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  • アニメの歌詞をじっくり聞きませんか?初恋と忘れられぬ恋を歌う切ないOPを一曲(化物語ネタバレあり)

    2018-05-12 00:07
    はじめに
     皆さんアニソンは好きですか? アニメファンならもちろんの事アニメファンじゃない方でもカラオケで世代を超えて盛り上がれるのはアニソンだったり、エッこれってアニソンだったの?なんてのもたくさんあるかと思います。
     70年代から80年代にかけてアニソンの多くはアニメ専属の歌手や少年少女合唱団などが歌う物が多くあります。この頃の作品は特にロボットものなどは主人公の名前や武器の名前を連呼してとにかく擬音が多いでも勢いがある。そういった物が多い気がします。一方でEDはしっとり歌っている曲が多いです。
     それが80年代から90年代になるとアニメとタイアップした曲が多く出てきます。タイアップと言ってもJポップ全盛期ミリオンセラーもバンバン出た時代です。そのせいであまりアニメに関係のない歌などもあったりする批判もあります。その後2000年代以降はアニメの内容に沿ったOPEDが多く作られる印象があります。それぞれの時代にそれぞれ名曲、名歌詞、名歌手がいますがこのアニソンの流れなども含めて今回は割愛します。気分が乗ったときにまたかいてみたいかと想います。
     さて、近年のOPEDの役割は複雑化し大きくなっています。その前提として近年のアニメは高速化していると私は考えています。どういうことかと言うと近年の深夜アニメ作品は、非常に本数があるのでなかなか、視聴者に全話通しで見てもらうのが困難だと言うことです。少し前までは(2010年位でしょうか?)勝負の3話とか3話切りという言葉がありました。とりあえず3話まで見て、そのアニメを見続けるかというアニメファンに言われていた一つの基準です。ですが、その後1話切りという言葉が現れ、果てはゼロ話切りなどという言葉すら現れるようになりました。切るというのはそのクールそのアニメを追い見ることをやめるということです。こう言った背景のため、見る側も見てもらう側もかなり見続けてもらうということにナーバスになっています。では1話切りはまだわかるのですがゼロ話切りを視聴者がどのようにその判断を行うかと言うと、PV・OPED・キービジュアル等をその物差しにするのです。それらから面白そうか、自分の趣向にあうかを視聴者たちは見極めるわけです。
     それに対して、制作者サイドは様々な工夫を行っています。話の展開を少しでも前に進めるために1話ではむしろOPEDを流さなかったり、1話2話を同時に放映したり(今季だとウマ娘等)長い尺の一話を使ったりすることがあります。話の順序を逆にしてはじめに戦闘シーンなどの見せ場を持ってくる倒置法的な方法をとるということもしばしばあります(今季のガンゲイル・オンライン、過去作ではプリンセス・プリンシパルなど)。さらには1話放映前に先行上映を行い話題作りをしたり(ポプテピピック等)、声優さんたちが紹介番組をするなんてこともままあります(けものフレンズもやっていました。)。つまり作品が前掛かり化しているわけです。これを僕は、高速化と言っています。何を関係ないことを言っているのだといわれそうですが、この高速化の流れを強く受けているのが実はOPEDなのです。OPEDには、先にも述べましたが、ネタバレに近いような特に物語の流れを暗示するような様々な情報が入っているのです。そのため全くアニメに関係のない歌詞というのは極端なくらい(ほぼない印象を受ける)少なくなっています。アニメOPEDをみればストーリーが予想できるくらい濃密な情報が入っています。今日はアニソンの中の歌詞について少しだけ紹介および考察したいと思います。

    近年のアニソンの歌詞のパターン
     さて本題ですが、近年のアニメーションの歌詞について、曲の歌詞なので様々な物があるのが当然前提なのですが、上記の傾向を踏まえて個人的に(全くの主観ですが)多く3つのパターンのいずれかが多いと思っています。

    ①、誰か(もしくは複数名)のキャラクターの視点で歌われている。
    ②、どのような物語なのか、世界観やストーリーを歌っている。
    ③、一見脈絡のない言葉や文章を羅列するタイプ。

    それぞれに対してすこしだけ各論で考察してみましょう。

    ①この作品が最も多い印象を受けます(普通の歌の歌詞もこれがおおいですよね)。ごく最近の曲だと、例えばダーリン・イン・ザ・フランキスOP「KISS OF DEATH」などがあるでしょうか。
    そばに来て 崩れゆく抑制
    ボクを怖がらないで
    (中略)
    ダーリン運命が血管を走るよ
    動き始めた世界 …愛?
    誰よりも溶け合いたいよダーリン
    ボクを怖がらないで Kiss me now

    これは、ヒロインのゼロツーが主人公ヒロに対しての心情を歌った曲である事がよくわかります。如何にゼロツーがヒロを愛しているかという点をあるいみ妖艶に中島美嘉さんが歌っており、歌詞はHYDEさんが担当しています。

    他にも前期の『からかい上手の高木さん』OPテーマ「言わないけどね。」 はこんな感じです。

    勘違いされちゃったっていいよ
    君とならなんて 思ってったって言わないけどね
    近づく空の香りを 隣で感じていたいの
    校庭で君のことを一番に見つけて今日は
    なんて話しかけようか ちょっと考えるの楽しくて

    これは高木さん視点の歌詞になっています。西片の事が大好きな高木さんの気持ちがひしひしと伝わって来て・・・ほほえましい気持ちになる歌詞ですね(壁に自分の頭でヘッドバッドを何回もしたくなる気持ちですね)。

     
    高木さんの心の紙飛行機が西片に届くといいですよね。

    ②の作品は今季だと、少し1視点も入ってはいますが、ウマ娘OP Make debut!などがそれにあたるかもしれません。

    響け ファンファーレ
    届け ゴールまで
    輝く未来を君と見たいから
    (中略)
    勝利の女神も夢中にさせるよ
    スペシャルな明日へつながる
    Make debut!
    (中略)
    I believe
    夢の先まで

     爽やかなウマ娘のレースの世界観が伝わってくるいいOPの歌詞です。ストーリーのスタンスも明確にみえてきます。何が作品で描きたいか明確にOPの歌詞の中で制作者サイドが語っているわけです。夢のその先が見たいと・・・。
     前記だとゆるキャンOP「SHINY_DAYS」などは世界観がよくわかる歌詞ですね。個人的にこの系統で好きなの曲は、アニメフライングウィッチEDの日常の魔法だったりします。作りて達の日常アニメというものの捉え方がにじみ出ていてそれが作品にもよく反映されています。

     



    ③の作品は少ないのですが、有名曲に意外に多いです。この手の代表的な歌詞を作られるのは、アニメの作詞家では畑亜貴さんだと思います。代表曲は、らき☆すたOPなのですが(それなりに前の曲ですので)、近年の若い方でもわかりやすいのは、ワンパンマンのED星より先に見つけてあげるでしょうか。ワンパンマンの内容と被っているような被っていないないようなのになんとなく不思議とワンパンマンの世界観とマッチしている高度な歌詞を使いこなすタイプです。

    ねぇはやくかえってきてね?
    ため息が三日月を揺らす夜は目を閉じて 
    きみの事を考えてばかり
    会いたい気分 
    泣きたい気分 
    ロマンティックな気分
    届けてこの想い


    (ようは・・・五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」横浜、黄昏、ホテルの小部屋・・・みたいなっていってわかるのは昭和世代だけでしょうか・・・。)

     


    ここまで踏まえて少しだけ、①に当てはまる名曲を少しだけ丁寧に解説してみたいと思います。

    初恋と忘れられぬ恋を歌う名曲
    以下化物語に関するネタバレが少しだけあります。ご注意下さい。

     今回紹介したいのは、化物語セカンドシーズン、恋物語のOP「fast love」「木枯らしセンティメント」です。「2曲なのかよ!!」とつっこまれそうですが、実はこの曲2つとも曲は同じです。化物語セカンドシーズンは化物語シリーズの二期として、2013年7月~12月まで放映されました。ひょんなことから吸血鬼の力の一部を得た阿良々木暦と様々なヒロインたちとの交流を一種の怪異物語を織り交ぜながら描いた名作であり人気作でした。このOPが流れた恋物語は、化物語のメインヒロインである戦場ヶ原ひたぎと胡散臭い男貝木泥舟の関係性がわかる物語でありアニソンです。(といいつつ、物語のメインは貝木とかわいいジャイ子のばかしあいの話なのですが・・・。)
    一人で戦場ヶ原さんが歌っているか、戦場ヶ原さんと貝木さんがデュエットで歌っているか違いがあります。あと両者の歌詞が異なります。歌詞の一部を見ていきましょう。

    「fast love」

    きのうなんて 通り過ぎた後は
    そう すべてが 些細なことになる
    今も残る いつかの傷跡の
    痛みさえ もう 忘れてしまってた

    ねぇ きみに出会った瞬間に
    運命は塗り替えられちゃって
    こわいものなど もう ひとつだけ
    私の 全部を ひきかえにしても
    守りたいと思ったのは
    はじめてなんだ

    この世に うまれた 理由はなくても
    でも 確かに 生きてる 意味
    私は もう みつけたから

     なんと情熱的で熱烈な恋愛でしょうか、初恋とはかくの如く恋は盲目という言葉がしっくり来る歌詞です。この歌詞を歌っているのは当然戦場ヶ原ひたぎになります。一方で、

    「木枯らしセンティメント」
    デュエットの歌詞は 赤 戦場ヶ原青 貝木、紫 両者です。

    理由さえも 忘れてた 涙で
    凍りついた 思い出は綺麗で
    あの季節と 同じ 木枯らしが
    二人の時間を 今 巻き戻す

    勘違い 一時の 気の迷い

    ありふれた 感傷ごっこ
    永遠に 
    見つからない刹那
    (中略)
    もう一度もう二度と云えない言葉は
    幼いまま 優しいまま
    悴んだ記憶

    もう一度もう二度と云わない答えも
    哀しいまま 可愛いまま
    ぬくもりだけ 置き忘れて

     もうおわかりかとおもいますし、物語のネタバレになってしまいますが、貝木と戦場ヶ原さんは昔は恋仲だったのです。前者は、初恋時の戦場ヶ原ひたぎの気持ちを。後者は、忘れられぬ恋を戦場ヶ原ひたぎと貝木の二人目線で各々振り返って歌っています。デュエットの入れ替わりで二人の視点で思っていたことが違うというのが憎い仕掛けです。大人の男性とまだ幼かった女性の恋愛であったことが振り返る形でより浮き出てきています。デュエット曲の良さを存分に発揮しています。(あまりアニソンのデュエット曲って多くない印象があります。)その中でも、もっとも切ないのが・・・木枯らしセンティメントのこの歌詞です。

    その背中に あの瞬間 つぶやいた
    届くことのなかった ラブレター/聞こえないふりをした ラブレター
    すれ違い 振り向くこともなく
    選んだ物語の続きは
    今日というあなたじゃない 未来

     戦場ヶ原さんはラブレターが届かなかったと思っているが、貝木氏は聞こえていて聞こえないふりをしたのでした。なんとも切ないそれでいて味わい深い。

     少しでもアニメーションの歌詞の魅力を伝えることができたでしょうか?アニメーションの歌詞は物語になぞらえて工夫が凝らされているので、是非その意味がどういうふうなものなのか考えながら見るとまたアニメーションを見るのが楽しくなると個人的に思っております(そんなこと知っとったわいと言われそうな気もしますが)。展開の途中で急にEDが変わったりしたときはじっくりその歌詞や映像を確認して下さい。物語の行く末を暗示する一種の演出として作られている事が良くあります。
     少しでも皆さんのアニメへの興味が刺激されればと思ってまとめました。アニメの恋物語本編では、貝木の名台詞とともに三木さんの名演技が聞けますので、是非機会があったら通しで見てくださいね。いい年こいたオッサンにはそれなりに響きます。



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  • のび太ドラえもんにはめられてる説から考えてみる。ver.1

    2018-04-29 03:3344
    はじめに
     今回は、軽い話。以前放送の雑談でもお話したような話題である。本当にそうだというわけではなく、仮にそう考えてみるとこういう風に見ることもできるというお話であり特に何か結論があるわけでもないが、自分の中で思いついたことの備忘録として記載したい。またまだまとまりきっていない面も多分にあるので突っ込んでいただければ幸いでもある。より凝縮した考査になると思う。

    ドラえもんとは


     流石にいらない気もするが、定型どおり。ドラえもん』とは、藤子・F・不二雄による日本児童漫画SF漫画である。1969年から1996年にかけて発表され、てんとう虫コミックス、コロコロコミックで連載された漫画であり、名目1969年から、1979年から、2005年からの3回のアニメ化がなされており現在もアニメ放映中であり、2018年においても日本を代表する漫画、テレビアニメの一つである。全体としては、何をやっても駄目な小学生野比のび太が22世紀からやってきた少し頼りない猫型ロボット「ドラえもん」との交流を描く作品で、映画版や特殊な回を除けばTVアニメ放送においては、基本的には一話完結のストーリー構成を取っている。大体のあらすじはこうである。何らかのび太がトラブルを抱える、曰く虐められた羨ましいなど物語の起点となる事件を持ち込むところから話が始まる(起)。そのいわば願望に対して、ドラえもんが的確なひみつ道具(未来の技術で作られたという様々な道具)を不思議なポケットからだしたちまちにそのトラブルを解決する(承)。そしてしばらくはうまくいくのであるが途中からその道具を使いのび太が欲をかいたり悪さをするようになる、その結果として何らかの失敗をし(転)、最終的にはのび太がひどい目にあってしっぺ返しを受ける(結)というストーリーが基本構成である。つまり

    のび太トラブルを抱える。
    一時的に不思議道具で解決する。
    調子に乗り不適切な道具の使用を続ける。
    失敗してしっぺ返しを受ける。

    という流れが基本構成となっている。物語で言えば、SF道徳的逸話集である。ひみつ道具が魅せる摩訶不思議な世界とか、SF(少し不思議)であったりとか、友情がテーマとか色々な要素はあるのだが、今日はちょっとした僕の子供心の疑問について話したい。

    のび太は、ドラえもんにはめられてる説
     さて本日の本題である。上記の話の流れを鑑みて()内にブラックドラえもん(私の荒んだ心でしかないのだが)の心のつぶやきを入れてみる。

    のび太トラブルを抱える。(やれやれまたのび太君は・・でもまぁ)
    一時的に不思議道具で解決する。(ジャイアンやスネ夫にもイライラするから懲らしめよう。)
    調子に乗り不適切な道具の使用を続ける。(ハイハイいつもの展開ですね。)
    失敗してしっぺ返しを受ける。(予想通りですわ、ザマァ見ろ。)

    つまりは、ドラえもんが悪意をもってこうなることをわかっていてのび太を嵌めているのではなかろうかという疑惑である。いわば成長しないのび太を体よく飴で釣り上げてはムチで叩くを繰り返しているように子供心に思ったわけである。これよく考えると、美人局というかマッチポンプ的な展開に思えるのである(我ながらなんと夢のないひねくれた子供かと思います。)。今にして思えば、読者や視聴者としては、起承転結としてまとまったプラットフォームであり、2ターム目と4ターム目ではこの穿った見方によればシャーデンフロイデを満たされる感じの爽快感が二回ありうまい構成だなと思う。

    物語の流れはほぼ同じなのにブラック
     実はこれほぼ、まったく同じストーリー展開でテイストだけが異なる有名作品がある。笑ゥせぇるすまんである。こちらは、藤子・F・不二雄氏と関係の深い藤子 不二雄Ⓐ氏による作品であり、ブラックユーモアとホラーというかオカルトと言うか不気味なテイストの作品である。全5巻(中公文庫)の漫画作品であり、二回アニメ化されている。これも1話完結型のストーリーで何らか悩みを持った主人公が、喪黒福造というサラリーマンに絡まれて、こころを商品として主人公と契約し、最初はいい結果になるのだがやはり落ちは主人公がひどい目に会うという展開である。
    主人公悩む
    喪黒福造が現れて何かしら心のスキマを埋める商品を紹介する。
    いやお代はいりませんといいつつ、何か制約や契約で縛る。
    大概なんかその制約を破るようなことにあい
    主人公が(とてつもなく)ひどい目にあう。

    ドラえもんと異なる点としては、喪黒福造が善意で、取り扱う品物は「ひみつ道具」ではなく「人間のココロ」であり、仕事内容も「お客様」の「ココロのスキマ(心の隙間)をボランティアで埋める」という点であろう。また明確に商品を渡す際に成約ないし契約、注意事項などを言う点である。風体もサラリーマン(といっても何者かわからないきみの悪い存在)であり、何を考えているのかよくわからない人物である。登場人物が大人が多く、大人の道徳的説話集といった感じだろうか。
     物語の展開は非常に似通っている点が多くあり、喪黒福造が善意(非常に怪しいが・・・)でこういう事を行っているというのは普通の見立てのドラえもんと同様であろう。
     欲をかいたら懲らしめられたという昔話は多くあり有名所で言えば舌切雀のおばあさんやこぶとりじいさんの悪いおじいさん(これは当事者が二人だが)。また約束や成約を守らずに悲劇が起こるタイプの作品では、鶴の恩返しなどがありこのあたりは終盤のギミックはにているようにも思う。こういった道徳的な寓話と騒動するところが多いところもこのタイプの寓話的アニメの馴染みやすい点なのかもしれない。

    自分で打開して金に目がくらんで部長に怒られる。
     ひみつ道具はなく、自力ではあるものの、流れが非常に似た漫画アニメとして(いわば自作自演的な作品として)こちら葛飾区亀有公園前派出所がある。本来は社会道徳の規範であろう警察官の両津勘吉がいわばオタク的なマニアックな才能を駆使しはじめはやってきた問題を解決するのであるが、必ず欲をかいてやりすぎて最終的に大失敗をしてしまうという展開でありやはり道徳的説話の流れを汲んでいる。まぁ作品の魅力はむしろそのマニアックなうんちくにあるのだが・・・。

     これら概ねストーリー展開が似通った作品群は、「欲をかいたら懲らしめられる」とか「すぎたるは及ばざるが如し」といった教訓を包含した、昔話で言うところの道徳的説話集の形態をとりつつも、ひみつ道具+ドラえもんという夢のあるSF感、喪黒福造と心というダークな世界観、ハチャメチャな両津勘吉のキャラクターとうんちくで楽しくスパイスがつけられておりどれもいわば王道的マンネリとでも言おうか安心感のある構成である。日本のTVアニメシリーズにおいて比較的多くの人の目に触れる時間帯で放送されるような作品群は、主人公が何らかダメ人間であって最終的にひどい目にあうというのが一つのパターンなようである。

    何回やっても学ばないのび太その実態は
     少し話が脱線したが、ドラえもんに戻ろう。上記のような他の作品の比較を踏まえれば物語の構成上失敗することが宿命づけられている主人公のび太は道徳的説話のストーリーラインに乗っかっている以上成長をして対策をして懸命な判断を行うことができない事を強いられているということになる。かくて母親は子供にこういうわけである・・・。「のび太のようになってはいけませんよ」なるほど現代における道徳説話の役割をドラえもんはちゃんと果たしていると言えよう。
     それではドラえもんというストーリーの構成上他のキャラクターは作品の中でいったいどういった役割を背負っているのか?下記の如く列記してみた。

    暴力の象徴 ジャイアン
    財力の象徴 スネ夫
    魅力の象徴 静香ちゃん
    知力の象徴 出来杉君
    権力および暴力の象徴 のび太のママ、先生


     なるほどよく出来たキャラ構成である。それではドラえもんは何かと言うと、願望で有り欲望の象徴、友、夢、成功の鍵といったところだろうか。道具であり友達と割り切ってもいいのかもしれない。それでは、のび太は何の象徴なのだろうか?それは無力の象徴なのである。
     なんというか人は欲深い生き物であるというか、人は成長しないというかちょっとした作者の人間感が垣間見える作品であるとも言える。なるほど、のび太は無力の象徴であり、自堕落でダメ人間である。
     いやしかし、そんな単調な教訓話が国民に愛される作品なのだろうかと言われれば答えはNoであろう。この解釈だけでは、本当に愛される理由も本質的なメッセージの受け取りが足りていないように思うのである。

    マンネリズムのカウンターパンチとしての傑作「帰ってきたドラえもん」

     ドラえもんにはいわゆる定型的なストーリーラインとは異なった、いわば名作回であったり、特殊な回があったりする。その代表選手の一つが帰ってきたたドラえもんであろう。いつも自堕落な無力の象徴たるのび太が、暴力の象徴たるジャイアンに真っ向友情のために意志の力で立ち向かって様は、小原乃梨子さんの演技も相まって見る物の心を揺さぶり涙を誘うのである。一方でもう・・・もういい、やめてくれと思ってしまうほどである(あれさっきとおれ言ってること逆だな・・・。)。弱者が強者に屈する事はいわば当たり前の事である。しかし弱者が強者に屈さず意志により戦いを挑む様というのは、その意志に共感する範囲においては、胸が熱くなる物である。のび太は、大事な友ドラえもんのためになら圧倒的な暴力に対しても屈する事なく立ち向かえる熱い闘志を持っているわけである。一方で見方を変えてみれば、不必要な時は無駄な争いを避けて優しく振る舞う実はナイスガイだとも言えるのである(褒めすぎかもしれないが)。日本人らしい判官贔屓の思想なのかもしれないがなかなかそう考えると日々の失敗談というかは、このためのいわば引きみたいにも思えるほどである。この物語は成長譚の形態を取っている。

    (一方でこの話が全く感動できないというアニメファンにも少なからず何度かあっている。これは別にその方が血も涙もないわけでなく、ドラえもんの上記の典型的なストーリーに慣れ親しんでいない事が理由のことが多かった気がする。なるほどカウンターパンチがきまらないのである。)

    最後に
     別の名作回として、のび太の結婚前夜がある。ネタバレになってしまうが、のび太が静香ちゃんと結婚する前夜のお話である。結婚前夜になって、静香ちゃんが両親への愛とのび太への愛のなかで悩み父親に不安を吐露する流れになったのち、たしなめるようにしずかちゃんのパパが言葉をかけた後しずかちゃんのパパが言う台詞はのび太の魅力の真理をついている。

    しずかちゃん
    「あたし……不安なの。うまくやっていけるかしら」
    しずかちゃんのパパ
    「やれるとも。
    のび太くんを信じなさい。
     のび太くんを選んだきみの判断は正しかったと思うよ。
     あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。
     それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね。
     彼なら、まちがいなくきみをしあわせにしてくれるとぼくは信じているよ」

     ドラえもんという作品において、のび太は道徳説話集の中のキャラクターとして失敗する十字架を背おわされている主人公と言っていい。それは、こんなふうにはなってはいけないよ、こうしてはいけないよという命題を持っている反面。のび太というキャラクターの持っている魅力を輝かせる要素ともなり得るのである。
     通常回では、例え無力となじられようとも、その実和を重んじて人との軋轢を避け、優しい心を持ってときには強者に立ち向かう人柄も持ち合わせているのである。そういった魅力が劇場版や特別な回では、日々のマンネリズムのカウンターパンチとして我らの心に深く刻まれるのではなかろうかとも思うし、それらを狙うように作られている回があるのもまた、事実なのである。のび太の最強の武器は、暴力でも魅力でも、知力でも、財力でも、権力でもなく優しさだったのでありそしてのび太もちゃんと成長はしているのである。

    (なんかしっくりコないところもあるのだが・・・。のび太はめられてる説、いやのび太は成長を促されてる説でディベートしてる人とかいないだろうか。考察は完璧でなくても仕上げることは重要に思うのでとりあえずかきあげてみたが、みなさんはどう思われるだろうか?乱文乱筆失礼しました。)

  • 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」素朴で美しい作品、ジャパニメーションの片羽(ネタバレ有り)

    2018-04-08 00:392
    はじめに

    私は京都アニメーション作品が好きである。京都アニメーションの魅力はいくつかある。作品に必ずメッセージ性を持たせる点や2000年代において時代を作るその後の流れを作る作品などを多く作った点、魅力あふれるキャラクターを作った点等たくさんの良い部分はあるが、個人的に最も好きな理由はその丁寧な作劇である。古典的なジャパニメーションの魅力が溢れ現在のアニメーションとして至高の技からなるアニメヴァイオレット・エヴァーガーデンについて可能な限り語りたい。
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    『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』 ©暁佳奈・京都アニメーションヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会

    想いを綴る、愛を知るために

    感情を持たない一人の少女がいた。
    彼女の名は、ヴァイオレット・エヴァーガーデン。
    戦火の中で、大切な人から告げられた言葉の意味を探している。

    戦争が終わり、彼女が出会った仕事は誰かの想いを言葉にして届けること。

    ――戦争で生き延びた、たった一人の兄弟への手紙
    ――都会で働き始めた娘から故郷の両親への手紙
    ――飾らないありのままの恋心をつづった手紙
    ――去りゆく者から残される者への最期の手紙

    手紙に込められたいくつもの想いは、ヴァイオレットの心に愛を刻んでいく。
    これは、感情を持たない一人の少女が愛を知るまでの物語。

    ヴァイオレットエヴァーガーデンHPより


    あらすじ
     金髪碧眼の美少女ヴァイオレットエヴァーガーデンは少年兵であった。ギルベルト・ブーゲンビリアの部下として戦場で獅子奮迅の戦果を挙げる感情のない道具であった。彼女は、ギルベルトと最期の戦いで戦火の中分かれることとなってしまう。ベッドの上で目覚めたヴァイオレットは戦争が終結したことを知り、ギルベルトの盟友クラウディア・ホッジンズ氏の立ち上げた会社郵便局CH社で、自動手記人形として働く事となる。ギルベルトの帰りをまつ、ヴァイオレットの愛を知るための物語が始まる。

     アニメーション制作は、京都アニメーション。2018年1月より4月にかけて全13話が放送された。監督は石立太一、原作は2010年より京都アニメーション主催で行われている京都アニメーション大賞の初の大賞受賞作品である。今まで、中二病でも恋がしたい!、境界の彼方、ハイスピード、ファントムワールドなどが小説部門の奨励賞から京都アニメーションによりアニメ化されている。アニメーション制作会社が自社でコンテストを開いてアニメ化を行うというのは珍しい試みであろう。PVの美麗さから特に放映前から注目されていた作品であった。

     
    一つの芸術としての美麗さ
     ヴァイオレット・エヴァーガーデンの何よりもの魅力は、極みまでに達している京都アニメーションの美麗なアニメーション、美術、撮影、音響の表現からくる映像美であろう。概ね人間としてもおかしくない等身のキャラクターがまるで映画の撮影のように一方でアニメーションキャラクターとして美麗な映像を作り出す様は圧巻であり、今現在このクオリティーを全話維持できるストイックな集団は、京都アニメーションしかあり得ないだろう。京都アニメーションはこのようなリアリスティックな映像と重いテーマをだす作品をしばしば作る。響けユーフォニアムや聲の形などである。透過光表現や水の表現、カメラ演出など至高の映像もより美しくみせるためには、せっかく綺麗に描かれた作画も崩したりぼやかしたりするのも厭わないという映像美に対する苛烈なこだわりこそが本作の第一の魅力であり京都アニメーションの特長であるともいえるであろう。
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     湖に飛び出す、ヴァイオレットの表現。水辺、飛び散る水しぶきの質感、木の葉透過光表現。美術、色彩設定、作画、撮影どれもが美しすぎる。どのタイミングで切り取っても絵として美しく見えるのは京都アニメーションならではであろう。初期の竜の子プロダクションにつながるこだわりを感じる(事実タツノコ作品などのグロス請けを行っている。)。また自動筆記人形(ドール)達の服も髪型もまぁ細かいのである。よくあれだけ複雑な服装を崩れずに動かせるものである。

    極みにまで達しているアニメーター・声優の演技力と観察力



     主人公のヴァイオレットの作画は、元々軍人出身であることやキャラ造形の設定上、特に序盤は顔の表情を変えないことが徹底されている。なかでも美しい宝石のような大きな目が多くの場合あまり変化しない。アニメーターのキャラクターの感情の表現において、目の大きさや形を変えられないというのは、かなりきつい。その中できわめて微妙な心境の変化を小さな口元や全体のバランス、顔の向き、髪の動きや流れなどで表現している。極めて繊細なアニメーターの演技である。声優の演技も非常に繊細であり終盤に向けて変わっていくヴァイオレット一方でそのヴァイオレットを見守る周りの人々の演技が味わい深い。いわゆる萌アニメの声の出し方ではなく、作品にあった声の演技をしてくださる熟練の声優さんがたには頭が下がる。特にクラウディア・ホッジンズ(CV:子安武人)の演技は落ち着いた中年を見事に演じている。

    (そこまで目の大きさ変えないこと徹底せんでも・・・。
    アニメファン的にはDARKER THAN BLACKの銀を思い出すカットである。
    序盤はなんだこのカワイイ相良軍曹はと思っていた。)

    (他のキャラクターと比べると一目瞭然である。)

     終盤になるとヴァイオレットの眼もめまぐるしく動くようになってくる。でも本来人間の表情はこんな物なのである。観察から、現実からの昇華としてのアニメーションの鉄則を守っている作品である。

    演出で伝える。

     「脚本の人そこまで考えてないと思うよ。」は冗談めかしてアニメファンによく使われるネットスラングである。「いや脚本や原作や演出は考えすぎるくらい考えてるよ。」という話である。ヴァイオレット・エヴァーガーデン5話の中盤、ドロッセル姫がヴァイオレットにダミアン王子への本当の気持ちを語るシーンがある。その台詞回しとワンカットワンカットの映像にスキが本当にない。月下でダミアン王子にあったドロッセル姫はとうの昔に恋に落ちていたのであった(というかぶっちゃけ結婚しようと頑張っていたのである)。よく考えずとも、冒頭で年の近い者の感覚が知りたいの。その…年上の男性って何歳まで有りだと思う?」と姫は言っているのである。相手の事はリサーチ済みであるし、とっくのむかしに好きなのである。

    だって…私なんて――ただの泣き虫な娘よ
    アルベルタもいない異国で、もし嫌われてしまったら…
    あんな手紙の内容は全部ウソ…本心が見えないわ
    私は…あの方の本当の気持ちが知りたいの

     白い椿の花言葉は「完全なる美しさ」「至上の愛らしさ」である。「完全なる美しさ」ティアラ、血筋の鎧で囲まれた、実は「至上の愛らしさ」ただの泣き虫な娘とは、素朴で丁寧で繊細で落ち着いた表現である。色合いも「ピンクの子供っぽい私は、月下の花園であった貴方に青く染められて紫になりました」とでも言うのであろうか、美しい流れである。庭でヴァイオレットに思いを語った姫は自分の愛を疑っているわけではないのである。自分の愛を受け入れてもらえないのではないか不安なのである。もっと言えば本当の気持ちを知りたいし、いやどうせこんな手紙では知れないから自身を持ってぶつかりなよ的なことでもヴァイオレットに言ってほしいのである。第4話「君は道具でなく、その名が似合う人になるんだ」のアイリスの話を受けてヴァイオレットには、愛を受け入れてもらえないかもしれないその姫の気持はわかるはずなのである。そしてあの展開になるわけである。

    例えまがい物の腕になっても・・・失ってはいない、失ってはならない物がある。

     アニメーションにおいて手は様々な表現に使われる。OPでも手を伸ばしているシーンはよく見ることと思う。その手は何かをつかもうと伸ばされいることも、つかめそうでつかめないことも、拳同士がぶつかり合うこともある。以下に印象に残るシーンを挙げてみた。

    機動武闘伝Gガンダムより、終盤の東方不敗とドモン・カッシュの拳の打ち合いでの一コマ、柔らかく包もうとする師匠とそれを跳ね上げ拒絶する弟子の構図。激しくそしてその後の展開を考えると切ない。


    宝石の国 第8話「アンタークチサイト」より。何を得て、何を失い、そして何を得たかったのか・・・強い力を得ても、自分を守ってくれたものには手は届かない・・・そして心はズタズタになる。
    (新しい強い手だ)(諦めないし無理をする勇気だってあるよ)(なのにどうして…)(どうして遠退くの!?)

     
     自身への罰としての腕の喪失そしてつけられたまがい物の腕。そのまがい物の腕で、ヴァイオレットは人の心をつなぎそして愛を知り成長したのである。だが、そのまがい物の腕では、ギルベルト少佐を腕に抱く事はかなわないのである。一方でそのこころには、ギルベルト少佐からもらった心が宿っているのである。失っていたと思っていたヴァイオレットはなんとか得た腕でそのことに気づくのである。


    美麗な映像で描かれる物語は薄い氷のごとく繊細

     そんな映像の中で描かれるヴァイオレットの物語は、現代のアニメーションにおいてはあるいみ味気ない素朴な物語であるとも言えるがいいかえれば、これが王道の物語であるとも言える。繊細さと端正さを持っているといえよう、雑味がきわめて少ない作品なのである。言葉はいわば情報を伝えるための道具である。それは間違いない。だが、言葉はそれと同じくらいいやそれ以上に想いを伝えるための手段で有り、心そのものなのである。
     物語の中でヴァイオレットは、伝わらない愛の苦しみを知り、伝えられない愛に苦しみ、、人が愛を失った悲しみを見て、愛される事を知り、自身が愛を失った事に気づくのである。そして自身の心を伝えたという行為により愛を取り戻すという流れから最終話への話の流れは、ややつたないおとぎ話ながらも素朴さと繊細さと浸りたい愛らしさがある物語であろう。
     視聴者を選ぶ作品ではある物の、いわゆるコッテリとしたジャンクフードやカレーライス、ラーメン的な味わいは全くないが、ごはんと吸い物のごとく素朴でごく繊細な味付けのみでつくられた料理と言えよう。刺激より安心感に重点を置かれた物語である。

    高畑勲氏の残した物を思う
     2018年4月6日訃報があった、日本アニメを代表する監督である高畑勲氏がお亡くなりになったとの事だ。氏は限りなく聡明で真摯で時に部外者の視聴者が見てもアニメーターの命を削るような作品を多く作られている。
     現在のアニメーションは良くも悪くも宮崎駿氏や押井守氏の作った作品の方向性で世界が回っていると言えよう。それは決して悪いことではないし私も大好きだ。実際私も子供の頃は高畑勲氏の作品が味気なくつまらない作品だと良く思っていた。やはり動きによる快楽に酔いしれ、コミカルな動きに熱狂し、センセーショナルな演出や設定や技巧に酔いしれる傾向は今でもある。
     曰くキャラがたってる、かわいい、ロボがカッコイイ、セックス&バイオレンス、フェティシズムとミリタリーのおもちゃ箱のような世界に酔いしれる享楽の世界である。ひいては非日常的日常に酔いしれる作品を持ち出してきてしまうわけである僕自身もこの魅力について多く語ることはしばしばある。而してそれを評して高畑氏は「君の言う日常はなんだ?」なのであろう(ただこれは後解釈かもしれないしかつまた決して批判しているわけではない。)。
     アニメーションの片翼は、間違いなくそのいわば動的なエンターテインメント性にあると思うし其れこそがもっとも動画において表現すべき点であろう、近年のスマッシュヒットであればガールズ&パンツァーなどにこの魂はみてとれる。一方で、いわば享楽的な快楽のベースに頼らない表現者は、静的なリズムや情緒を持っているように思われる。それこそが本質的にジャパニメーションのもう一つの片翼なのではないのかと感じるのである。それこそが高畑勲氏の遺伝子であり、近年の最上の作品の一つ片渕 須直監督の「この世界の片隅に」にも感じられたし、このヴァイオレットエヴァーガーデンの香りにも感じられるのである。素朴であったり耳の痛いような、いわば少しこっ恥ずかしくなるような話を描くには、真摯で真っ向から向き合ったアニメーションづくりが必要であり、逆にいうとそういう事ができる会社や監督の数はごく少数に限られているのである。このような方向性の作品いわば素朴な美しさを突き詰めた作品は作り続けていって欲しいとおもうのである。それこそが、日常であり、人間の美しさのいち面なのである。近年このような作品を維持するのは様々な面で難しいと思うし、評価されにくいと思う。しかし、この方向性を残すという気概および挑戦には敬意を表したい。

    さいごに



    道具であった少女が、言葉を紡ぎ伝える職業を通して
    注がれていた愛に気づく物語
    失われた物はあれど、少女は
    愛を知りヴァイオレットの似合う女性になる。
    人は人の気持ちを知り愛を知るのである。
    愛こそが人を救うのである。

     きわめて繊細な物語であるため、人を選ぶし、物語としての拙さもある作品であるが、オンリーワンの要素も大いにある作品であろう。是非このような詩的で素朴で一方で美麗なアニメーションの世界も楽しめる方が増えていただきたいのである。
    また、新作決定の知らせが届いた。
    ヴァイオレットの最期の手紙がどのような顛末をたどるのか結末も含め楽しみにしている。