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【不定期連載小説】うちの子を、よろしく。(30)【最終回】
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【不定期連載小説】うちの子を、よろしく。(30)【最終回】

2013-06-05 19:05
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前回→http://ch.nicovideo.jp/hiepitap/blomaga/ar242617



「祝!」
「週間売り上げナンバーワン!」
ドンドン。パフパフ。
口太鼓と口ラッパで、祝福された僕は引きつった笑みを浮かべた。
ここは画集を出版した出版社の編集室である。
先ほどのお囃しと口太鼓等は、例の子煩悩の男性担当者と人見知りの新人女性編集者だった。
とりあえず、祝われたので御礼はしておいた。
だが、僕は新作の挿絵についての打ち合わせで呼ばれたはずだったがどういうことだろう。
「で、あのー、今日の打ち合わせは」
「もー、先生つれないなあ、もうちょっと祝わせてくださいよ」
「はあ」
担当者がくねくねと動きながら言うので、気持ち悪いと思いつつ返答した。
「実はですね、今度日曜日のお昼のテレビ番組で発表されるんですけどね」
「はあ」
「何と!先生の画集が週間売り上げランキングにランクインしましたー!」
わー。ドンドン。パフパフ。
「え、それ本当ですか」
「リアクション薄いなぁ本当ですよ、ねえ君」
「ええ、先輩」
新人はかなり人馴れしたようだ。こんなふざけた態度まで取れるようになっている。
「画集、売れたんだぁ・・・へー・・・」
実感は全くない。本屋にも行っていないし、状況など全く分からないのだ。
なので、上滑りするようなリアクションしか取れないのは仕方ない。
「まあ、ランク入りと言っても、上に小説とか漫画が入ってるのは仕方ないんですけどね」
でも、画集と言うジャンルでランクインは快挙ですよ!と持ち上げられた。
担当者の調子に乗りっぷりに拍車が掛かった気がする。
画集では1位ですよ!と新人まで乗せてくる。
凄いなあ。
「えっと、多分皆さんのお陰です。ありがとうございます」
「いやいやー!先生のお陰ですよー!まあこれから月刊売り上げとかありますけど、まずはめでたい!ということで」
「はあ」
打ち合わせに入って、とっとと帰りたいなぁ、と思っていると、担当者は葉書が目いっぱい入っている段ボール箱をよいしょ、と持ち上げて僕の近くのテーブルに置いた。
そう言えば、まだ立ちっぱなしだ。座りたい。
「ほら、先生。これ画集につけてたアンケート葉書なんですけどね。反響が凄いんですよ」
「へー」
「続編が既に待ち遠しいとか、色々意見がありますけどね。オリジナルイラストのページが一番好評なんですよね」
「あー、サイン会でもオリジナルイラストのとこ開いている人が多かったような」
「でしょう?ええっと今回はオリジナルを5ページ描いていただきましたけど。一番反応が多かったのは、本を読む二人の青年のページですね」
イグサと、青をモデルにしたイラストだ。何の気なしに描いたそれが、ここまで評判がいいとなると少し戸惑う。
「それで、そこのページを限定グッズにして期間限定で販売しようかと」
「あこぎですね」
ばっさりとした僕の言葉に、大袈裟に担当者はずっこける。
「ホームページには告知したいんですよ。いいですよね、先生」
「あー、もう別に何でもいいです・・・」
あまり良く考えずに僕は返事をした。
どうにかなるだろう。
「それで、先生。新作の挿絵の方のお話も」
「ようやくですか」
やっと、同じフロアにあるテーブルスペースに案内され、僕は座ることが出来た。
「例のシリーズも引き続きやっていただきたいんですが、今回は新人作家のデビュー本の表紙絵と挿絵をお願いしたいんです」
「新人さんですか」
「最近は表紙絵買いする読者が多いですからね。先生の絵で売り上げアップを狙います」
「うわ、プレッシャーです・・・」
「大丈夫ですよ、作家さんには今度直接打ち合わせしていただくとして。あ、これが予定している作品です」
と、綴じられた印刷原稿を手渡された。
あらすじが付いているので、それを読む。
物凄く大雑把にまとめると、ボーイミーツガール物らしかった。主人公は少年で、ヒーローに憧れている。
そんな彼に助けを求める少女の正体は。
よくある物語に見えるが、本文はパッと見でも文章の運びが美しく、言葉選びが繊細だった。
ペンネームを見たが、男か女か判別できない名前だった。
中々、良さそうでしょ?と担当者。僕は顔を上げて頷く。
先生の絵が合いそうな作品だし、とは新人編集者。
「面白そうですね。作家さんからは、キャラクター指定とかあるんですか」
「いや、特には伺っていないですね。今度打ち合わせをセッティングします。本当は今日顔合わせできたらよかったんですが」
彼女、学生さんなんですよね、今日も授業で、と新人編集者。
女性、だったのか。美しい本文の割りに女性作家特有の甘ったるさがなかったので、ほぼ男性作家なのかと思っていた。
僕は珍しく自ら、
「打ち合わせが楽しみですね」
と、言っていた。

帰宅すると、すぐさま仕事部屋に篭ってもらってきた原稿に眼を通した。
ストーリーの意味をざっと把握し、キャラクターの持ち味と特徴をイメージする。
顔つき。髪の毛。背の高さ。一人の人間を脳内で作り出し、そのままスケッチブックにぶつけるように描く。
それを何度も繰り返して、殆どメインに活躍するキャラクターを画用紙に写し取った。
うん、満足。
心の中で言うと、ふわっとした疲れが身体に降りてきた。
人物で埋め尽くされた画用紙を眺める。
「ああ、やっぱり」
独り言は、主人公の少年に向けられていた。描いている途中から薄々感づいていたのだ。
どうしても、顔が青に似てしまう。
出会った頃の非個性的な青ではなく、感情表現が豊かになった頃の。
青がいなくなってから、そんなに経っていないと頭で分かっているのにやけに懐かしかった。
主人公の頬をなぞってみる。画用紙のざらざらが、違うんだ、と言ってくる。
擬似生体組織の頬は、偽物だけど柔らかかった。
生きているか生きていないか。そんなことはどうでもいいんだ。
青が、青として僕の傍にいてくれたら、それで良かった。
「あー、もう鬱陶し過ぎ!」
自嘲気味な独り言も虚しい。仕方ないんだから。
元の生活に戻っただけなのだ。
そのまま、僕は椅子からゆっくり床に落ちて、仰向けに転がった。
しばらく、そのままでいたが悲しくなって来たので起き上がる。
「一人ぼっちは、嫌だな・・・」
独り言は、虚しかった。

その夜、僕は久しぶりに自分からイグサに電話をした。
彼は仕事から解放されたところだったらしい。
「イグサ、今日はうちでご飯食べない?」
「お、いいな。ありがたい」
「イグサの荷物置きっぱなしだから、泊まってもいいよ」
「何だ、どういう風の吹き回しだよ」
「なんでもない。じゃあ待ってるから」
「おう、すぐ行く」
電話を切って、早速料理の続きに取り掛かった。
1時間を過ぎた頃だろうか。合鍵を使って、イグサが入ろうとしているがチェーンに引っかかっているのだろう音がした。
すぐに行って開けてやると、情けない顔で、
「開けられると思ったんだよ・・・」
とイグサは言った。
すっかり自分の家気取りだな、と言うと、あー帰ってきたー!とイグサは真っ先にダイニングに駆けていった。
「今日のご飯何ー?」
「小学生か。カレー。しかも具沢山」
「やっりい」
「あとサラダとグラタンとペペロンチーノと」
「おい、作りすぎだろ!」
「作りたくなって。夕方からずっと作ってた」
「それで電話くれたのか」
「一人で食べたくなかったんだよ」
僕は、盛り付けの続きに入る。
手を洗ってきなさーい、と母親のように言ってみると、はーい、元気のいい返事と共に足音が2階へ消えていった。
ややあって、階段をどたどたと駆け下りる音がして、イグサが飛び込んできた。
「早くない?ちゃんと洗った?」
「洗ったよ!腹減ったー!」
「じゃあ早く座って」
「おう!」
ばたばたと、イグサが席につき、僕もその真正面に座った。
いただきます、と声を合わせて食べ始めると、イグサは子供のように、
「うめー!」
と叫びながらカレーを頬張っていた。
我ながら、今日の食事は全体的に美味しく作れていた。
それだけに、やっぱりイグサを呼んでよかったと思う。一人ならますます惨めな気持ちになりそうだったから。
いつもなら、仕事の話を楽しそうにするイグサは、ひたすら食事を頬張りながらコーヒーの美味しい喫茶店の話をしていた。
その店に置いてあるマンガ本が、イグサが子供の頃に読んでいたものだったとか、看板猫にちょび髭模様があって可愛かったとか。
そういったことをどこか必死な調子で、笑い話にしつつ話し続けている。
必死に、僕に気を使っているのだろう。
先日、ミューと椿が家に来たときもそうだ。
出来るだけ、青を連想させないようにしたいみたいだった。
「あのさ、イグサ」
「んー?」
「仕事、順調?」
「・・・まあ、そこそこかな」
「そうか、良かった」
聞いてもいいものか迷う。
「イグサ。変なこと聞くけどさ、イグサの会社のロボットって、いくらで買えるの?」
イグサの咀嚼が止まり、目が一般的にイメージする埴輪のような形になった。
「・・・工業用か対人用で変わるけど・・・」
口からはみ出したパスタをぼとぼと落としながら、イグサは言う。
「じゃあ、対人用だと?」
大体の相場の値段を伝えられた瞬間、僕も埴輪になってしまった。
「た、っか・・・っ!」
驚きすぎて、それを言うのが精一杯だった。桁が。数字が。
僕の稼ぎでは到底払うことなど出来ない。
「高いんだよ、まあ今の値段はホールセール、法人に卸す値段だけどさ。リテールだとまた上下するだろうな」
「個人用、は?」
「そんなの売ったこと無いから分からん」
「そうか・・・」
僕は目に見えて落胆していたと思う。イグサは標的をサラダに移しつつ、言った。
「お前、うちのロボット買う気?・・・と言うか、青を買う気か」
「一生かかっても無理だって分かった」
「大抵の人間は無理さ」
「・・・諦める、よ」
「その方がいい」
口先で諦めると言ったものの、僕の心は奥底で諦めてなんかいなかった。どうにかして、もう一度、と言う思いがぶくぶくと気泡を発している。
ただ僕にはお金も力も無かった。
それだけが、障壁だった。
もやもやとしたまま、食事に戻る。少し経って、イグサがカレーに注目したまま、ぽつりと呟いた。
「あのさ、お前は何で青と暮らしたいの?」
僕は手を止めて、イグサの顔を見る。イグサは、カレーを盛ったスプーンを宙に浮かせたまま、目線はテーブルの天板を見詰めていた。
「青にも聞いたけど。一緒にいて楽しくて、って言うなら青じゃなくても、お前じゃなくてもいいじゃん」
ため息が混じる。
「別に誰だっていいじゃん・・・。何であいつなのよ?」
疲れたように言うイグサは、微かに苛立っているようにも見えた。
「・・・俺だって、いいじゃん。なあ、俺じゃ駄目なのかよ」
苛立ちと、怒りのような感情を滲ませた瞳に、ぐっと見据えられた。僕も、それを見詰め返す。
「駄目だ」
僕の言葉に、イグサは毒気を抜かれたようになる。更に僕は言い募る。
「イグサは青の代わりにはならない。同じように、青もイグサの代わりには絶対ならないよ」
「でも・・・」
「僕には、おかしい話かも知れないけれどかけがえの無い家族みたいになってしまったんだ、青は。イグサも、青も一緒にいたいよ」
イグサは、あからさまに戸惑っていた。
「じゃあ聞くけどイグサ。僕じゃなくてもいいんだよね。僕に色々言ってくれたことは他の人でも構わないことなんだね」
好きだと言うその口で、僕以外の人を選ぶんだね、と卑怯で小ずるい僕は胸中呟く。
案の定、そんなことは無い、と慌てるイグサを見て、僕はちっぽけな自尊心を満たした。
「イグサ、僕は我侭なんだろうね。青もイグサも僕にとっては家族同然なんだよ」
そういう僕を、イグサは憮然とした表情で見ている。
「じゃあ何で本当の家族にはなってくれないんだよ」
「へ?」
僕は間抜けな声を上げた。
「家族同然だのいいこと言いやがって。そのくせ俺の気持ちには白黒つけやがらねえ。俺たちはもう学生の頃みたいなガキじゃないんだ、いい加減はっきりしてくれよ」
でないと、俺が前に進めない。
そう言ってイグサは、僕の顔を睨んだ。そのくせ目の端にはうっすら涙が浮かび鼻の頭は真っ赤だ。
「それとも、何か理由があるのか。振るならきちんと振ってくれよ」
生殺しだ、とその目は語っていた。
「僕は・・・」
僕は、言いかけて何を言おうとしているのか定まっていなかった。イグサのいる心地よさを失いたくない。もしずっと一人だったのなら僕は世間とも没交渉で、まともな社会人になっていなかったかもしれない。
そして、イグサの気持ちを利用して幸せを享受していることも重々承知している。
どうして、僕はイグサの気持ちを受け入れない?どうして?
「僕は、怖いんだと、思う」
「・・・怖い?」
「今の、心地よさを失うのが怖い・・・家族同然、だけど家族じゃないから・・・怖く、ない。青は、死なないし」
僕の言葉は自分でも支離滅裂だと思った。当然だ、全く整理できていないのだから。
イグサの表情は、神妙だった。
「ご両親の件か。変態野郎のせいか。それで怖いのか・・・俺も、怖いのか?男として見るのが」
「あんなやつと、イグサは違う」
「でも、怖いんだろう」
僕は、私は、何て最低な奴なんだろう。自分を好いてくれる人を、ずっと傷つけ続けている。
決着を着けることから逃げて逃げて。怖いのと幸せが板ばさみで僕を押しつぶしそうになるから。
青は、そういった感情を立ち上らせることが無かった。だから、楽だったのかも知れない。
でも、もうイグサは限界だ。僕は逃げてはいけない。
「イグサにはずっと傍にいて欲しい。それが、恋愛感情かって言うと確証は持てないけど・・・一緒にいられるなら、どちらかを選ばないといけないなら、本当の家族になる方を選ぶ」
次の瞬間、勢い良く両手を握られた。
「それでもいい。それでも俺はいい。いや、あの男女としての付き合いはして欲しいけど!でも、ありがとう!」
興奮状態だ。それを見て、僕もじんわり高揚した。
「えっと、いい年して僕とか言ってる痛い女だけど構わない?」
「全然!」
「仕事に集中してるときは、全く構えないよ?」
「知ってる!」
「あと、」
「全部知ってるし大丈夫だって言ってるだろ!」
怒鳴るように言うイグサの顔は泣いているんだか笑っているんだか分からない状態だった。
「ご期待に、添えないかも・・・知れないよ?」
色んな意味で。
「そんなの初めからわかるか!」
一刀両断にされた。
喜んでいるイグサを見て、僕自身も嬉しくなってくる。
そうか、それならもっと早く答えを出すべきだったのか。
「ってか、お前分かってるか?俺は結婚しようって言ったつもりなんだけど」
「あ、はあ。一応そのつもりで聞いてたけど。結婚しようとは言われてないけど」
「言った方がいいよな」
「その方が、後のトラブルが無いと思う」
「怖いな。じゃあ言うぞ」
イグサは真面目くさった顔になる。
「俺と、結婚してください。模範的な夫になれる自信はないけど、頑張るから」
「よろしくお願いします。模範的な妻とか想像も付かないけど努力する」
ずっと握り締めたままだったお互いの両手を、もう一度握り直し、僕らは心から笑った。
後の記憶はあやふやだ。気付けば朝で、ベッドの隣には暑苦しい体温の高い男・・・イグサが口を開けて寝ていた。
何だか人生で初の出来事があったようだが、覚えていない。ちょっと惜しいことをしたな、と思った。
幸せそうに寝ているのが少しばかりイラっときたので、鼻を摘んでみる。
ふがふが、と妙な声を発したものの、構わず爆睡を続けられてしまった。
「まあいっか・・・」
僕は、二度寝を決め込んだ。

じわじわと、空気が纏わり付くように暑苦しくなってきた頃だった。
入梅したとは言え、晴れの日も多くなり僕は意識して仕事の時には、スポーツドリンクを常備するようにし始めた。
一人の時に、倒れれば死の危険がある。
半同棲状態になったイグサも、日中は仕事があるから僕が倒れても気付けないだろう。
僕は昔より、体に気をつけるようになった。風邪も引きたくないし、ましてやインフルエンザになんかなれない。
この心境の変化は、イグサとの関係変化にも連動しているのだろう。
何となく、それすら心が躍るのは色ボケなのかなと思ったり、違うかなと思い直したり。
初めて買った、と言うかイグサが買ってきた例の人が殴り殺せる結婚情報誌を読みつつ、テレビをつけっ放しで休憩していた。
それとなく聞き流していたワイドショーの内容に、ふと聞き覚えのある単語があった気がして顔を上げた。
イグサの勤める会社の紹介のようだ。見覚えのある白い箱建物。すれ違った研究員。
テレビに映った光景は、自分で見たときより綺麗に見えた。
見たことのない研究員が映ってインタビューに答え始めた。どうやら主席の研究員らしい。ウタや、他の人は映っていないようだ。
主席研究員は50がらみの中年男性で、毛量が多いのか白髪交じりの髪の毛が膨らんでいた。メガネの奥の目は優しそうだ。物柔らかな調子でインタビュアーの初歩的な質問にも、丁寧に答えている。
ロボット工学の意義、社会への貢献。そんなことを熱くなり過ぎず語っていた。
最後に、介護向けの人間型ロボットを今秋発売することを発表した。
男性型と女性型をまずは法人向けに売り出すと言う。また、介護業界に関しては安価でレンタルするとも言っていた。
ある程度すれば、個人向けのも販売・レンタルする予定だ、と言い、VTRが終わった。
ロボットの登場はなく、スタジオではイラストで想像図のようなフリップが出され、コメンテーターが議論を始める。
やはり人道的な問題や単純にロボットへの不安などで、賛否両論なようだ。
でも実際を知っている僕は、彼らの心配が杞憂だと笑える余裕があった。
いつか、青の兄弟たちと身近に会えるだろうか。
彼らの持つ記憶や感情には僕やイグサ、ミューが確かに、いる。
そのことが嬉しかった。
彼らも、疑問に思った時は青や椿のように小首を傾げるのだろうか。
想像すると、おかしくて僕は微笑んだ。
すると、携帯電話が鳴った。イグサからだ。
「もしもし、仕事中じゃないの?」
「実は家の前だ。開けてくれ」
何なんだ一体、と思いながら玄関へ行く。
ドアを開けると、上気した表情のイグサが立っていた。
「おい、婚約指輪って給料3か月分だっけ」
「最近は知らないけど・・・昔はそうだったよ」
いきなり何なんだ。いぶかる僕は、イグサの後ろに立っている存在に気付いた。
「ただいま、マスター」
顔いっぱいに笑顔をたたえた、青だった。服装は、イグサのものを着ているのかあまり着こなせていない。
そんなことは関係ないとばかりに、青は幸福そうだった。
「青・・・。イグサ、これは」
戸惑う僕に、イグサは得意げな顔を向けた。
「俺なりの婚約指輪だ。ただし残念ながらレンタルだけどな。長期のレンタル料を前払いしてやったぜ」
胸を張るイグサ。青は、そんなイグサを押しのけて、僕に飛びつくように前に出た。
「マスター、また、お世話になっていいですか?」
「当たり前だよ、青。これからもよろしくね」
涙が勝手に溢れ出る。景色がぼやけて、青もイグサも良く見えない。
「本当、無茶したわよねイグサ君」
その声は、ウタだった。慌てて涙を拭う。白衣を着ていない彼女の姿は初めてだ。
ごめんね、お邪魔して、とウタは言うと大きな茶封筒を出した。
「はい、これ契約書の写し。メンテナンスには所定の時期に来てねー」
と、イグサに封筒を渡し、ひらひらと手を振って踵を返した。
「ウタさん、送りますよ!」
イグサの慌てる声に、
「電車で帰るわよ。青を見送りたかっただけだし。それにこれ以上お邪魔したくないしね」
じゃあねーうちの子を、よろしく、と言って、颯爽と立ち去るウタの背中は非常にかっこよかった。
見とれる僕に、青がじゃれつく。
「マスター、私はマスターに会えない間、マスターの絵を見ていました。記憶の中のマスターの絵を見ていました」
「うん、うん」
「マスターの新しい絵も見せてください」
「もちろんだよ」
レンタルとは言え、再び青と暮らせるのだ。同じ時間を過ごせる。イグサと僕と、青の3人で。
話したいことがたくさんあったはずなのに、何にも出てこない。
僕のがらんどうの心には、幸せしか詰まっていなかった。
「さて、お二人さんさー。そろそろ中に入らない?」
イグサの呆れている言葉に、僕と青は頷いた。
まずは、青に画集を見せよう。頭を捻って作ったサインも見てもらおう。
青の料理と、イグサのおしゃべりで笑い合おう。

その夜、僕は結婚式の夢を見た。
白い箱のようなチャペルに、華やかなウェディングドレスを着た僕と凛々しいモーニング姿のイグサ。
列席者は今まで僕が描いてきたキャラたち。
僕とイグサは見詰め合って微笑む。
腕を組んで外に出た僕たちは、列席者たちに拍手と笑顔で迎えられる。
舞い散る花びらが陽光に映えて綺麗だ。
胸に抱えたブーケは鮮やかな青色で彩られている。
列席者の中に、椿やミュー、ウタがいる。両親と伯母が笑っている。
一番前には、青が。
青が笑顔で手を振っている。
「マスター、幸せになってくださいね」
そんな声が聞こえた気がした。
列席者に促されて、僕はブーケを宙に放り投げた。
僕が笑顔を向けると、両親が笑顔で頷いた。
今、はっきりと言える。やっと、言うことが出来る。

私は、幸せだ。

言葉は花びらと一緒に降り注ぎ、あたたかい雨となる。
私たちは、ずっと笑っていた。

【end】

【ありがとうございました。新作連載したらまた読んで頂けると幸いです】
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涙が止まりません。素晴らしいお話をありがとうございました。
90ヶ月前
×
>あこやさま

感想ありがとうございます。この作品は自分でも思い入れの深い作品なのでそう言っていただけて、
心より嬉しいです!また良ければ他の作品もご覧下さいね♪
90ヶ月前
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