日本社会における富と幸福の虚偽
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日本社会における富と幸福の虚偽

2015-09-06 06:42
    過去の日本では、貧乏であっても子どもを持ち、頑張って育ててきました。「豊かさがあれば、もっと子どもを幸せにできるのに。」当時の人は考えたでしょう。そして、豊かさは幸せを産むと信じ、過去の人はそれを目指して頑張ってきました。そして、日本は過去の人の努力により、とても豊かな国となりましたしかし、現代の日本が持つ豊かさとは、犠牲の上でなりたつ豊かさです。少数の豊かな人間の下に、大多数の困窮した人間がおります。豊かな人間には自由な時間と裕福なお金が約束され、貧乏な人間には自由の無い時間と不安定なお金が約束される社会となりました。「お金が無ければ子どもをつくってはいけない」こんなありえない言葉がまかり通る社会となり、過去の日本以上に生きづらい社会になったことは言うまでもない。今回は、僕の経験も踏まえ、「その富と幸福は虚偽である」ということを書いていこうかと思います。

     僕は家庭教師をやっています。この仕事は、直接ご家庭に赴き、各家庭の環境や状況などもかなり見ることができます。古い小さな長屋で頑張っているご家庭もあれば、資産運用かなんか知らんが、家や車などを大量に持っているご家庭もあります。そういった環境で働いていると、改めて社会の不公平さを感じます。しかし、不公平さを感じた初期はここではなく、もっと前、大学に入学してからとなります。

     僕の通った大学は国公立ですので、お金に裕福な人間だらけの環境でした。大学の1回生では、軽音部に入りました。教員を目指しているので、同時に教員サークルも入りました。
    「普通だと思っていた自分が、貧乏人だった」この衝撃を受けたのが、大学での周囲の対応でした。あるヒソヒソ話を聞くことがありました。それは、「杉山くんとかつきあってみては?」という女の子同士の会話です。見た目はそこそこだったので、そこは合格らしいのですが、ある点がダメでした。「あいつ貧乏やん。」この言葉が今でも忘れられません。
    「周囲は裕福である」これは、部活でのありえない習慣からわかりました。軽音部では、毎月、あるいは週1で飲み会が行われます。お金の無いはずの大学生が週1で数千円する飲み会を続ける。そしてオールをし、2件目などと続き、朝まで飲む。異常であるはずですが、僕は当時馬鹿でしたので、借金してでもついていきました。ある部員は、アルバイトをしていないのに、部屋が3個もあるいい感じのマンションに住んでいました。そして僕以外の全部員が「仕送り」なる謎のお金をもらっていることに気づきます。その額は最低月に10万ほどになるそうです。僕は貧乏学生で、必至に朝の8時から夕方5時、そこから大学に直行して夜の9時まで勉強、親のある宗教のつてから、9時から11時までそちらに参加。帰ってくるのは12時。そこからご飯など食べてなんとか1時に就寝、朝の6時に起きる。そんな生活を毎日続けていたので、精神的にはまったく余裕がなく、自分と大学の生徒の差を明確に感じることができたのが、うつ病になり倒れて死んだ後になります。
     うつ病になり、何もできなくなり、完全に廃人となり、それでも働こうとしましたが、ゲロや血を吐き、倒れてしまいます。電車に飛び込んで死のうとしましたが、客に止められて、残念ながら生きています。働けませんので、借金だけが残り、催促の電話が大量にかかってきます。この時、僕は死にました。僕の人生は一度死んだのです。何もかも終わった目で大学構内で座っていると、一枚の大学構内の掲示板に貼られたビラに目がいきました。黒人のビラでした。そこで出会う人たちは社会主義派の人たちでした。僕の常識だと考えていたことがことごとく論破され、自分のあり方を意識できた瞬間であり、今までの自分を全て変えた瞬間でもあります。うつ病は改善され、さらに宗教がどれだけクズなのかもわかりました。彼らにはとても感謝していますが、今では喧嘩別れしています。
     大学の生徒は裕福だ、と言いましたが、これに気づいたのが全て終わってからです。自分と大学の人間はまったく別の社会に生きているのだと理解しました。僕の大学に通う人間のほとんどが、奨学金を活用しない。理由は、裕福だということ。自分はこんなに死ぬ思いをしているのに、なぜこうまで違うのか。初めは悲しみの感情が押し寄せましたが、すぐに怒りへと代わり、大学の生徒と一切かかわらないことにしました。
    「努力は報われない」この言葉を理解したのは、この時期です。今の日本社会は、生まれにより階級ができています。僕は大学での出来事により、リアルに実感できました。僕の家計は、実は金持ち家系です。父方、母方ともに大地主であり、母方は大商人家系で祖父は学校の校長、父方は武士の家系で、東大や京都大出身者が結構います。今は死んでいません。ですが、僕の親が最悪であったため、お金は一切降りてきませんでした。父親はアルコール依存症であり、同時にアダルトチルドレンです。父の悪行により家庭は崩壊し、母子家庭となりましたが、父親が離婚を拒否したため、母子家庭手当ては手に入らず、生活保護も「まだ元気なんだから」と追い返されました。とんでもなく貧乏な生活であり、家にはネズミやゴキブリがよく出ていました。部屋を走るねずみを捕まえてカゴに入れて飼ってみたこともあります。野生のネズミって、カゴに入れるとストレスでハゲるのですよw僕の大学に入学する前の友達も、僕と似たような環境の人でした。僕はこれが普通なのだと思っていました。しかし、現実はあまりに無慈悲で、僕の今までの生活が底辺なものだとわかりました。ショックは受けませんでした。むしろ、これを強みに勝ってやると思いました。しかし、いくら努力しても、スタート地点が違うのですよ。人生に100までの道があるとし、スタート地点が50の人と0の人では、努力の量によって行ける場所に不公平が生じます。0の人が惜しみない努力により50の場所に来ても、生まれながらに50の人は何もしなくてもその分をもっているのです。これが階級です。「頑張れば同じ地点に立てるじゃないか」という、生まれながらに恵まれた人間、あるいは努力により多くの人間を不幸にしながら報われ、勝ち組となった人間の戯れ言。こういうものが今の日本社会の一般概念になっている。それにはこういう理由がありそうです。
     「裕福であればようやく子どもを持てる」こんな社会が今の日本です。つまり、時間をもてあまし、発言を沢山できる人は裕福であり、また、20代以下の子供たちの多くは裕福である。なぜ少子化なのか、裕福層は少数派です。つまり、そういことなのです。生まれながらにある程度勝っている人間ばかりの社会ですので、とうぜんその子どもたちは、社会的弱者=クズと認識するでしょう。大人であっても、いわゆる「努力して報われた勝ち組」が多くの時間をもち、また発言もたくさんしています。努力をしてたまたま報われたにもかかわらず、同じ努力をして報われなかった人間をクズよばわりする。そうやって、今の日本の富と幸福は虚偽の上になっています。「報われなかった沢山の弱者たちのおかげで自分たちが報われ、富や幸福を維持できているのだから、感謝して金持ちは多く税金を払え」という論議がまかり通らない社会となり、結果、お金持ち優遇政党が勝ち続けています。金持ちにより誘導された思想に気づかず、それを当たり前としているのか、それとも裕福者であるのか。多くは裕福者ではない社会ですので、時間をもてあまし、宣伝活動が多大にできる金持ちの思想誘導に騙されていると考えるのが自然でしょう。お金持ちへの減税がすすみ、一般庶民や弱者に対する税金がどんどん上げられています。法律や政策はそういう方向へ進んでいますので、相変わらずの高い自殺率。恵まれない弱者が自殺するので、裕福者からは賛美があがってそうですねwアメリカ式の資本主義が進む一途ですが、自分のクビを絞めていませんか?僕のように貧乏で裕福でないにもかかわらず、それに賛同したりしていませんか?何かを気づける人が一人でも多くなることを願ってこの文を終わります。

    殴り書きなので汚いっす(´・ω・`)
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