子供は動物であり、人間ではない。(学校のいじめに関して思う)
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子供は動物であり、人間ではない。(学校のいじめに関して思う)

2013-07-08 11:21
  • 6

 ある記事を読んでから、いじめについて考えると言う機会を持った。その記事とは関係なく、自分自身がいじめについてどう考えているのかを一応まとめておこうかと思う。
 当然、私自身の考えだからそれをどう思おうとも勝手だし、異論があってもそれを否定するものでは無い。一つの意見としてさらっと読んでもらってかまわない。

いじめとは

 まず、いじめという物から考えなければならない。
 文部科学省によると、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」だそうだ。元々の定義は「自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」だったが、平成十八年の調査からかわったらしい。

 まぁ、こんな定義なんて今はどうでも良い。今から考える「いじめ」は実際に起きている減少を細かく分類する訳で無く、もっと漠然とした概念での話だ。

 いじめを一種の精神的・身体的な集団リンチのようなもんだ、として考える。

 そして、この「いじめ」は自然界にありふれている。社会性を営む生物のすべてがこういった特性を持っている。サバンナの野生動物から、人間社会になじみ深い犬猫に至るまでが持っている特性だ。
 勿論それらの特性は主に種の保存という意味で、異分子を排除する本能であり、ひいては自分の身を守ることにつながり、弱い者を排除することで種の生存率を上げる意味もあるだろう。また、たとえ強くても種(若しくは群れ)を危険にさらすような存在ならば排除される。種の保存の本能に基づく正当な特性だ。

 つまり、「いじめ」は動物にとって至極当たり前な特性だ。動物ならば当然持っている”べき”特性なのだ。

 では、なぜ人間はいじめや差別をなくそうとするのか。
 これは人が発展してきた理由でもある。人は異分子(個)を尊重することで発展してきたのだ。
 人間は元々駆られる側の動物であったのにも関わらず狩る側にまわることが出来たのも、それぞれの個を尊重したからだ。動物たちでも役割をそれぞれ分担するという事はある。しかし、人間はそれをより先鋭化したのである。狩りでも獲物を誘い込むのがうまい奴、罠を作るのがうまい奴など。たとえそれが異分子であれ先鋭化した役割を担うならば、種として必要であるから、排除しなくなったのだ。
 こうして人間は役割分担を細分化し先鋭化してきた。それによって社会がより効率的にまわることを学んだのだ。だから人間は個を尊重する。奇人変人でも職人ならば尊敬されるのだ。
 つまり、個を尊重する特性は人間的な本能である。

 異分子を排除するのが動物的特性とするならば、異分子を尊重するのは人間的な特性と言えるだろう。

 これがいじめに関して思う私の考えだ。

子供とは

 話をいったん変えて、今度は子供に関する考え。
 私は子供を人間ではなく、動物だと思っている。その理由を自分なりに展開してみよう。

 人間は母親の胎内で三十五億年の歴史を辿っている、と言う話がある。
 受精卵を単細胞生物とみれば考えられない話ではない。生命の始まりである単細胞生物から人が現在の形になるまでの歴史を辿ってから生まれる。
 しかし、それは肉体に限ったことだ。精神は必ずしもそうではない。たとえ生物の歴史を辿ったところで、それらの生物で有ったときの精神を再現することは出来ない。生物が生きるには個体として独立して、外界の刺激から自己の存在を認識する事だ。あくまでもいるのは胎内なのだから、外界の刺激は極端に少ない。だから、精神の方は単細胞生物から、極端に少ない外界の刺激分しか成長していない。

 人の精神は生まれたときほとんど白紙であり、そこから人として生活する中で「人間」になっていく。精神の成長は主に外界に出てから急速に成長する。肉体は生まれるまでに急速に成長し、精神は生まれてから急速に成長するのだ。(それは社会の物理的な環境の変化が緩慢なのに対して、社会的な環境(情勢)が変わりやすいということからだろうと思われる。)ともかく、精神は自己として独立したときは、まだ単細胞生物と大差のない状態で、そこから人として成長をしていくということだ。
 それは、肉体が胎内でした三十五億年の歴史を、精神は生まれてから追従するという事だ。

 どの位で人の精神は人になるのだろうか。
 それは正直言って解らない。というのも、一般の人間社会を見ていて解ると思うが、あまりにも動物が多すぎるからだ。どういった人が「人間」なのか、まずその定義も推定できないほどに動物的な人間が多いので、私には解らない。
 ただ、その成長は肉体の成長と同様、連続的なものである。だから、その境目を見つけるという事は「人間」を定義するという事である。また、最終的な人としての進化が何かは私には解らない。だから、私にはその境目を明確に定義するという事はできない。

 ただし、少なくとも子供は動物である。
 よくチンパンジーやイルカが「人間の子供の○○才並の知能を持っている」などと言われる。この論理を逆にすればいい。○○才は対応する動物並の知能しかない。
 (まぁ、そもそも進化の系譜の異なった動物を、人間の知能という枠組みで判断すること自体がナンセンス、と言う話は置いておくとして。現代のチンパンジーも種として人間よりも劣っているという訳ではなく、チンパンジーとして進化した最先端である。種の優劣を考える事もそもそもナンセンスだ、と言う話も置いておく。)

 また、子供は子供だから許されると言う環境もあるだろう。子供らしいとされる特徴も多くは動物的な特性に起因していると思われる。

 法律的に、責任能力を求められる年齢というのがある。「事理を弁識する能力」というが、これは自己の行為の結果を想像することが出来る精神的な能力だ。大体11才くらいからあると言われている。これも逆に言えば11才未満には「事理を弁識する能力」はないという事だ。
 また、11才であったとしても、連続的な精神の成長の中でのことであり、段階的な成長ではない。11才の「事理を弁識する能力」は未熟なのだ。

 これは単純にモノを知らないという事が出来るかもしれない。
 モノを知らないというのは実際の経験を積んでいない、現実に起こるパターンを知らないということである。「原因→結果」のパターンが多ければ多いほど予想が正確になる。図式の分解能である。それは言葉の語彙が少ないのとほぼ同義(これは意味の概念の分解能)だ。人として生活するなかでこれを獲得していくのである。

 分解能が未発達の子供に対しておとなが大人の分解能で話したとしても正確な意味で理解できることまれだ。子供の頃に習った事柄を大人になって理解するという経験は誰にでも有るのでは無いだろうか。それは頭の分解能がその習った事柄を理解できるくらいになったという事だ。子供の頃に理解したつもりでも実際は本当の意味で理解できていない。未発達であるから解釈が曖昧なのだ。

 分解能が少ない、または意味の領域が不明瞭であるという事は野生の動物と同じだ。言語を持たない動物にとって意味を細かく分解することは出来ない。人間は言語(文字)を持つからそれらを共有でき、後世に伝えることでより分解能を精密に出来るのである。子供は言語を扱うことが出来たとしても人間とするにはあまりにも「モノを知らない」のだ。まだそれは動物のレベルであると言って良い。

 だから私は子供は動物だと思う。

前二つから結論

よって
 いじめは動物的特性。
 子供は動物。
 だから、子供はいじめをする。

 と言う図式が私の中に成り立つのである。

いじめをなくすな

 また、いじめをなくそうとしない方が良いと私は思っている。その理由を次に語ろう。
 
 先に述べたとおり、いじめを抑制しようとするのは人間的な特性だ。そして、人間的な特性を「大人」として考えると、ある図式が思い浮かぶ。
 いじめをなくそうという事は「大人」を強要することだ。子供に大人になることを強要すると言う図式は、一時期話題になった「アダルトチルドレン」と同じである。

 「アダルトチルドレン」は「Adult Children of Alcoholics」の略で直訳すれば「成人したアルコール依存症の子供」だ。これを拡張して、「幼少時代から親から正当な愛情を受けられず、身体的・精神・心理的虐待または過保護、過干渉を受け続けて成人し、社会生活に対する違和感があったり子供時代の心的ダメージに悩み、苦しみをもつ人々(wikipedia)」を総称する。もっと単純に言ってしまえば「大人になることを強要された子供」と言って良いだろう。

 とはいえ、研究者の一部は9割くらいの大人はアダルトチルドレンだ、と言っている。だからあまり神経質にならない方が良いのかもしれない。けれど、大人になることを強要するというのは、人間の正常な成長に横やりを入れる事だと思うのだ。

 動物なんだからいじめをする。そして、それは三十五億年の歴史のなかで人間の祖先が続けてきたことである。人間が人間となったほんの数万、長く見積もっても数百万年程度の本能が勝る訳がない。ましてや精神形成が未熟な子供に出来る訳がない。

 だから、いじめをなくそうとするのはやめた方が良いと思う。
 しかし、これはいじめをやめさせようとする子供を抑制しろという事ではないし、すべてのいじめを肯定するという訳でもない。
 いじめを全くないゼロにさせようとするのはやめろということである。

 そもそも社会的な問題にならない程度のいじめは日常のそこかしこに散見するものである。私が男よりも女性を優遇するのだって一種の差別だし、その中でも好みの女性をより優遇するのも差別だ。良く優遇するという事があるならば、逆に悪く排斥するという事もある。多くの相手から排斥されればいじめと取ることもあるだろう。特にモノを知らない子供ならばなおさらである。

 この次に語るけれど、いじめをゼロにしようというのは学校側の対応にも関係してくることだと思う。
 「いじめゼロ」を理想とするならば、その理想に近づこうとするし、学校側はいじめがないことを誇示するだろう。実際に起きたとしても隠蔽しようとするだろう。いじめがないことを前提としてしまうのだ。これによって対処するのが遅くなり重大事故につながるのだ。

 私からすると「いじめゼロ」は陰湿ないじめの温床だと思う。だから、いじめはあるものだ、と割り切って考えた方が良い。「いじめゼロ」は理想だけの夢物語だ。

学校の役目

 そして、ここから発展させて考えてみよう。
 いじめの問題が問題となるのは学校が主になるだろうから、そこを中心にして考える。実際のいじめはむしろ社会に出てからの方が陰湿で凄惨だが、大人として個人で対処できる。学校が問題となるのは、様々な理由から重大事故につながることが多いからだと思う。

 昨今、学校側の対応が話題となることが多い。いじめ問題の不手際だけでなく、体罰の問題もそうだ。学校側の対応を批判する意見が多くなってきている。そこで私個人が思う学校側の対応をここに書いておこうと思う。

 学校は教育を行うところとされるが、私はすべての教育をする場ではないと考える。個人個人の考え方を尊重するようになってきた現代において、人の根本的な考え方などに関して教育することはとても難しくなっている。当然だと思われる事が相手にとって当然で無い、という事は現代では良くあることだ。
 だから、根本的な人間性とも言えるような領域に関して、学校は教えることが出来ないのだと思う。勿論方向性を与えるために道徳系の教育をすることが駄目という訳ではない。それに対してどういった考え方を持つのかを強制することが出来ないという事だ。

 この辺りを考慮して考えてみると、学校側が教えることは知識に偏重することとなる。根本的なモラルに関する事を教えることは出来ない。そもそも現代において、そういったモラルを教えることが出来る教師がいないとも言える。教える方に教える知識がないならば、教えることは出来ない。当たり前だ。教師が知りもせず理解もしていない内容を教えさせようというのが大きな間違いだ。教師は知っていることを教えれば良い。そしてそれは主に学問である。

 一般的なモラルなどは本来「親となる者」が教える事で他人任せにすることではない。現代で「親となる者」は教師ではなく近所のおっさんでもなく、親権者(または、その親権者の親権者)である。もう教師の出る幕ではない。

 また、教師には善管注意義務がある、と良く学校でなにかしらの問題が起こるとニュースになる。この善管注意義務とは、善良な管理者としての注意義務のことだ。このことから教師は「管理者」だということがわかる。親権者でもなく監護者でもない、単なる管理者だ。

 親権者に認められた権利は、監護教育権(居所指定権、懲戒権、職業許可権、代理権)と財産管理権である。これらのすべてについて、管理者でしかない教師は行うことが出来ない、と考えるべきだろう。(体罰問題にもつながるが、懲戒権は親権者にしかないから、一切教師は学生に対して手を上げることが許されない。)

 学校が出来ることは管理者として出来ることに限られる。管理者に認められるのは主に保存行為だ。この保存行為に基づいた処分は認められる筈だ。
 たとえは古いが、腐ったミカンを処分する事は認められるという事だ。処分しなければ全体が悪くなってしまう。

 では、保存行為に当たるのはなんだろう。思い当たるのは、学問を教える事、学校にいる間の学生の安全。大体この二つだろう(他にもあるかもしれないが)。これらを脅かすことがあれば管理者として原因を処分することは認められる。

 この処分として出来る行為は、主に隔離だ。親権を代位できないから懲戒することは認められない。子供にも人権があるのだから完全に隔離することもあまり良くない。出来るのは一時的な隔離だろう。(ただ、継続的に問題があるならば完全隔離もいいだろう。)

いじめで学校がすること

 いじめの問題について学校や教師がすることを考える。

 前述から学校側は管理者として、学生の学問の進捗の管理と身体的・精神的な安全に関する管理をする義務があると考える。
 学問の進捗に関しては今まで通りでかまわないだろう。身体的な安全に関しても今まで通りで良いと思う(危ないことしてたら注意するだろうし)。問題は精神的な安全だ。

 精神的な安全を管理するためには、学生の交友関係と交友関係・学級での役割・立場を見極めておくことが必要だ。そして、いじめがあることを前提にして、問題にならない程度の動向も管理しておくべきだ。

 そして、問題になりそう、または問題になったならば管理者の権限で原因を隔離する。隔離は管理者の独断と偏見によって行ってもかまわないだろう。早急に動くためにはそうした方が良い。本当の原因はその後調べれば良い。

 良くあるのが、教師側がいじめの動向をキャッチしているのにもかかわらず、面談の上当事者が大丈夫と言ったから放っておいたら自殺したというケースだ。、口止めされている可能性もあるし、教師といじめの当事者との面談は意味がないだろうと思う。また教師の思う大丈夫と、学生の思う大丈夫は異なる場合がある。本当の意味で会話できているか疑問だ。何せ子供は動物である。

 こう考えてみると学校の教員というのは動物園の飼育員と似ている。子供が動物である事は前述の通りであるから、まさにといった感じだろうか。いじめに関する問題も動物園と同じように対応すれば良い。
 もし動物園でいじめがあったら飼育員はどうするだろうか。まず真っ先に隔離するだろう。時間を空けて戻して、それでも直らないならば別の動物園に移送するなどの対処がされる。
隔離する際、飼育員が動物の意見を聞く事なんて無い。外観からの独断と偏見だ。けれどそれが動物の安全にとって一番なのだ。

 つまり、いじめにおいて学校が行うことは、有無を言わさず隔離、直らないなら原因側を転校させる。という事になる。(動物なのだから反省させるのも難しいと思う。)

 転校となれば、損害が親側に発生する恐れがあるので、原因となった側を転校させるのが妥当だろう。隔離をするときは独断と偏見で。その後原因を究明する時間はある。(被害側を転校させて損害が出たなら学校側は損害賠償に応じなければならない。原因となった側ならば請求することは出来ない。)

 学校側は、こういった善良な管理者として、保存行為に基づく処分を積極的に行っていくべきだろう。これは何もいじめに関してだけでなく、他の問題のある学生に対しても出来ることだ。


 長くなったのでまとめてみる。

 いじめは動物的な特性。
 子供は動物。よって子供はいじめをする。
 いじめを完全になくそうという理想を持つといじめを隠蔽するようになる。
 学校は管理者であって親権者ではない。
 学校は動物園の飼育員と同様の役割をもっている。
 問題があればさっさと隔離するべき。
 直らないなら悪い方は転校させろ。
 
 私が学校のいじめに関して思うことはこういう事だ。
 これ、最後だけでも良かったような気が、しないでもない・・・・・。


 余談だが。
 私の経験上、いじめる側が悪いときは全体ではなく、一部に無関係の者がいる事が多い。いじめられる側に原因がある場合は学級全体で行われている事が多い。
 スクールカーストと言う概念がある。子供は学級内で無意識に順位付けをしていると言う。大体の場合いじめる側になるのはカースト上位でいじめられる側はカースト下位だ。カースト上位が加害者になりやすいが、最上位に位置する学生がいじめに荷担することはほとんどない。
 例えば上から順に一位から五位のグループを考えて、二位のグループがいじめをすればそれ以下の学生は従わなければならない。しかし、一位は従う必要がないので無関係だ。
 いじめられる側に原因がある場合、いじめをするメリットのない最上位の学生も排斥に動いていることが多い。またその場合いじめられる側はどこのグループにも所属してない、していたこともないと言う特徴がある。



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×
 フ~
 長いけど、なんとかがんばって最後まで読み通したよ。

 そうだな~、基本的には説得力あると思うけど。
 特に「いじめはゼロにする必要はない」って所なんて、普通に考えたら叩かれそうな意見だけど、結構、理にかなってると思うもの。
 現実的に見て、完全になくすコトは不可能だし、そこまで求めるのも効率が悪いし。それだったら、ある程度いじめを残しておいてでも、他の対策をした方がいいからね。

 たとえば、子供、1人1人の耐久力を上げるとでも言うのか。あまりに過保護にし過ぎると、大人になってからちょっとしたダメージにも耐えられなくなってしまうからね。そういう意味でも、小さい時からケンカしたり、いじめたり、いじめられたりというのはあってもいいと思うんだよ。
 逆に、あまりにも酷いいじめ(たとえば、自殺まで追い込まれるようなの)は絶対に防がないといけないと思うけど。
85ヶ月前
×
>>1
コメありがとうございます。

長くて済みません。どうしても無駄な部分を切るのが下手で・・・。

>たとえば、子供、1人1人の耐久力を上げるとでも言うのか。あまりに過保護にし過ぎると、・・・

ですよね。日本はどうしても過保護になってしまうようで、それも充分虐待なんですけどね。
ある程度はないと社会に出られなくなってしまいますから。
85ヶ月前
×
 素直にここまで物事を考えれることに賞賛以外に言葉が見つかりません。オフウさん凄いです。

 イジメの対策は以前から述べている通り、隔離、その後、問題児の排除より、僕は、いっそ学校なんて行かないでいいと思っています。学校でコミニケーション力磨くとか社会の秩序とか常識とか学ぶことがいっぱいあるとか言ってますが、そんなモノは学校外でも学べると思ってます。(学校に行かないというのも隔離に該当するかもですが)

 ここから語るのは極端な例でいまの社会では現実的ではないのですけど、せっかくだから書きます。


 いっそ、何歳でも仕事が出来るようにしてあげる。仕事をする能力があるなら、何歳だろうがです。

 社会に出れば年齢差がある人と組むことのほうが多い訳なのだから、年齢関係なく仕事ができるようにすれば無理やり学校にいかなくてもいいのかなーと浅い考えなんですけどね。

 それでは、子供の教育を受ける権利侵害だとか、遊ばせあげるべきだと言われると思いますが、仕事をしたい、技術を拾得したいと思う子供に無理くり、画一的な指導をすることがの方が歪みを生むのかなーと思ったりします。

 それに、仕事って技術的な事は、はっきり言って大人じゃなくても出来る出来ないでいえば出来ないことってそんなに無いと思うのです。

 子供同士、似たような者同士が集まったりするから、どうにか差をつけようとする心が生まれやすいのかなと思います。
それなら10歳と30歳とかが組んで仕事を通して色々学んだほうが、面白いかな~ と考えましたが、あまり現実的じゃありませんんのでこの辺で終わります。

85ヶ月前
×
>>3
コメントありがとうございます。

>僕は、いっそ学校なんて行かないでいいと思っています。学校でコミニケーション力磨くとか社会の秩序とか常識とか学ぶことがいっぱいあるとか言ってますが、そんなモノは学校外でも学べると思ってます。(学校に行かないというのも隔離に該当するかもですが)

 学校に関しては私も絶対的に必要だとは思っていないですね。行くのがつらければ行く必要はないと思います。
 友達がいたら子供は楽しい。じゃぁ友達を作れる環境を。
 主に子供のための学校の意義はその程度だと思います。子供にとっての意義を子供が感じないなら行く必要はないかと。
学問は社会にとっての意義で、子供にはあんまり必要ないですし。(勿論大人になってから困るので必要だとは思いますが、学校で学ぶ必要はない。)

>いっそ、何歳でも仕事が出来るようにしてあげる。仕事をする能力があるなら、何歳だろうがです。
>それでは、子供の教育を受ける権利侵害だとか、遊ばせあげるべきだと言われると思いますが、仕事をしたい、技術を拾得したいと思う子供に無理くり、画一的な指導をすることがの方が歪みを生むのかなーと思ったりします。

 子供が、仕事に関する技術を、遊びと同じ感覚で出来るならば、どんどんやらせたら良いですね。
 個人的には「仕事≠遊び」ではなくて「仕事=遊び」だと思ってますし、そう思うべきだと思ってます。特に日本人は。
 もし、一生楽しめることを発見することが子供自身出来たなら、その子供はとても幸運で、もう学校の学問はそこまで必要はないと思います。
 学校のする教育はすべての職業の根本的な基礎となる学問です。将来どんな職についても、まぁ何かしらが役に立つだろう、程度のものだと思ってます。ただ、逆に言えばそれらの得意不得意によって将来どうするかの目安になっている、とも言えると思います。学校のメリットの一つですね。この点から画一的な指導を「強制」するのは虐待かなぁと思います。
 画一的な指導が歪みにつながっているというのは私も賛成です。徒競走で順位をつけないとか、学芸会で全員主役とか、だから子供は無意識に違いを求める。ただ、これは親の過保護の問題かね。いじめにつながる親の問題というか。

>社会に出れば年齢差がある人と組むことのほうが多い訳なのだから、年齢関係なく仕事ができるようにすれば無理やり学校にいかなくてもいいのかなーと浅い考えなんですけどね。

コミュニケーション能力という点で学校が必要かどうか、という事ですかね。
学校をコミュニケーション能力を鍛える場所との認識からの発言でしょうか。

 これはどうなんでしょうかね。コミュ力がどのように獲得されるのかが良く私には解らないです(私自身がコミュ力低いので)。コミュニケーションは学校に行ってようが、行ってまいが、ある人はあって無い人は無いと思います。
 相手に対する尊重があれば年齢なんて関係ありません。個人個人の精神的な領域に関する事で、「権利と優遇」の問題にもつながってくるような気がしますね。ただそれをどこで人は学んでいるんでしょうか。学校ですかね。ごめんなさいちょっとよく分からないです。

>それなら10歳と30歳とかが組んで仕事を通して色々学んだほうが、面白いかな~

 これは別の意味で面白いと思います。10才が教える側で30才の方が学ぶ側にまわるならばとても面白いですね。日本の上司となる人は部下の言うことが聞けないし、若者の権利をないがしろにしがちですし、優れた若い才能を無能な上司がつぶすというのは日本の社会では良くあることです。若者から学ぶという姿勢を30くらいから認識すれば若者によりよい世界になるかもしれません。ただこれはいじめとはあんまり関係ないですね。すみません。
85ヶ月前
×
ふひゅーなかなかの長文ですね…本を書いたら人殺せそうな本描きそうですね。
(こ、これは褒め言葉なんですからね、一応。あと私自身に対する自己弁護であったりなかったりする。私自身の誤字とかなんて気にしませんわよ。)

合理的な考え方で概ねよろしくってよ。(上から目線ですみません何もしませんけど)
ただし二点気に入らないことがございますの。
子供=動物これはその通りだと思います。しかしながら大人=動物であり、人=動物であることは生物学会で揺るぎのない事実でございます。
人間だけ、生物界隈で特別なんて考えを持っていても良いとは思いますが、生物界の哺乳類類人猿人科、一つの種族にすぎません。私、人間を特別扱いする論調は好きではなくってよ。

2点目、『そして、この「いじめ」は自然界にありふれている。社会性を営む生物のすべてがこういった特性を持っている。サバンナの野生動物から、人間社会になじみ深い犬猫に至るまでが持っている特性だ。』
という箇所ですの、様々な合理的な思考から生み出される仮説大好物なのですが、生物学的な知識がない人にとっては、眉唾物ではないでしょうか?
ここの箇所ではできれば実際の例を挙げてその知識がない人に納得できるように説明してくださると説得力が増すと考えますよの。
個人的には、大人子供通して人間界より人間以外の生物界のほうがいわゆる『いじめ』と言われる現象が少ないような気がしますわね。『いじめ』の定義に合致するかわかりかねますが大人の『いじめ』例を以下に挙げますわ。

A:大人になっても自分又は他人のの子供、親、異性を虐待する人多々いらっしゃるのではなくって?
B:個人的サディズムな嗜好のため実験・拷問を行う人(大人)も歴史上に多々いらっしゃるのも事実では?

Aについては、様々な虐待事件九州監禁事件、新しのは、尼崎事件、『隣の家の少女』で有名なバニシェフスキー事件等が例に上がるでしょうか?この例に挙げたものは大人+子供の事件も含みますが。法的に加害者になるかどうかは勉強不足ですが。

B:については、ヨーゼフ・メンゲレや魔女狩り裁判、アウトカースト者に対する犯罪等が上がりますかね?
  アウトカーストに対してはどこの国は挙げませんが、レイプ殺人しても地域の警察はなかなか動いてくれ無いらしいですね死体は燃やします。

ねここねさんのおっしゃる年少者の労働に対する考えは、とても共感できますね。人(個人差にもよりますが)は実践を通してかなり成長しますから。十回の研修りょりも一回のプロジェクトですわ。
しかしながら児童労働については国際労働機関(ILO)を納得させないといけませんね。
ちなみに私は小学生のころから新聞配達をしてましたね。(どうでもいいですね)

オウフさんの隔離政策は個人的にはかなり有用だと考えますね。
特に私が「いじめ」問題に対してとても憂慮しているこ事の一つとして貴重な才能と財源が無に帰する可能性がとても高いというころでしょうね。
集団としての国や地域・自治体は、もっと積極的に取り組むべきでしょうね。
んまーそのトップが個人主義ならばその考えにはなかなか至らないのでしょうが…
実際被害が発生した場合の集団に対する損害を±で算出してみたらどんな感じになるか気になったりしたりしなかったり。
少々マッドすぎますかしら。

学校の有用性についてですが、まずコミュニケーション能力のつくつかないのお話です。
私は、学校ではなく地域でつけるものだと考えております。私自身は周りがガキばかりだと考えていたので積極的に大人やほかの世界(テリトリー)の人間とコミュニケーションを取るように努めておりました。
そういう能力を意図的につけることを目的としていたからです。危機的状況に陥っても取り乱さないように不良のたむろする場所を歩いたり。酒を飲むようになったら、危険な話をしている外国人に話しかけたりしてメンタル・コミュニケーション応用能力を鍛えました。(結果は稚拙な文章でおさっしでw)

さて、学校の必要性ですが2点ほどございます。これについては現状の学校がそのように機能しているかどうか不明ですので理想をかなり含んでおりますの。

1:まず目的・存在意義として学ぶ事を学ぶ
 人は人生において様々な事を学んで生きていきます。その学ぶという事の根本的な事を学ぶためにぞんざいしていると考えております。何かを学ぶという事がどうすればいいかという事が本人に染みついておれば、その時が来た時に自ずと切り開くことができるでしょう。
 学校では、その手法と学ぶ事の意義を教えるところであって欲しいし、学校に行く人はまずそこを意識してほしい。 

2:環境です。
 これは、学校でしか味わう事の出来ない特殊な環境です。多種な集団(カテゴリー)を無理やり箱モノに閉じ込めることにより、半強制的に幅を広げることができます。思えばいろん奴がいました。
まわりにくだらないと思えるやつしかいなかったら運がなかったと考えるしかありませんが、将来を見据えて人脈作りを楽しむこともできますわよ。絵がうまいやつ、服飾がうまいやつ、喧嘩が強いやつ等。
ちなみに、絵がうまい人には、昔仕事を手伝ってもらった事もありますの。もう仁王像みたいな力強い良い絵をかく人でとても特養的で好みでしたのよ。
人的環境ともう一つは、学ぶ事に適した環境ですの。
こちらは大学的な要素のほうが強くなりますが、図書館、標本、実験道具高度なものになるととても自信では手が出せないものがあったりしますのよ。そういうものも意識すれば有用に利用しようと考えることができるのでは?

この二点は、小学生に上がって(義務教育をする段階で)ちゃんと学ぶ側に伝えるべきだと考えますの。恐らく、その考えに自然に至る人ってごくごくまれだと考えられますので。

ちょっといじめ問題とは直接ずれてしまいましたが、理由のないいじめについては、目的を持って学校へ行くという考えをここが持つようになった場合、無根拠且つ願望も含みますが多少(100が80程度)減少するのではないでしょうか?

目的をもった調略的な『いじめ』は、より多く発生しそうですが…
ほらそれは、大人にもありますから…いい訓練になりますよ。

とにもかくにも、合理的思考から生み出される様々な仮説を謳う論調とても美味しゅうございましたわ。
85ヶ月前
×
>>5
コメントありがとうございます。

口調が面白いですね。最初はぎょっとしましたが、案外読みやすくて癖になりそうです。

指摘に返答していきたいと思います。
まず、「人間的な特性」の言葉についてですが、必ずしも人間を特別視している訳ではないです。ただ、この文章ではそうなるように意図したところがあります。と言うのも動物的特性と、人間的特性を対比させたかったからです。そうした方が何となく解りだろうと思ったからです。だからこの文章では人間的な特性を動物的な特性とは一線を画した習性として扱ってます。
で、実際どうなのかと言うことを考えてみます。
ある動物(A)で考えてみましょう。ある動物(A)が(A)となったときに取得した特性(a)を、(A)的な特性といえるだろうと思います。そして、それ以前、(A)が(A)となる前までに有していた特性を((A)以前からの)特性といえると思います。
つまり犬であれば犬以前の進化に過程にあった動物が動物的な特性となり、その動物的な特性には犬の特性は含まれません。
人間的な特性とは、本来の動物という概念の範囲から人間となったときに取得した特性を除いた部分という事になるかと思います。この文章中ではそういった形で○○的特性といっています。

動物的と言った場合、本来人間も含みます。良く表現上で「人間らしい」という事があります。そういうときは大抵、浅ましく欲望にまみれた姿、他をないがしろにして自らを優先する姿などを言うと思います。これは本文章中に出てくる人間的な特性には当たりません。これは動物的な特性という事になります。
ただ、上記「人間らしい」も事実です。そういう意味で人間は動物である事を捨てきることは出来ないと思います。
世の中に本文中に出てくる人間的な特性のみで生きる者があったら、それは「神」もしくは「仏」になるだろうと思います。これを本文に出すと宗教的になりそうだったのと、さらに長くなりそうなのでやめました。
で、この「神」とか「仏」というのは一種人間の向かうべき先だと思います。ちょっと話はずれるかもしれませんが。
人間が人間的な特性を有したという事は進化の過程で一つ先の段階へ進んだという事です。しかし進んだとはいえ、まだ進化は終わった訳ではないのでいまだその過程にいます。その先に「神」とか「仏」の、言うならば「超人間性」があり、さらにその先に次の段階がと進んでいくと思います。またそれはその他の動物すべてに言えることで、猿も猿となったときの特性「猿性」を持ち、さらに進化するための「超猿性」を求め、かつ、それ以前の動物的な特性も完全に捨て去れません。そして、広い意味で動物的といった場合、人間的な特性だけで無く、こういった進化に関する特性も含めて動物的特性と言うだろうと思います。
ともあれ、いろんな意味でとらえることが出来る言葉を論理の中で使ったの至らなかったですね。


えっと次は、
動物の持つ特性としてのいじめの例示をあげよ。という事かと思います。
これはね、本ともう、なんていうか、この部分を読んだ瞬間にこう思いました。
「ば、ばれてる・・・」
この部分は一応プロットの段階で「例2,3」と書いてはあったのですが、いざ書く段になって全然出てこなかったために「あっ、いいや」と切った所なんです。
 例をあげるのは今でもちょっと思い浮かばないんですよね。「獣医ドリトル」にいくつかあったので、今朝方近所のブックオフに行ったんですが残念ながら本自体がありませんでした。
 しかしながら、これはnekoさんのいう自然界に方がいじめの事例は少ない、という事にもつながってくるのですが、人間が動物のいじめに関する事例を見つけることは結構難しいことです。まぁ言い訳にしかなりませんけど。あっても大体が結果論的な推察になってしまいます。
 そもそも人間以外の動物の多くには異分子の排除というのは当然に行われている事です。なので、もし起きたらそれは異分子個体の排除となり、異分子個体は群から離れるか死ぬか二つに一つとなります。動物の多くはそうやっていわば自らの種を先鋭化したので、異分子の排除は当然として行われます。だから実際これをいじめとするかは意見の分かれるところです。
 猿で、群の第一位が第二位以下数匹によって群を追い出されるなり、群での順位が低いのにメスに手を出したことで群を追い出されることは良くある訳ですが、これを人間が現場を見て確認することはまれです。ただ、結果その個体が傷ついたり死亡したり、その後の群を見てそうに想像したにすぎません。そして、それがいじめかと問われれば微妙なところでしょう。動物にとってはそれが当然ですから。いじめになる根源的な特徴で当然にそれを持っている動物にとってはいじめとは言えないのかもしれませんね。
 現実として、人間以外の野生の動物はいじめはあまりしないと思います。されたら死に近い状況になる事を知っているんでしょう。
 まぁ例示としては弱いかもしれませんが、ドイツの動物園で人気になったシロクマのクヌートにはいじめらしき事があったようです。動物園のチンパンジーの飼育に関する本を見ると他にもいくらかあるようです。
 
Aに関してですが、これはどうなんでしょうね。ここで想定していたいじめの域ではないかもしれません。
 考えるときの根本的な概念として思うのは、人間の多様性でしょうか。本文中では触れてませんが、遊戯としてのいじめというものもあります。それを考察するのには「種の保存」は弱いかと。それで、人間の多様性を生物の多様性ととらえれば別の見方が出来てきます。つまり生物の多様性と人間の多様性はフラクタルだ、という事です。精神的な世界において、人間の多様性は生物の多様性と等しい。猫がネズミをわざと殺さないようにいたぶる行動がありますが、人間は人間同士でそれを行えます。猫的人間はネズミ的人間をいたぶれるのです。

 そして、家庭内の暴力ははたして、いじめと言えるのでしょうかね。大抵はいじめといった場合その相手に対してさほど強い興味がある訳でないと思います。しかし、家庭内暴力やDVなどは相手を愛しているのは事実なんですよね。根本的な部分違うような気がします。勿論いじめに分類される事柄だとは思いますが、わたしには勉強不足で解りません。

 Bもまたこれは難しい事ですね。
 大人の感覚は歪んでしまっているので想像するのが大変なんですが、男性が持つ「血の酩酊」とか、知的好奇心なども関係してそうですね。いろんな頭の中の概念が癒着して何がどうなるかはもう全く解りません。わたしの友人にピンヒールを見ると前傾姿勢になる男がいますが、これと似ていると思います。快楽と残虐性がどういう経験からかつながってくっついてしまったとしか言いようがないですね。
 でははたして、それはいじめなのだろうかという事になってきますね。
 ただ、社会的な平均からずれていると言うだけの話しで、ガンダム好きがガンダムを押しつけてくるのと似ているかもしれません。そうなるといじめとは言えない様な気がしますね。

 とりあえず、こんな具合で、大分長くなってしまいましたし。

 学校についての意見は散光になります。
 人生そのものが学ぶことの連続ですからね。よく大学を出て猛勉強しなくて良いと動物返りする人もいますが。学校で学んだのと同じようにその姿勢はずっと持っていないとですからね。(逆に日本の教育は上から教えるだけで、学ぼうとする人が少ないと言う事にもつながってきそうですけど。)

口調を含め、興味深いコメントありがとうございます。
 
85ヶ月前
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