幸福に関する記述(愛について):14
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幸福に関する記述(愛について):14

2018-01-08 15:56


     最初の方の記事で、
     (幸福)=(嬉しい、楽しい、愛)=(喜び)
     と書いた。

     しかしよくよく考えてみると、この中に「愛」を含めるのはちょっと違う気がする。
     嬉しい、楽しいに関しては自己の感情で完結する。

     愛に関しては完結できない。
     愛は相対的で必ず対象がいるのだ。
     愛は「愛す」か「愛される」かで、自分以外の誰か(何か)がいなければならない。

     そう考えると、根源的な(幸福)の定義に含めるのは違う。
     (幸福)は正常な幸福感の根源であって、「自己」で完結できる事。
     最初の記事の(幸福)(不幸)の定義は、「自己」という一人称の視点における感覚であり、時間的社会的な広がりを排除しようと試みている。
     (そう書いたかどうかは覚えてないけど)

     「愛」は仮想的であっても二人称の視点が必要だ。
     だから、最初の方の記事で書いてある(幸福)には「愛」は含まない。


     では「愛」とは何なのか。
     以前書いた記事で「幸福な支出」ってのがある。
     私はコレが「愛」だと思う。

     ただ、恋愛関係の愛とは違う。
     恋愛でよく使われる「愛している」は色欲や所有欲を含んでいる。
     同一か別かは要検証だが一応除外しておく。

     ここで言いたい「愛」とは、隣人愛だとか人間愛だとか、広く使われる「愛」である。


     幸福な支出の条件とは
      ①見返りを求めない(求めるとビジネスとなる)
      ②受け取りを強制しない(押し売り、対象が自分)
      ③快楽ではない
      ④対象の幸福のためである事


     今考えてみると、②③は④と統合できそうだ。

     ②の「受け取りを強制する」は対象の錯誤だ。
     受け取りを強制するのは施しをしたという状況が欲しいから、つまり愛を与えている実感が欲しいから、または自分に酔いたいから等である。
     (見返りを求めることは①に反するのでここでは除外)

     施しをしてあげたという状況が欲しい理由は色々あるだろう。
     優越感や、罪悪感の払拭など。
     そういったときの施しの対象は行為を受ける側ではなく行為をする側である。

     価値を支出する対象を錯誤しているのである。

     それも、根本的原因は(不幸)である。
     優越感は自分への不満の裏返しである。(自己への不満)
     罪悪感は何か謝罪が必要なことを隠したり、露呈したときの心理的緩衝材を欲している。
     (露呈する事への不安、露呈した際に発生するトラブル)

     ②の場合は
     対象が「行為をする側」であり、(不幸)のためである。

     よって、④の条件があれば②は除外される。


     ③の「快楽ではない」は、そもそも(幸福)に(快楽)は含まないと以前の記事に書いたことがある。
     (快楽)=(不幸を根本原因とした快)である。
     「対象の幸福のため」であるならば、快楽は除外される。

     ④の条件は
     「対象の(幸福)のためであること」
     となる。



     つまり、幸福な支出の条件は
     ・見返りを求めない
     ・対象の(幸福)のためであること
     となる。


     で、たぶんコレが「愛」なんだと思う。
     「愛」そのものについては何も語っていないけど。
     何となくそう思う。

     とりあえず、そう定議する。
     必要なら後で変更すれば良いし。


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