• 学校の意味

    2016-06-08 00:07

    日本では、おそらく誰もが学校へ行くだろう。「学校は勉強するところであり、学校で勉強したことが社会に役に立つのだ」と言うだろう。この言われていることに関して、多くの疑問が最近挙がっている。「学校の勉強は役に立たない」「6年間も英語を勉強させられて話せないじゃないか!」などなど、学校に関する不満は多いようです。確かに、実際に学校の勉強が役に立たない仕事についている人は結構いるのかも。


    僕は不登校の生徒を扱う学校の先生をしているのですが、正直に申しますと、不登校、つまり学校に全く通っていなくてもテストだけ受けに行き、テストで平均点以上、それも80点以上なんかを取れる生徒は結構いる。僕の生徒でもそういった生徒が何人かおり、実際に普通に休みなく学校に通っていた生徒よりも良い学校へ進学した生徒もいます。こうなると、ますます学校に行き勉強をすることがどれほど無駄なのかということの証明になってきていますね。


    では、学校の本当の役割を考えてみましょう。まず、学校で勉強しなくても平均点以上は取れる。これは確定です。それでは、人間関係はどうでしょうか。日本の社会は非常に集団主義的であり、規律を重んじる傾向にあります。そういったことを学ぶには、学校という社会の縮図に身を置くしか今のところ方法はありません。学校に行かなくても勉強はできます。これは間違いありません。東大に合格したホリエモンも同じことを言っていると思います。では、学校に行かずに社会規律を身につけず、勉強だけして良い大学に進んだ人にいわゆる一般的ちゃんとした社会生活はできるでしょうか。答えは「成功すればできるだろう」です。


    ホリエモンは成功しました。成功してしまえば、言いたい放題、それが日本の社会です。敗戦後、アメリカから入ってきた資本主義思想により、現代では金持ち=正義のような図が成り立っています。故に、成功しなければ発言権が無いとまで言われるほどになっています。(僕はこれには反対です。)


    感のいい人ならわかると思います。「成功なんて誰もができるわけがない」。つまり、大多数は引きこもり、孤独な生活を余儀なくされるということです。それが例え仕事についていたとしても。そうなると、上手いストレス発散方法なんかも希薄になるわけで、結果的に鬱病になったりしやすくなります。


    つまり、学校では一般的に言うところの勉強、つまり教科教養を重視するのではなく、社会へ出る前段階としてうまくやっていけるのかというところを重視すべきだと思います。もちろん、教科教養を軽視しろと言っているのではありません。教科教養を真面目に取り組んだ者には、もれなく「職業選択の自由」が授与されますので、教科教養に励むことは非常に有益でしかありません。


    学校へ行かない、それはつまり、この日本という社会でうまく生きていくことができないということです。日本の学校ほど人間関係がしっかり学べる場所はありません。「学校に行かなくてもテストは平均点以上だ、だから行かなくてもいい」という子どもがいるとします。では、その子どもは人間関係も平均点以上を取れているでしょうか。数値で表されない所だからこそ、しっかりと見る必要があります。もちろん、絶対に学校へ行けとはいいません。様々な問題(いじめや病気など)で学校に行けないのなら、逃げることも立派な社会で生きていく手段です。もし会社でいじめを我慢し、リストラされて自殺する、という未来が待っているのならば、それは「逃げる」ということを学校で学べなかったということになります。そして、そういった理由で不登校になってしまった生徒をサポートしていくのが僕のような仕事をしている人になります。


    学校は大人の社会に入る前段階として非常に優れた機関であると僕は思います。その中でその人それぞれに合った生き方を見つけられることを祈っています。そして、辛くなったら逃げてください。それも生き方です。逃げてきてこのブログを見た人、ぜひフリースクールや不登校のグループを探してください。一般の社会人が知らない不登校をサポートするグループは沢山あります。不登校を邪険に扱うことなく、逃げてしまった人ももれなく救いの手が差し伸べられ、よりよい社会を実現できれば、この日本はもう少し良くなるかもしれませんね。


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  • 不登校やひきこもり、ニートの根本原因を解答する。

    2016-02-22 14:36

     不登校は現代病というほどに現代社会では増加している。ネットやアニメ、ゲームなどが原因という人もいますが、その認識は「逃げ」であり、積極的問題解決の放棄である。ネットやアニメなどはいわゆる現実を緩和する薬のようなものであるから、逃げではなく治療期間に入っていると言っても良い。それらが流行るということは、その薬を所望する人が増えているということであり、いよいよ「社会で取り組まねばならないぞ」という信号である。(もちろん、それらが好きだから病気とは言わない。楽しむために作られているのだから、不登校でもない子がハマるのは理解できる。)日本は社会であるのだから社会の歪には全体で取り組まなければならない。それなのに、「甘え」などという言葉で現実を見ようとしない、「大人の現実逃避」により、問題解決が前進せず、足踏みが続いている。今回は不登校の原因を書くとともに、その根本的な解決策を挙げる。


     まず不登校の原因は環境が80%、病気が20%である。原因の環境であるが、その約90%は家庭環境である。家庭環境の中で誰がキーパーソンになっているかというと、それは「父」である。大人は大抵そうであるが、「父」とは特に社会を家庭に持ち込む第一人者であり、その父が原因で不登校が発生しているのであれば、それは社会の歪を意味するのです。では、現代の社会はどのようになっているのかを見ていく。


     現代社会はいわゆる極端な少子高齢化社会であり、団塊の世代など年をとっている者が富を下に降ろさない、若者虐待社会とでも命名できるものである。若者には厳しく、それでいて大切にして富が降りてくる昔の社会であれば若者も頑張れただろう。しかし、今問題になっているのは若者をただ厳しくするだけで富を降ろさない、奴隷のように扱うことである。結局「金」か!と思うだろうが、結局「金」である。資本主義社会において金が無いことがどれほどの苦痛か、思想を共産主義などに変えないかぎりそれは解決しない。つまり、いくら働いても苦しい労働者とその邪念を力でねじ伏せる役員の構成が今の社会である。こういう場合に政治が弱者を助けるように動けば良いのだが、今の多数派は老人である。富を降ろしたくない人たちが多数であるから、結局老人を守る政策をしてくれる人が選ばれ、社会はより富を若者に渡さない、金持ちが義務を果たさない社会へと加速していく。この社会構成こそが、今の不登校の根本原因である。なぜこれが根本原因になるのかを述べていく。


     若者に富が降りてこないということは、出産が高齢化するのである。出産が高齢になればなるほど、LDやADHDなど発達障害のみならず、何かしら問題のある子どもが生まれる可能性が高くなる。出産の高齢化は富が若者に降りていない理由から起こっているので、結局最初の根本原因に行き着く。こういった子どもが増えれば、当然以前から行われていた教育は厳しすぎることになる。丈夫な子であれば昔のやり方にも耐えられるのだが、LD、ADHD、アスペルガー、発達障害などの子どもには特別な配慮が必要であり、もし昔と同じやり方をすれば高い確率でうつ病や不登校を発症する。例えば、「起立性調節障害」の子に朝早く学校に毎日欠かさず行け、というのは難しいのである。他には、LDの子どもに「努力が足りないから点数が低い!もっと努力しろ!」と怒鳴ったところでしかたないのである。現代社会はいわゆる「何かある」子どもがとても多く、昔のやり方を意地でも押し付ける社会には適応できない。


    故に、社会を家庭に持ち込む「父」がキーパーソンになり得るのである。不登校が増えるということは、社会に出ても働けない人が相対的に増えていくということだ。これは日本の国力を失うものであるので、社会で取り組まねばならない問題であるとわかるのである。

    「富裕層が若者に富を降ろし、若者が子どもを作れる、そして元気な赤ちゃんを安心して育てることのできる社会を作る。」

    これが現在一番必要とされていることである。それを「今の日本人は働かないから外国人移民を連れて来て働かせれば良い」などと、根本原因の解決を放棄し、経営者や富裕層の自分勝手な妄言を許してはいけないのである。


     つまり、不登校を減らすには富裕層が富をまじめに労働者へ配分すればよい。たったこれだけである。すでに発達障害などを持って生まれてしまい、不登校になっている、あるいは社会でも適応できずに働けないでいるのであれば、なおいっそう、それに気づいて欲しい。そして、自分たちの悲劇を未来に残さないためにも、正しく現代社会を認識してほしい。


  • 2015年終わりのあいさつ

    2015-12-31 21:29

    2015年も終わりです。
    この年は休みの年にしようと思い、できるだけ休むことを意識しながら進みました。
    休むと言っても働いていますよ。そして、休んだという気分もあまり無かったです。しかし休めたと結論づけたのは、持病の薬をほとんど飲まなくてもよくなったからです。
    まだ完全回復はしていませんが、今の状態なら少しなら無理できそうです。
    全盛期に比べれば半分ほどだと思いますが、2016年も「無理をしない程度」を意識しながら、それでも2015年よりは働こうと思います。
    よい事に、すでにフリースクールでの指導が決定しています。冬期講習にも呼んでいただき、より先生らしい仕事ができています。

    目標はこれまで通り、教員免許獲得ですが、絶対に取らなければならない!と力まない程度に進もうと思います。ちなみに、今の教員はかなりのブラックらしいので、最悪免許を獲得しても正規の教員を諦めることも視野に入れようと思います。