年齢制限はなぜあるか――エロスと民主主義
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年齢制限はなぜあるか――エロスと民主主義

2018-12-06 17:05

     皆さんの中のかなり多数が「なんとなく」エロ本やエロ動画をいけないものだと思っています。
     現代の先進民主主義国の多くにいわゆる「18禁」をはじめとするポルノやエロメディアの年齢制限制度が存在します。筆者はこんなもの自体は必要ないと考えるのですが、今のところ存在するのは紛れもない事実です。
     それらをこれ以上厳しくする必要はないにしても、筆者のようにはっきり「失くしちまえ」と言われると、やはり「なんとなく」不安になる気がしてくる人も少なくないでしょう。
     しかし、何も心配いらないのです。それは様々な統計や研究において、事実「ポルノやメディアの悪影響」なるものが否定されているからだけではありません。
     そもそも昔は年齢制限なんてなかったのです。

    「えっ! 現代の方が自由が守られていて、大昔になるほど言論や表現の規制は酷いってのが常識じゃないの!?」

     と思われるかもしれません。
     確かにそうなのですが、昔は禁書はたんに禁書であって、年齢制限の対象ではありませんでした。端的に誰も見てはいけないのであり、「何歳以上は見て良いが、何歳未満はいけない」という類のものではなかったのです。
     では、なぜ現代では「年齢制限」があるのでしょう?

     メディアの影響にかんする研究が発達し、大人は大丈夫でも子どもには大きな悪影響があると分かったから――ではありません。
     全く逆に、多くの統計でポルノの悪影響は否定され、むしろ解放されればされるほど性犯罪などは減っていくことを統計結果は支持しています。

     さて、「ポルノで○○の性犯罪が増える」とは、つまりはこういうことです――「〇〇はバカだからエロ本読んだだけで堕落し興奮し発狂して強姦しまくるに違いない」。ポルノ規制とは早い話が、このふざけた〇〇への偏見を、事実として認定して法制度化するということです。

     法制度の決定権が王様や独裁者にあるような国ならば、それで問題ありません。
    「民衆はバカだからエロ本読んだだけで堕落し興奮し発狂して強姦しまくるに違いない」
     こう考えたところで、王様が困るでしょうか?
     いいえ。「民衆はバカ」という前提に拠って立ったところで、王様や独裁者のプライドは何一つ傷付かないのです。むしろ「バカな民衆を正しく導いてやるために権力を振るう俺様」という優越感を楽しめることでしょう。

     しかし民主制度ではこれは大問題です。
     有権者自身が「俺達バカで~すエロ本見たら狂っちゃいま~す」だなんて認めるわけがありません。

     しかし、やはり性表現を規制したいという欲望はあるのです。なぜか。
     それは多くの文化で、伝統的性規範における婚姻・性関係の本質が「女性の人身売買」だからです。男性の財力・権力と、女性の性的魅力と家事労働・出産機能を交換する。これはもう原始部族の風習から、平安日本の藤原氏による摂関政治などを経て、現代女性の上昇婚願望にいたるまで連綿と続く「結婚の本質」です。

    (三木幹子「女子大生の恋愛と結婚に対する意識調査」(広島女学院大学論集第63)より)

     ようするに、性嫌悪を教え込んでおぼこい娘を育てたいんですよ。
     若い娘には「きゃっ!」「いやぁ~ん」「電気、消して……」とか言って欲しいわけです。
     そして自分の娘をそんな風に育てることができれば、いつかは大金持ちに気に入られて嫁にいけばグヘ、グヘヘ、グヘヘヘヘヘ……。そんなコース。
    「娘を金持ちの嫁にやって俺も権力者に……」という父親の願望も、「いつか白馬の王子様が私のもとに……」という女性自身の妄想も、本質的には同じです。要するに「経済力の高い男性を見つけ、その財産と女性を交換する」ということ。
     その商品価値――処女性――を維持するため、「エッチなのを嫌がる」という規範を女性に植え付ける必要があるわけですね。
     性嫌悪に基づいてポルノ排撃を唱える勢力の大きなひとつに(一部の)フェミニズムがあるのは噴飯物です。なぜなら性嫌悪こそまさに伝統的な男尊女卑社会における「性の商品化」の、重要な道具であるからです。

     もちろん、それぞれの女性にはしたい相手とだけセックスしたり尻や胸を触らせたり、あるいは誰ともしなかったりする権利――いわゆる性的自己決定権というやつがあります。その権利自体は否定されるべきではないでしょう。たとえ男性に都合の良い性嫌悪を教え込まれ、ていよく利用されている状態だとしても。
     しかしそれはあくまで「自己」決定の問題であり、別の人たちがポルノを売り買いしたりする権利に及ぶべきではないと考えます。

     それはともかく、性嫌悪が社会に実在している以上、それを正当化したいという需要もまた発生します。しかし前述したように、現代の民主主義社会で「国民はバカだからポルノの悪影響を受けます」というわけにはいきません。お前らはバカだと有権者に言い放てば、その政治家は人気を落とすわけですから。

     そこでその「バカさ」を子どもたちになすりつけてしまおうという発想が生まれるわけです。「国民は」ではなく「子どもは」判断力が低くポルノの悪影響を受ける弱い存在だ、だから守ってやらないといけないんだとすり替えを行うのです。
     これが「18禁」が現在の社会に存在する根源理由です。

     この政策は政治家にとってもリスクが少ないものです。
     なぜなら国民のうちの大人(有権者)の劣等感を刺戟しないばかりか、彼らの若年者に対する優越感をくすぐることまでできるからです。若い文化は、つねに一定数の中高年にとって敵意の対象だからです。
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