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「自ら命を絶つことは許されることではないと思います」2
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「自ら命を絶つことは許されることではないと思います」2

2015-08-18 06:00
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 日本には精神に関する病院もなければ薬屋もないって、前回書いたけど。

 じゃぁ実際どうすればいいのだろうってことになる。

 これも肉体と精神を置き換えてみればいい。
 昔は肉体についても病院もなければ薬もない環境だった。

 そんなときは手当をしたわけだ。手当ってのはそのままの意味で手を患部に当ててやったんだ。

 それだけで多少ではあるけど痛みが軽減する。

 これは肉体的な同調によって痛みを一部請け負ってやる、なんて言われているけど、理論はよくわからない。ただ実際効果のある方法だ。

 これと同じことをしてやればいい。まぁ単純にはいかないけど。
 小さい子供なんかだと精神の問題であっても肉体的同調でも十分なんだけどね。

 むかしCMで子供がわがまま言ったりした手が着けられないとき、叩くのではなく、抱きしめてあげてください、ってのがあった気がする。

 子供がわがまま言ったりするのは大抵言葉通りではなくて、なにか満たされない鬱積があるときだ。しかし子供はそれを表現する言葉を持たない。子供自身もなぜだかわかってないんだ。

 だからそうなったときは、とりあえず同調して癒やすと言うのが効果的なんだ。

 末っ子はわがままなんて言うけど、純粋なわがままじゃなくて、別の部分でのいろいろと我慢していて、不満がたまって爆発しているだけなんだ。わがままは不満の代替行為として現れるんだと思う。

 だから不満の部分を埋めてやれば治まる。子供は精神と肉体の分離が良くも悪くも未熟だから、肉体的同調で精神も満たされるわけだ。

 ただまぁ、せいぜい使えるのは小学生くらいだろうな。大人に対しても使えないことはないが、気恥ずかしさが先に立ってしまうから。よほど親しい関係ならありかも知れないけど。

 中学生以降は精神には精神に同調しなければならないと思う。

 ドイツの言葉で「人と分かち合えば、喜びは倍に、悲しみは半分に」なんてある。

 これは同調による効果を言ってるんだと思う。

 ただ精神部分を同調させるのって結構むずかしんだよね。

 精神的同調は大枠では共感ととらえていいと思う。


 ただ、なかなかね。たいていの場合は何か問題があることを言われると、下手にアドバイスをしてしまうんだよね。

 そもそもアドバイスって他者の視点になければいえないことだから。

 相手と隔絶して、線を引いて、三者的視点にいる。好意的な拒絶だ。

 アドバイスをしようと言う姿勢は好意的だが、分かち合おうという姿勢はないのだ。

 共感するって結構難しいんだ。特に男にはね。


 また話が脱線するけど。

 女性との会話なんかで失敗する人が多いみたいだから。

 まぁ、女性は普段から共感で話をすると言われている。ネガティブになっている人と似てなくはない。女々しくなるなんていう表現もあるし。

 女性を落とすには「へー」「そうなんだ」「それはすごいね」だけうまく言っていればいい。という話がある。

 共感というのはこういうことだ。ぶっちゃけていうと、話を聞いてやれば共感されたって勝手に思うから、それだけでいい。

 ネガティブな人は相手の態度を細かく観察しているから細心の注意がいるけど。
 そういう場合でも、とにかく話を聞こうという意思を持って聞いてやればへたくそでも大丈夫だ。

 しかしながら、男というのはね、特に女慣れしていないのは特に、三者的視点でものをいうんだ。

 仕方ないと言えば仕方ないけど。
 会話において女は共感を重要視するけど、
 男は個性を重要視するから。

 ふつうの男の会話はいつも三者的視点でするんだな。

 だから女性との会話でも同じ対応をしてしまう。

 よくあるパターンの一つとして、「○○でしょ。」「○○ってことだろ。」なんて言ってしまうことだな。

 ○○が相手の話していることと少しでもずれていたら目も当てられない。

 女は話をして「うんうん」と頷いてもらいたいのに、それを遮った上に、言っていることが違う。男にとって都合のよい曲解だとなおさらだ。

 遮られて不快になるだけでなく、ちゃんと聞いてないじゃないかってなる。
 このとき女性側の非論理性は関係ないから。とんでもない分かりにくい話でも、分かりにくい話をしているおまえが悪いと言うことにはならないんだよな。


 男同士の話だとそうなるんだけど。

 女の会話の目的は、主に話すこと自体で、その上で欲しいのは相手の共感だからね。

 つきあう前のデートとかだとさ、ゲインロス効果もあって、たぶん最悪の印象になるだろうね。

 ちなみに、女が男を落とすのに逆をやればいいって事にはならないので。

 つまり、男は相互理解のために会話を行う。相手と共感できなくても、別の意見であることを認識して尊重すること。会話はその理解を深めるために行う。

 男の話を聞きつつ自分の意見をぶつけ、相互理解して、相手を個人として尊重してやる。これで仲良くなることはできる。

 ただ、男はこういう女に対して「おまえは女には思えない」とか言うから。

 恋愛対象から同じ仲間扱いになってしまうんだな。

 かなり、脱線したな。


 本当に共感するためには、とにかく話を聞いてやることだ。

 さらに同調するためには相手の状況をトレースすることだと思う。

 これは演技というか、演劇やったことのある人ならわかるんじゃないかな。
 役作り初期段階問いうか。

 役を作るのにまず必要なのは情報だから。想像するための材料集めとして聞いてみるというのは方法論としてありかも知れないなぁ。

 相手の話でよくわからないところがあれば深く聞くだろうし。

 とにかく共感するには、相手の状況を細かく知らなければならない。材料が多くなればなるほどトレースしやすくなる。

 相手の傷跡に手を当ててやるならこれくらいはしてもいいと思う。

 とは言ってもやりすぎると依存関係になりそうだけど。薬と同じで癖になってしまうんだな。

 確かカウンセリングに関する本で読んだ気がするなぁ。距離感が近くなりすぎると引きずられて離れられなくなる。

 でもまぁ、家族なら、苦しいときならば、いいんじゃないかな。

 そうやって話を聞いて最後に「わかった」というだけでも、多分下手なアドバイスをするより十分すぎる効果があると思う。

 下手に何か言おうとしたって意味ないんだって。痛みを抱えている人間には黙って手を当ててやる。そういうのが必要なんだ。


 それにさ、何かしら対策をするなり、解決に動くなりするにしても、アドバイスをするにしたって、話を聞いた後でも遅くないはず。


 まぁ、そういう人が周りにいないなら、自分で手を当ててやるしかないんだが。
 ノートに書き出すなどして、自己カウンセリングするしかないな。ノートに書き出すだけでも十分効果がある。人に話す方が効果あると思うけど。


 似非良識家は多数の耳に心地いい言葉ばかり吐いて、実体なんてみないからな。
 今回のいじめに関する話題でも、いじめられる被害者に対する言葉ではなく、それを聞く部外者に向けた言葉のような気がしてならない。もちろん自分の薄っぺらい人気のために。



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自ら命を云々って話は結局自分の命を肯定するための理屈だよな、この人は死んではいけない、だから私も死んではいけないって思うための。正直自殺にも色々あって現状を憂いて死ぬ場合もあればもうこれ以上することもないしそろそろ死んでもいいかな、という感じで自分の死期を自分で決めるための自殺もある。
中には死よりもひどい苦痛が明らかに待ち受けていてその先にやはり死しか待っていない場合にそれを回避するために予め死を選ぶ場合もある。
自殺を否定する人はそのような死を望む状況を実のところ体験したことのない人であったり、そのような状況を体験してもなんだかんだ生きたいと思えることがあった、もしくはその見込みを持っている人だけ。
自殺という選択肢が当たり前な地域や集団では仲間うちの誰かが自殺してもそれを悪い事ではなくその人の決断として受け入れて弔うことが多い。
人が自ら命を絶つことを認めない人は人の命を奪うことと同じくらいに自己中心的なものの考え方ではなかろうか。
71ヶ月前
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世の中には何の因果か本当に微塵も生きる希望というものが与えられない人達がそれなりに大勢いるという当たり前の前提を忘れてはいけない。
人はなぜ人を殺せないのか、と当たり前のように世界中で殺人が行われているのに大真面目に議論する輩と同じ愚を犯すべきではない。自殺は絶対的な悪ではなく、認めるべき場合もありうる生き方の一つである。
71ヶ月前
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また、何かあれば自殺すれば良い、だからその時まで全力で生きようとして周りの圧力に屈せず素晴らしい業績を残す人は多い。通常圧力というのは、これから先も平穏に生きていきたければわかるよな、というものが多い。それに屈しない人はいわゆる腹を括った状態、死を覚悟した上で生きるための努力を全力でする。しかし、死ぬという選択肢を受け入れることが許されないとすればそのような行為は許されないことになり、この世は圧力のみが支配する一部の権力者の思うが儘の世界になる。
実際に見たことのない人には信じられないだろうが、今現在この日本を引っ張っている連中で常に笑顔を浮かべている奴らは人が死ぬことは別に良い、そこから利益が生まれるか否かが重要だという考え方で生きている。その利益も結局は自分の利益のことを言うので、しばしば、俺の考え方に合わせないからあいつを自殺に追い込もうなどという理由で人を死に追いやった挙句それをネタに酒を飲み大爆笑する輩もいる。
そういった連中を相手にするのに死を覚悟せずにはやっていられないし、いざというときは自ら命を絶たなければ人としての尊厳が根こそぎ奪われてしまう場合もある、それなのに自ら命を絶つことは許されないと言われればその人はまさしく生き地獄の中で寿命が尽きるまで廃人として生きることになるだろう。
希望ややさしさが当たり前にそこにある前提でものを語るべきではない。
71ヶ月前
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