コラム 日本のダート競馬界は、どうドバイと向き合うべきか
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コラム 日本のダート競馬界は、どうドバイと向き合うべきか

2016-02-20 18:00

    いわゆる“交流元年”として、ダート競馬における中央・地方交流競走が本格化したのは1995年のこと。その翌年には、オイルマネーによって驚異的な発展を遂げたアラブ首長国連邦(UAE)・ドバイの地に「ドバイワールドカップ」が創設された。このレースがダート競馬で活躍する日本調教馬の大きな目標となっている一方、日本のダート競馬が発展・定着する上で、どんな影響を与えて来たのか。交流元年から20年が過ぎ、そしてドバイワールドカップが20回目を迎える今年、検証する時期に来たのではないだろうか。

    ・壮行レースになった川崎記念と、挑戦状をたたきつけたフェブラリーステークス

    “交流元年”の1995年に時代の申し子として全国を平定したライブリマウントは、第1回ドバイワールドカップ(以降、WC)参戦に向けた壮行レースとして、1996年1月24日に中央所属馬に開放されて初めて開催された川崎記念を選択した。

    結果はホクトベガの3着に敗れ、日本を代表して送り出せる馬なのかという疑問も呈されたが、翌年WCに参戦したホクトベガも川崎記念を壮行レースとして選択。以降、WC参戦を目指す馬の多くが、川崎記念からWCというローテーションを選択するようになった。

    これに挑戦状をたたきつけたのがフェブラリーステークス(以降、フェブラリーS)だった。統一グレードが導入された1997年4月を前に、やや不透明な形で1997年2月からJRAGⅠとして実施。翌1998年には3週間繰り上げて川崎記念と同一週にぶつけ、WCに向けた最終選考会を謳おうとした

    だが時代のトップホースは、WC遠征とは関係なく川崎記念を選択する姿は変わらなかった。競争に負けたフェブラリーSは、2000年から元のスケジュールに戻されたが、競走条件を考えれば川崎記念こそがWCに直結すると考えられるのは当然のこと。ただしこれで、この話が終わることはなかった。

    ・評価を揺るがせたトゥザヴィクトリーの激走

    初期の日本調教馬はホクトベガの悲劇があったとはいえ、健闘してもWCで結果を出すまでには至らなかった。そんなWCで初めて結果を出したのが、2001年のWCで2着に入ったトゥザヴィクトリー。この馬は初ダートで臨んだフェブラリーSで3着に入り、そこからWCというローテーションだった。これをきっかけに、フェブラリーSから向おうとする馬も増えていった

    とはいえ、この年は欧州で発生した口蹄疫(※)の影響で、最もレベルが低い年と言われている。また2011年、フェブラリーSを制して参戦したトランセンドが2着に粘った時も同様で、当時は馬場がオールウェザー。WCのステイタスが大きく揺らいでいたことを、忘れてはいけない。

    そう考えれば、この事実だけでWCのステップにフェブラリーSがふさわしいと、言ってはいけないと思っている。確かに川崎記念や東京大賞典からWCに向かった馬に、同等の結果を残した馬は今のところいないが、このルートで臨んだ馬の結果こそ、日本のダート競馬の現在地を知る指標。まだまだ発展していく余地を残す日本のダート競馬界で、尊重すべき事実はこちらではないだろうか。

    ※口蹄疫:ウイルスに感染した牛・豚など、偶蹄類の動物で発症する家畜伝染病。馬は感染しても発症しないとされているが、ウイルスを運び、拡散させることはできるため、厳しい移動制限が課される その関係で、競馬界にも大きな影響が出た。

    ・過酷すぎる統一GⅠロード

    改めてダート競馬の20年を振り返ると、日本のダート競馬はWCに最強のダートホースを送り込むことが第一義になっていたのではないか。事実、1995年の交流元年以降、以下に紹介するだけのドラスティックな変革があったが、それに呼応していた部分は否めないと感じている。

    (1)東京大賞典が2800mから2000mに短縮(1998年)

    (2)ジャパンカップダート(現・チャンピオンズC)の創設(2000年)
    (3)JBC(ジャパン・ブリーディング・ファームズカップ)の創設(2001年)

    これにより、前年秋の統一GⅠ開幕戦となるマイルチャンピオンシップ南部杯からフェブラリーSまで、年をまたいだおよそ4ヶ月の間に6つの統一GⅠが並ぶ。そして実際、2014年のWCに遠征したホッコータルマエは、その全6戦に出走(うち3勝)するローテーションを経て遠征していたのである。しかしその結果、現地で体調を崩して惨敗しただけでなく、再起すらも危ぶまれる事態になった。

    そう考えてみると、秋から冬にかけての統一GⅠ路線は過酷過ぎると言えないだろうか。もちろん関係者にはレースを選択する権利があるので、このローテーションを歩むことも、勝ち抜いた馬のドバイ遠征も強要できる訳ではない。それでもこの路線にメスを入れることが、ダート競馬のレベルアップや層を厚くするために必要かもしれない。芝でも天皇賞・秋から有馬記念までのJRAGⅠ3連戦を、過酷と呼ぶ声があるのだから。

    ・ドバイで結果を出すための、意外な事実

    ところでWCは創設当時から拡大を続け、今では“ドバイミーティング”としてWCをメインに、多くの国際競走が行われている。日本調教馬も芝を中心に結果を残しているが、結果を出した馬のステップを調べてみると、興味深いことが見えてくる。それは2月に日本で使ってから臨んでいる馬が、数多いということだ。

    具体的には京都記念や中山記念をステップにしているわけだが、これはドバイに向けたたたき台という意識のため。GⅠほど厳しい相手にならず、でも使いやすい条件であり、使うことで上積みを見込める日程・レースになっている。その結果、壮行レース的な役割を担えているだけでなく、国内専念組が先の目標を見据えられる競走にもなっているのだ。

    この視点をダート路線に落とし込むと、フェブラリーSから向うことは、レースの時期だけ見れば理にかなっているのだろう。ただし特殊な理由で結果を出した一部の馬を除けば、川崎記念などから臨む馬より結果は悪い。これは統一GⅠの格付けに寄って来る形でメンバーが厳しくなるため、ここで疲弊してしまうという理由もあると考えている。

    そもそも昨年この時期に掲載したコラムでも指摘したように、芝スタートのダート戦に統一GⅠという格付けがふさわしいかという、根本的な問題がある。ならばフェブラリーSから統一GⅠという看板を強制的に下ろさせ、代わりにドバイへのたたき台となる、気軽に使える条件の競走を統一GⅠではない形で複数用意する方が、ドバイを意識する番組を作る上ではメリットがあるのではないだろうか。

    ・春のダート路線を強固なものにするために

    もう1つ触れると、WCに最強のダートホースを送り込むための整備の結果、春シーズンのダート競馬に明確な路線図がなくなったという弊害がある。2つの統一GⅠは存在しているが、いずれも前哨戦と評される統一グレードがなく、またトップホースが気軽に出走できる条件の競走も見当たらない。結果として2つの統一GⅠが周囲と連動しない“点”になってしまっているのだ。

    そこでドバイ遠征を目指しながら招待されなかった馬の受け皿となる競走も、WCの時期に必要だろう。これはちょうどゴールデンウイークに行われる、統一GⅠかしわ記念の前哨戦としても活かすことができる。するとドバイ遠征を見据えた馬への番組を用意しながら春の路線整備も進む、一石二鳥の番組が出来ると思うのだが、いかがなものだろうか。

    今回のコラムは、WC参戦を目指していながら現時点で招待状が届いていないホッコータルマエが、届かなかった時の選択肢が見えないことに気が付いたことをきっかけにまとめたものである。そのため秋に始まる統一GⅠ6連戦というスケジュールを、JBCという最大の核を維持しながらどう緩和していけばいいのかなど、整理できていないところがある。それでも今のままのフェブラリーSが不要という点において、改めて理解が進んでいれば幸いである。

    このあと、統一GⅠフェブラリーSの予想記事を掲載します。


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