くろすけさん のコメント

ゆっくりで知る「ヴェニスの商人」拝見させていただきました。
シェイクスピア作品を正面からきちんと描いた作品はニコニコではほとんどないことから、貴重な逸品ですね。
ゆっくりを生き生きと演じさせており、特に挿入されるMMDの演出が絶妙で、見ていて非常に楽しかったです。
また時折入れられる注釈も分かりやすく、啓蒙動画としても素晴らしいと感じました。

さて本題の喜劇ですが、釈迦に説法かもしれませんが、単に悲劇の対としての意味しかないかもしれません。
個人的には1における勧善懲悪が喜劇としての分類に組み込まれる理由かと。
3で示された観客の笑いをとる道化的なシーンは、いわゆる悲劇にも挿入されてますしあまり関係ないかも。
なお全訳を行った小田島雄志センセは”基本的にだれも死なず、恋人同士の結婚で終わる作品”と定義されてます。

このように死後400年たつ今でも議論の尽きないシェイクスピア作品の魅力は素晴らしいですよね。
こういった新しいメディアで上演されるのも感慨深いものがあります。
「ーいまだ生まれぬ国々において、いまだ知られざる言語によって」

今後のご制作も応援しております。
No.1
60ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 以前、 ゆっくりで知る「ヴェニスの商人」 を投稿致しました蛙です。  最終回や 蛇 補足は既に投稿しましたので、今回はヴェニスの商人について純粋に「考察」してみたいかと思います。 (※一部わりとふざけて書いてます※)  何処が喜劇だヴェニスの商人   シェイクスピア「これは喜劇だ。イイネ?」  周囲「アッ、ハイ」   『喜劇』という単語は「見ている人を笑わせる、人が幸せになる」というイメージが強いものです。  広義の意味では芸人の漫才やヒーローが悪役をやっつける痛快活劇な漫画など、見ていて気持ちが上向きになるものが喜劇に分類されます。  ……ですが、ヴェニスの商人は現代に至っては一部で 胸糞劇 だとか言われてます。  果たしてヴェニスの商人は何処が喜劇なのでしょうか? 1.シャイロック(ユダヤ人)の卑しさとその懲悪  『ゆっくりで知る「ヴェニスの商人」』中ではこれを推して説明しています。  友を慈しみ勇敢な主人公、それを恨みから亡き者とする欲深いユダヤ人という「善悪の対比」。  謎の才女が絶対的な力を揮い、主人公を窮地から助ける「ヒロイック」。  最終的に善人が良い目を見て、悪役が痛い目を見るという「勧善懲悪」。  キリストの正義性、ユダヤ人への憎悪。当時の需要としてはまさに打ってつけです。  シャイロックスピアも文章を生計にしていた人ですから、観衆が望む様な話を書いて需要に答えるというのも筋が通る話です。  ……しかし、この説を推すには一つ疑問が出て来ます。   それは 「シャイロックに正当性がある」 という事です。 8行でよく分かるヴェニスの商人 :  他人の足元を見て高利で金を貸してたとはいえ 常日頃からキリスト教徒どもに 罵倒され、暴力を振るわれ 、その主謀格が 「犬畜生」と暴言吐きながら大金を要求してきた から無利子でやってやったらそのすぐ後に 娘が主謀格の友人の男と駆け落ちする わ何日も掛けて捜索しても見つからないどころか 亡き妻の指輪を猿と交換した とか嫌な事実を聞いてしまうわ 主謀格の男が3000ダカット(10億円)返さないし もう今までの腹いせにコイツ裁判で死罪にしようとしたら 裁判官の口車に乗せられて殺人罪で起訴され て命だけは助けられたけど 俺が必死に貯めた財産の殆どをあの盗人駆け落ち婿に渡さないといけないし しかもユダヤ人にとって一番入りたくない キリストへの改宗 とか ……ぃみゎかんなぃ。。。。 もぅマヂ無理。身投げしよ……。  見方によっては 「シャイロックこそが被害者でアントーニオが悪」 という受け取り方が出来るかもしれません。  勧善懲悪を目的とした喜劇ならば、なぜもっとシャイロックを悪役らしくしなかったのでしょうか?  これより以前にクリストファー・マーロウが書いた「マルタ島のユダヤ人」という作品でユダヤ人の『立派な悪役』が出て来ますし。 シャイロック「お前らは散々ユダヤ人を差別してきた……  ユダヤ人には目がついてないとでもいうのか?!  ユダヤ人には手がないとでもいうのか!!  俺らユダヤ人はお前らキリスト人と何処が違う!? 」   2.ユダヤ人の被害性とキリスト教徒の傲慢さの対比  シェイクスピアがキリストとユダヤ人を風刺して書いたとすれば、これである。  時代が近代になるにつれ作家は風刺をやりたがり、それは大衆に笑いを呼んだ。 (最も、下手にやれば作家としての生命は終わりなのだが……)  アントーニオはキリスト教徒の代表的な人物像だし、シャイロックも如何にもステレオタイプらしい皮肉家で執念深いユダヤ人だ。  二人の性格は劇中の一場面からもよく見て取れる。 シャイロック「…… アントーニオさん、あんたはこれまで幾度となく取引所で私をののしった、私の金や利子がどうのこうのと。  あんたは私のことを異端者だ、人殺しの犬だと呼んではこのユダヤ人の上着に唾をはきかけた。  ……ところがどうだ、今になって私の助けが必要になったらしい。  私の髭に唾をはきかけたあんたが、玄関先から野良犬でも蹴飛ばすみたいに私を足蹴にした。  あんたが、金を用立ててほしい。どうお返事しましょうかね。  ……「犬には金がありますか? 野良犬に3千ダカットの金を貸すなんて芸当ができますか?」……」  シャイロックの発言に対し、大金を借りるアントーニオはこう返す。 アントーニオ「 これからも私はお前を犬と呼び唾をはきかけ、足蹴にしてやる。  だから、これだけの金を貸すつもりなら、友人に貸すとは思うな。  友情が、子を産むはずのない金を友だちに貸し、利子を取ったことがあるか? むしろ敵に貸すと思え。  そうすれば契約を破られても、大きな顔で違約金がとれるだろう」 (原文36,37頁より)  ……たぶん多くの人がこう思うことだろう。   何様のつもりだアントーニオは。 (※本来アントーニオは高圧的態度なだけで笑ってませんし、シャイロックは作品によっては挑発的な態度です) 3.バサーニオとグラシアーノ(ないし男達)のバカさ加減  シャイロックとアントーニオが争っている一方、バサーニオとグラシアーノという人物が居ます。  彼らは、基本キリスト教徒とユダヤ人の争いの蚊帳の外。  非常に天然な性格で、なおかつ節穴です。 バサーニオ「あんとにえもん! 10億円ちょうだい! 金持ちの女と結婚して、ソイツの財産でアンタへの借金返すから!」 アントーニオ「しょうがないなぁ、バサ太くんは」 天然系クズ グラシアーノ「今日、貴方と会ったのはまさしく運命としか言い様がない……私は貴方に恋をしてしまいました。どうでしょう、私と結婚してくださいませんか?」 ネリッサ「え、あ、は、はい喜んで。……3分前に会ったばかりなのになんて積極的で男らしいお方....」 女っ誑し  そして妻の変装に気づかないどころか、その目の前で二人声を揃えて「妻よりも男友達の方が大事だよ!!」とか言っちゃう始末。  呆れ果てた妻二人は意地悪のつもりで男に変装したまま「結婚指輪を寄越せ」と要求する。 「大切な物だけど……アントーニオの頼みなら いいですとも! 」   この後、当然の如く妻二人に指輪を何処にやったか問い詰められる。   正直言ってウチの動画の中で一番の笑い所なのではないか。  劇中の行動を抜き出してみると、この二人の役柄は 非常に滑稽 です。  もしやこれこそが喜劇の所以なのでしょうか?  ……そもそもバサーニオが3000ダカットを借りるなんて無茶な計画言い出したのがアントーニオが窮地に陥った発端だし、グラシアーノもロレンゾと共に娘と財産と形見を奪ってシャイロックを不幸のどん底に落としちゃってるし。 (アントーニオとシャイロックも含めるならば、片方はユダヤ人を差別しなければ窮地に陥らなかったし、もう片方は高利貸しなんてやってなければよかった)  総じて、戯曲内の男性はどこかしら滑稽です。 私的結論:   シェイクスピアがシャイロックの「人間性」を意図せず描いたのならば1(と3)、   シェイクスピアが風刺を込めて描いたならば2(と3)の意味を以てして『ヴェニスの商人』を喜劇と称されたのではないか。  「シェイクスピアがシャイロックの台詞を書く時にただ単に筆が乗ってしまったのではないか?」というのはたまに聞く話だが、取り扱い方を間違えば批判を生むユダヤ人の役にそういう事をやるのだろうか?  それも結局、シェイクスピア本人に聞けない今現在に至っては解答の無い考察なのであるが、ヴェニスの商人を見返すにあたっては世界観をより深く見る事で面白くなる。  ヴェニスの商人に限らず、他の作品でも作者の意図を推察する事で「キャラクターの言いたい事」がなんとなく見えてくるかもしれない。  それがたとえ間違えだとしても、作品を楽しむ上でそれはそれで非常に面白い事だ。  諸兄も機会があれば、ご一緒に如何でしょうか?  文章作品に限らず工芸作品、ゲーム、音楽、そういう側面を考えてみると大好きな作品から 新たな発見が見えて、更に好きになるかもしれません。     ダンテ「こんな戯曲が喜劇ってないわー」 (※ダンテ・アリギエーリが作った『神曲』は喜劇に分類されます。喜劇……?)
あげた動画についての補足とか適当な話とか。