り死ぬべきなのか、足掻きまくってポットのミルクをチーズにして脱出してみせるのか、なんかもです。
    (自分の命の危機だからといって他人の命を奪っていいということでもありません。難しい問題です)

    自分は虚無主義に陥っても何も始まらないと思うので、ひたすら考え抜くことはいいことだと思います。

    風刺も山ほどありますし、BB劇場並みのめちゃくちゃ加減です。主人公が清々しいまでのクズなのも野獣と重なります。YMJ兄貴の熱演が聞けるので吹き替えオススメします。


    クッキー☆ほんへ

    クッキー☆ほんへは、伝えたいこと9.5割でシュガーコート0.5割だからちょっと苦行に感じるんだと思います。
    改善するなら、早口おばさんパートの戦闘シーンをもっと動きのあるものにして、全体のテンポを速くする(=伝えたいことを少し削る)といいかもしれません。

    テンポも実は、シュガーコート(糖衣)の要素です。


    創作の3要素

    ・自己表現 →意思疎通の始まり
    (伝えたいことを伝える。危機を知らせる。自分が何者であるかの問い。)

    ・記憶・保存 →永遠性との闘い
    (ある程度の記憶と形が残らなければ、認識すらされないし伝えられない。しかも1人の人間の記憶と寿命には限界がある。教訓や知識が途絶えれば種の危機になる。)

    ・共有 →分解、再解釈、再構築
    (作ったものを1人で完結させても遺るかもしれないが、確率は低い。しかも発展性がない。分解、再解釈、再構築のシステムで発展させ且つ遺していく。)

    3つの要素は相互作用しており、深いつながりがあります。

    例:打った文字が瞬間で消えたらメールなんかできません。伝えることには最低限の記憶が必要です。

    創作や同人活動で、“共有”の要素で大成功を収めたのがZUNだと言えるでしょう。幼少期はゲームに触れ、ゲームを作ることで自分が何者であるかの問いに答え(自己表現)、ゲームはデジタル情報として流通し(記憶・保存)、それを二次創作によって発展させる(共有)、教科書みたいな例ですね。
    皮肉にもこれのせいで淫夢とクッキー☆の失楽園が生まれたわけですが(^^;;





                                      おしり
  • 広告