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  • La oscuridad de Columbia      〜事件簿 F  恐喝屋の顛末〜

    2019-08-24 13:11
    209pt
    誘拐事件 1

    当時住んでいたこじんまりとした高級アパートには警備のガードマンが総勢5、6人
    勤務していた。常時二人体制で昼、夜と土日のカバーで最小限の人数である。
    それぐらいが住人との信頼関係も築かれ心地よい。それ以上になると彼らの存在自体
    が警戒対象となる。中には窃盗など悪いことをしでかす輩が出てくるからだ。
    離婚したばかりの私は長女と二人で最上階のペントハウスにすんでいた。
    友人のアパレルメーカーのジョナサンから安く買ったものだった。屋上には大型の
    ジャクジがついていた。湯につかり日本から来ているエメラルドバイヤーのお客さん
    と一緒にコロンビアの地酒アグアルデイエンテを飲んだものであった。
    毎朝2、3人の用心棒がこのアパートヘ私を迎えに来て、夜にはまた送って来るのが
    私の行動パターンであった。
    異変が起きたのは引っ越してきてから半年もしない頃だった。
    オフイスから帰宅しアパートへ帰り着くと門番ガードマンのオーランドが一通の封書
    を私に手渡した。三十代の大柄なスペイン系白人だ。いつもニコニコとして仕事ぶり
    が真面目な男であった。
    見知らぬ二十代のモレノ(混血の色黒)男が持ってきてセニョール・ハヤタに渡して
    くれと言ったそうだ。
    開封し中の手紙をよんだ私は
    ”フン!”
    と舌打ちをして、持ってきた男の様子を再度オーランドに確かめた。
    ”セニョール・ハヤタあなたの娘を誘拐する計画(plan de secuestro)だ。別のプロ
    ジェクト(otro proyecto)で忙しいので、特に酌量してやり事前の支払いで一千万ペ
    ソ(当時の交換レイトで約三百万円、現在では七、八百万円という感じか)にまけて
    やる。一週間以内に用意しろ。受け渡し場所を追って連絡する。警察などに連絡し騒
    いだ日には娘の命はないと思え。”
    と、いうのが手紙の内容であった。
    字体は角張った、タイプライターに似せた書体で手書きであった。金がなくてタイプ
    ライターを持ってないのか、使いこなせないのか、はたまた後日証拠物件であげられ
    ぬように用心しているのか。
    それにしてもそれぐらいの金額に一週間の猶予をつけたのが解せない。後でわかった
    がこちらが無視すると思ってその間に策をめぐらしていたのだ。
    それから3日目の夜帰宅すると自宅に泥棒が入った形跡が発見された。盗まれたもの
    は私のカメラにゴールドチェーン(今は、はやらないが金の首飾り)だけであった。
    いくら金目の小物だけとはいえ他にも陶磁器など金目のものはあった。まーかさばる
    から躊躇したとも言えるが、ほかのアパート住人の仕業とはおもえない。外からの泥
    棒訪問の線も難しい。そのための厳しいガードマンのチェック、高級アパート故の高
    い塀作りに頑丈なアパートドア鍵、それに住民は皆事業主や医者や弁護士などのセレ
    ブだ。コロンビアの中流、安アパートでは泥棒が住人となって住み込み窃盗しまくる
    事が多々ある。
    まずガードマンの仕業と判断して管理事務所に訴えた。それを請け負っている経営事
    務所の女主は
    ”しかるべき調査をして後日ご報告します”
    とありきたりの申しひらきをした。
    私が
    ”何の調査をするの?やったのは門番と決まってるじゃないか、かれらの派遣会社に
    文句を言っても奴らの履歴書からなにもボロは出てこないよ。ラチがあかないという
    ことだよ、さっさと門番全員いれかえることだね”
    というと。
    ”入れ替えは何とかできると思いますが、ここにいる彼らは全員職を失うことになる
    でしょう。可哀そうに、家族があるのに”
    と余計な心配をする。
    一番臭いのはこの善良そうな振る舞いのオーランドだ。と、言ってしょっ引いてぶっ
    飛ばして吐かせようというのもまだ早すぎである。確固たる証拠がない。たかが恐喝
    野郎とタカをくくっていたが、その翌日に驚異的な事が起こった。
    娘の護衛で学校へ送り迎えをしていたアントニオから午後の迎えの途中で緊急の連絡
    が入った。娘のカタリーナが通う高校への迎えの途中、住宅街を離れ郊外に入ったと
    ころの並木通りで車が襲われた、というのだ。近くの公衆電話から私のオフイスに連
    絡が入り、オフイスから警察に通報してオートバイの警察官が現場へ向かったが、賊
    はすでに逃亡したあとで単なる事件報告になっただけだ。
    アントニオが言うには、道端の木陰からいきなり四人の男が車の斜め前に銃をかざし
    て飛び出して腕を上下させ、
    ”止まれ!”
    との合図をした。てっきり車泥棒と思い、そのまま賊を跳ね飛ばして逃げようとアク
    セルをふかして突進した。銃弾がド、ドーンと発射され前面のウィンドシールド(窓
    ガラス)の上方と下方に丸く穴を空け弾が車内に飛び込んだ。が、幸いアントニオの
    顔面や手には当たらなかった。それでも弾丸がすぐ耳脇をヒューッと音を立てて通過
    したのを感じたと言った。賊のうち二人が拳銃をアントニオの顔にめがけて構えてい
    たということだった。車は娘の16歳の誕生日プレゼントに買った日産セントラの新
    車であった。
    夕方私が帰宅すると二通目の手紙が届いていた。同じ時間帯の勤務で同じくオーラン
    ドがおずおずと手渡した。何時頃にどんな奴が持ってきたか、と訊くと4時から5時
    にかけて覚えてないが裏を見回りに行って玄関を留守にした間、玄関のドアの下に挟
    まれていた、と抜け目ない返事をした。
    手紙には
    “我々の力がわかったか。娘を誘拐するために昼夜いつでもお前の部屋に忍び込むこ
    とができるし、街頭で誘拐殺害することもできるのだ。もし金を払わなければ誘拐な
    いし殺害する。明後日の午後5時にそこから5ブロック先のヒメーネス公園にハヤタ
    一人で一千万ペソを持参すること”
    かって娘から聞いたことがあったが、同じクラスの友人で裕福な牧場主の娘であるナ
    ンシーが夜半襲撃され誘拐されそうになったけど寝室の窓を蹴破って逃げ出し難を逃
    れた誘拐事件があったと。その代わり弟の方が連れさらわれて、取り戻すのに多額の
    金を払ったということであった。
    当時のコロンビアはまさに誘拐天国であった。要求額が一億円以上の誘拐事件がなん
    と日に4件以上も発生していたのだ。刑務所の半数以上の囚人が誘拐犯で残りが殺人
    犯という具合であった。このような恐喝犯に金を払う臆病な金持ちも多数いた。ただ
    し、FARCやELNの共産ゲリラが相手の場合は微妙でまず本当に実行する可能性が高く、
    防ぐのが困難な場合い交渉して金を払うのが得策と考える人も少なくはなかった。私
    の誘拐代2弾はそのELNが相手だ、まーそれは後で。
    娘に心配させないように、この恐喝事件のことは彼女にいっさい伏せていた。車の襲
    撃のことは巷によくある車泥棒事件として伝えておいた。
    一夜明けた翌日は朝から忙しく、まずDAS(国家保安局、別称秘密警察)の友人である
    警部補のマルテイネスをオフイスへ呼び出して詳細を告げた。恐喝犯どもを捕らえる
    に当たっては、まず警察の介在が欠かせないからだ。私は五、六人の用心棒をこの件
    にあたらせていたが、警察に主導権を取らせず私自ら奴らを引っ捕えたいのでとりあ
    えず警察からは彼一人の応援で我々と合同で事に当たることに合意した。その方が効
    率よく効果的なのだ。予想に反して複雑で大掛かりになった場合は新たに警察に相談
    すればよい事である。
    その日はガードマンの派遣会社に押しかけて、当アパートへ派遣されているガードマ
    ン達の履歴書を見せてもらった。私の勘ではオーランドは間違いなく組織の一員で、
    その他にも此処のガードマンが何人か組んでいるのかもしれないという疑問からだ。
    あの手紙は組織の誰かがしたためたものであるがひょっとしたらオーランドか此処の
    仲間のものじゃないかという予想がした。はたして角張った字体の角の丸みがオーラ
    ンドのそれとよく似ていた。
    その翌日現金引き渡しの日の昼下がり雑誌の頁をハサミで切り取って札束を作り、一
    番上に本物の二百ペソ札を乗せゴムバンドで括った。駄目押しの確認をとるための策
    でアパートの近くの木陰に用心棒をの一人を配した。
    その日もデイシフト(日中勤務帯)のオーランドが5時過ぎに仕事を終え帰宅するの
    を待って後をつけさせることにした。ヒメーネス公園には5時きっかりに私が用意の
    金を持って一人でつっ立っていた。公園の片隅には付近の若者らしいのが四、五人
    ショートパンツとTシャツスタイルでサッカー ボールやビールビンを手に持ち飲み
    ながら談笑していた。もちろんTシャツの内側には拳銃が隠されていた。いうまでも
    なく私の子分達だ。
    夜のシフトとの引き継ぎを終えたオーランドが慌ただしくアパートから飛び出してき
    て公園に向かって大急ぎで歩いて行った。公園に着くとキョロキョロと辺りを見回し
    私の姿を認めた後、道路脇にあるカフェテリアに入って行った。
    すでに時刻は5時15分を過ぎていた。
    オーランドの後をつけた用心棒のマリオはウオーキトーキ(無線電話)で張り込んで
    いる仲間に連絡して、カフェテリアの脇に皆が勢ぞろいした。しばらくして不安顔の
    オーランドが一人で表に出てきた。たちまちに襟首を掴まれて御用だ。こいつを車に
    放り込みさらに15分ほどまったが、ついに他の連中は現れなかった。後でわかった
    事だが、オーランドが先ず公園を偵察し私の周りに私の用心棒達や警察らしきものが
    いないかをチェックして(彼はほとんどの私の用心棒の顔を知っているので)、OKな
    らば賊の頭が私の前に金を受け取りに現れるという段取りであった。実行前の落ち合
    い場所がそのカフェテリアであった。しかしながら、オーランドが私にマークされ当
    日後をつけられているのを公園にいた頭目連中は察知して現金受け取りを断念し逃げ
    去ったということであった。当然の事ながら敵もなかなかの用心深さだ、もっともそ
    れが誘拐するだけの度胸のない臆病恐喝屋の特質でもあるが。
    御用になったオーランドをオフイスのお仕置き部屋に連れ込んだ。言うまでもないが
    用心棒達が殴る、蹴るの大乱行ときた。初めは言を左右に絶対認めようとしなかった
    が恐喝文字の動かぬ証拠を突きつけられて、ついには全て白状するという次第になっ
    た。私のカメラとゴールドチェーン窃盗もこいつの仕業でまだ換金しないで家に持っ
    ていたのがせめての救いだった。もっとも白状しなければ、いわずもがな、タダでは
    済まないからだ。
    オーランドの自白によると頭目は彼らのバリオ(下町区、部落)でパナデリア(パン
    屋)をやっているウィルソンという35歳の男であった。共犯者はいずれも近所の定
    職のない不良仲間で7、8人が組織をくみ、恐喝、窃盗、麻薬と悪い事は何でもやる
    というチンピラ集団である。今回はオーランドが仲間に入り旨い恐喝ができると皆期
    待していた。その日の夜のうちに私の8人の用心棒達が2台の車に分乗してウィルソ
    ンのパナデリアに押しかけた。もちろん彼をふん捕まえて連れてくるためにだ。パナ
    デリアの前に車を止めて用心棒達が店の中へ入っていくと15、6歳の小僧店員が青
    い顔をして応対した。
    ”ウィルソンはどこだ!出てきやがれ!”
    といきり立った血の気の多い用心棒がカウターを叩き叫ぶ。
    ”今ここにはいない”
    ”よーし、じゃ、明日いちばんにセントロ(downtown)のセニョール・ハヤタのオフィ
    スへやってこいと伝えろ、こなければここに警察の手入れがあるとな”
    表に出た用心棒達が車に乗り込み発進した直後に背後から大声がした
    ”フエ プータ、コマミエルダ(馬鹿野郎、死んじまえ)!”
    同時に銃声が
    ”ダンダンダーン”
    と三発響いた。
     
  • La oscuridad de Columbia      〜事件簿 K  妻を寝取られた坑夫の復讐 〜

    2019-01-30 14:471
    209pt
    鉱山事故に見せかけた復讐の連鎖。

    ボゴタを発ったのは陽が落ちて夕闇せまる頃合いであった。
    私をつけ狙うゲリラの監視の目から逃れるため闇夜の行軍を強いられていた。
    いつもどうり四、五人のボデイガードを伴いコスクエスの私の鉱山に着いたのは深夜
    の午前2時であった。坑夫宿舎の玄関を通り抜け食堂へ入っていくと、私を迎えた
    部下である支配人のマックスが沈痛な面持ちで、
    ”セニョール ハヤタ、ウーボ ムエルト(人が死んだ)” 
    と、ささやいた。
    彼の先導で奥の物置部屋に入っていくと、道具が片付けられた部屋の中央に棺が置か
    れ、その周りに二、三名の坑夫が腰を折って祈りをささげていた。
    “どうしたんだ?”
    と私が問うと、
    “たて坑で縄ばしごを登っている途中で落っこった、という報告を現場にいた坑夫
    仲間から受けていますが今調査中です。事故は今から4、5時間前に起こりました
    ので、社長のご意見を聞き処理したいと待っておりました”
    とマックスが応えた。
    この鉱山だけでも百名は下らぬ数の坑夫を抱えているので名前はいちいち覚えてい
    られないが、とりあえずどの顔をした男か見極めようと粗末な棺の蓋を開けて覗き
    込んだ。青ざめた顔の口元や鼻腔に血がこびりついており頭蓋骨には裂傷があり、
    頭を強打したことによる即死と見うけられた。
    二十五、六歳のスペイン系白人のその顔つきに見覚えはあったが名前はやはり思い
    出せなかった。確か陽気な若者であったという記憶があった。
    マックスがそばから言葉を添えた
    ”彼はペーニャ ブランカから来ていたリカルドです、覚えておられますか?”。
    “元気のいい男だったからよく覚えているが名前は忘れていたよ, あんな生きのいい
    のが事故で縄ばしごから落っこったなんて考えられないね”
    と私が答えると、
    “それですが、社長”
    と私の耳に小声でささやいた。
    人気のない方へ私を手招きして、マックスが話し始めた。
    “すでに噂になっておりますが、縄ばしごから突き落とされたみたいですね。現場の
    連中は自分はよく見ていない、気づいた時には落っこっていた、などとい言って
    いますが事件に巻き込まれたくないのと口合わせですね…というのは、リカルドは
    同じ部落から働きに来ているパーチョの女房と最近ねんごろになっていたそうなんで
    そのパーチョが昨夜はたて坑を降りた先の4Aの採掘現場でリカルドと一緒に働いて
    いたそうです。仕事を終えてみんなが一緒に引き上げる時、縄ばしごの下でリカルド
    とパーチョがお互いに’’オレが先に’’と順番のとり合いをしたそうです。
    それでリカルドが先に登りはじめ、40メートルの縄ばしごのほとんど登りきった
    ところで急に転げ落ちたそうです。先に登って上にいた仲間の話しだと、
    ”多分めまいでもして手が足場棒から滑ったのだろう”、と言っていますが、
    本当のところは…”
    “ウーン”
    と唸った私がその後を続けた
    ”リカルドの先に登って上にいた奴がパーチョの仲間でおそらくリカルドの手を上段
    の握り棒から引き離したんじゃねえか、下からリカルドの足をつかみ落とそうとし
    ても蹴飛ばされるのがオチだからなー”
    “私もそう思って、先に登って上にいた坑夫のホアキンがパーチョとどういう共同
    作戦をとったか今探りを入れてるところです。ペーニャの部落は小さいので
    皆いとこや親戚すじで繋がっていますが、パーチョとホアキンは共に二十八歳で
    いとこ同しです”
    とマックスが続けた。
    “そんなところだろうとオレも思ったが、これは微妙な問題だ、決して口外してなら
    ないぞ。信用の置ける奴を密偵に慎重に調査して事実を探らせろ。それから、悪いが
    今その足で屍を親元に届けに行ってくれないか。とりあえず手持ちのこの五十万ペソ
    (3万円)を見舞金に渡してくれ。帰り道ついでに警察派出所に寄って事故報告を
    簡単にしておいてくれ”
    とマックスを送り出した。
    ゲリラ地域と隣接する警察権のほとんど及ばぬ山間部の私のテリトリーで起きること
    は私が責任を持って処理しなければならなかった。
    金か女か、あるいは何かの恨みか、こういう惨劇は日常茶飯事のことであった。
    四時間ほどの仮眠のあと早い朝食をとっていると、マックスとリカルドの家への
    道案内で行ったホセが疲れた顔をして戻ってきた。
    開口一番、マックスが言うに
    “イヤハヤ、あのペーニャ街道の凄まじさには改めて驚きました。夜間なので
    ノロノロ走ってゲリラか山賊に捕まってはならぬとスピード出して行ったのは
    いいですが、岩石むきだしのデコボコ道でジープがひっくり返らんばかりの山道でし
    た。棺にロープをかけて固定していなかったので棺が上下に揺れ動き、ついにタイヤ
    が岩石にドーンとぶち当たった時、棺がたち上がり蓋が開いて中から屍が私に
    おぶさってきましたよ!”
    “そこで、リカルドとサルサでも踊ったのかい?”
    と私が茶かすと
    “リカルド静かにしておれ!と、後ろへ押し倒しました”
    と涼しい顔でマックス言うと
    “トンデモナイ!、死人にもたれかかられてマックスは慌てふためき、ハンドルを
    切り損ないあわや崖から谷底に落っこちそうになったんですよ!、フーッ!”
    とホセが側からため息を漏らした。
    “アッハ、ハ、ハ。それで、リカルドの家ではどうだったの?”
    と私がただすと、
    “着いたのは四時ぐらいでしたが、農家の朝は早いのでもう家族は皆起きていました。
    リカルドのなり果てた姿を見て皆んな泣き叫んでいました。親父、お袋にリカルドの
    姉と小さい妹がいました。弟はチキンキラに原石を売りに出かけて留守でした。
    あまりにもかわいそうなので見ていられなく早々に引き上げてきました。
    途中、警察派出所により当直の警官にレポートしてきましたが、フンフンと書き
    とめるだけで何の関心も示しませんでした”
    もっとも、物好きな警察官がいてこんな事件に首を突っ込み捜査でもした日にはまず
    間違いなく暗闇で背後からピストルの弾を食らうのは請け合いだ。だから得にもなら
    ないこんな下層クラスの揉め事には全く関心がなかった。
    事故から二、三日もすると、事件の全貌が見えてきた。
    事故のふた月ほど前にペーニャ ブランカの村で年一度のカーニバル(村祭り)が
    催され夜を徹して村人が踊り、飲みあかしていた。
    その日パーチョは勤務で一晩中働いていた。もともとパーチョは呑んべえでもなく
    踊りも特に好きではなかったのでムリして休みも取らなかった。
    かって幼なじみであったリカルドとパーチョの妻のエレーナは野外の
    サロン デ バイレ(デイスコ バー)で出会い意気投合した。それ以来何度か会い
    親密になっていった。もともと結婚前にも二人には男女関係があったらしいと周りの
    友人たちは言っている。小さい村ではこういうことは直ぐに噂になる。
    怒ったパーチョが妻を問い詰めると、女の常套句で、”酔った肉体を無理やり押さえ
    つけられ…”と告白したということであった。
    パーチョは早速に同じ職場班のいとこ仲間ホアキンと内密に相談した。
    パーチョはずる賢い男であった。先にイトコ仲間を上に登らせといて、縄ばしごの
    下でどちらが先に登るか順番のとり合いをやれば、上で手を剥ぎ取られるので誰も
    危ない奴の後に続こうとはしない だろうから、リカルドが必ず先に登りたがるだろ
    うと読んでの計略だったのだ。しかもこれが事後の彼の潔白証明になると考えたので
    あろう。それはもし後で警察の捜査があればという理由からではない、周囲の人間
    からそういう卑劣な男とみなされるがイヤだからである。警察の捜査など此処の連中
    は意にも介していない。事故の詳細の目撃者は上のホアキンとリカルドのすぐ後を
    登ってきたパーチョだけなのだ。どんなことがあっても上のイトコ仲間がそれを自供
    する可能性は全くなく(コロンビア人はそんなヤワではない)、完全犯罪のつもりな
    のだ。したがってこの筋書きは私やみんなの推量であるが、まず間違いのないところ
    である。
    ペーニャ ブランカの村は元々二軒の本家から分家していった二グループに分かれい
    ていた。互いに反目し合い、何かにつけて争いごとが絶えなかった。
    村のサッカー場、ビリヤードバー、時には冠婚葬祭の場までが紛争の場所となった。
    これまでに数知れぬほどの殺人事件が頻発してきた。まさに狂気の殺人村であった。
    私の友人でもあったキンチョーは深夜自宅の玄関前で騒ぐ若者を”ウルサイ!”と威喝
    するやいなや反抗してきた二人を射殺してしまい、村には居られなくなり引っ越して
    行った。多分自分の身内派の若者であったらそういう暴挙にはでなかったであろう。
    ゲリラ地域に隣接する貧しい村はコロンビア中どこでも同じようなもので人びとの
    精神状態は非常に荒んでいた。ましてエメラルド ゾーンやコカ ゾーンとなれば
    なお一層欲がらみで荒廃していた。もはや中世並みの社会秩序である。
    もちろんボゴタをはじめとする都市部はそういうことはないが、その近郊の貧民窟
    となると似たようなものであった。
    リカルドはパーチョと相反する親戚グループに属していた。リカルドの身内派の長は
    ノエ叔父さんで善良な人柄であり、私の良き友人でもあった。
    どちらかというと、ノエの身内派に善良な者が多く、反対派の方の連中とは私も幾度
    か揉め事があった。鉱山が隣り同しということで私の発電機から電気をわけてやって
    いたが、産出があったとき約束の配当の半分しかくれなかった。
    事故から三日ほどしてから、リカルドの弟のマルコが鉱山村や私の坑夫宿舎周りに姿
    を現し、坑夫相手にいろいろ聞きまわっていた。殺されたリカルドの身内なので私も
    ほっておいた。私にも話を聞きたいと、面会を求めてきたので会ったが、彼の決意が
    ムラムラと伝わってきた。周りの連中もコトのなり行きを虎視眈々と眺めていた。
    復讐の連鎖の始まりにならなければ良いがと私は憂慮した。
    おぞましい事件がその二日後の金曜日、事故から一週間めの週末に起こった。
     
  • 早田英志のスーパー人生論 第十一回    ~パリの腐敗した鉄道警官~

    2018-09-18 05:341
    204pt

    パリでの忌まわし事件

    先月五月下旬から六月にかけ久し振りにヨーロッパ旅行に出かけてきた。
    航空会社勤務以来かって知りつくしている彼の地に何ら目新しい妙味を感じることもなく、
    ワイフにも似た十五年来のガールフレンドを伴ったバックパックでの貧乏旅行であった。
    今年の二月、三月にも中米コスタリカの友人パブロと連れだってニカラグア、コスタリー
    カ両国の主な海岸地帯をバックパッカースタイルで歩き回ってきた。
    近い将来この地にバックパッカー旅行者むけのユースホステルを建設しようと思っている
    ので、後学のためすべからずホテルは安くて楽しいユースホステルに固定した。
    アメリカ、ヨーロッパの若者がおもであったが、彼らとの談話は楽しく年齢の差を感じ
    させなかった。とても一昔前の貧乏旅行者の面影はなく皆な品の良い教育ある連中で、
    これが現代の若者たちの旅行スタイルなのだなーと自覚させられた。
    本題のパリの事件に行く前にもう少し中米の事情を述べると、ホンジュラスは最近では
    世界で最も危険な国の一つに挙げられるほど治安が悪化している。
    グアテマラやエルサルバドルは場所によりけりであるが地方や裏通りは避けたがいい。
    そのてんコスタリーカやパナマは抜群に治安が良く、貧民窟、低層住宅地帯にでも入らな
    ければまず安全である。
    海浜保養地(ビーチ・リゾート)を別にすれば火山以外に目立った観光スポットの少ない
    中米にあって、グアテマラのマヤ遺跡やパナマ運河それにニカラグアの優雅なカソリック
    寺院が林立するグラナダの古都は一見に値する。
    私の前妻と子供らがコスタリーカ人でもあることを別にしても、半世紀にも及ぶ付き合い
    で中米に、特にコスタリーカに私は母国日本と同様の親近感を持っている。
    コスタリーカの人気のあるビーチ・リゾートであるタマリンド、ハコ、マニュエル・アン
    トニオ、プラヤデココ、プラヤデフラミンゴ、プエルト・ビエホなどはいつ行っても外国
    人観光客で溢れている。特に私のお気に入りはこの中で唯一カリブ海沿岸のプエルト・ビ
    エホで街中若者たちで溢れ、ラテン風酒場の雰囲気が気分いい。
    このまちの大半のホテルは10〜15ドルのユースホステルである。
    ニカラグアの太平洋岸に位置する欧米の若者に人気のサンホアンデスールは物価が安く、
    昼飯2〜3ドル、ビール1ドルという具合で、隣国コスタリーカに比べると格段の安さで
    人気を保ってきたが最近は年々値上げして旨みが薄れてきた。お気に入りのレストランが
    あったが、昨年と今年の比で倍近くに値上げしていたので愛想が尽きた。もちろん店内は
    ガラガラであった。