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hirowalさん のコメント

沖縄の真実にも目を向けて頂けたら嬉しいです。
偏向報道の沖縄タイムス・琉球新報
沖縄は、本物のジャーナリストを求めています。
No.44
142ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
本日、4月1日午後6時30分をもって、NHKを退職しました。   入局は平成13年。 岡山放送局に5年。東京アナウンス室に7年。 アナウンサー在職期間の大半を報道現場で過ごしました。 これまで取材をした人の数は5000人を超えています。 企画、取材、撮影、編集、ナレーション、プレゼンを1人でこなすのが、僕のスタイルでした。 「アナウンサーさんなのに、カメラもやるんですね?」 現場でそう言われるのが嬉しくて、土日もつぶして、どこへでも取材に出かけるのが僕の日常でした。 岡山放送局で過ごした新人時代。 NHKの地域局の使命は「地域活性化に貢献すること」。 中山間地域といわれ、少子高齢化や過疎が進む町や村が僕の取材現場の大半でした。  山を越え、谷を行き、田畑を眺めながら車を走らせ取材に行くと、地元の皆さんが、笑顔で両手を広げ僕を迎えてくれました。 「NHKさんがきてくれた!」 「いやいや、僕なんてまだ新人なんでちゃんとできるか分からないですけど」なんて言いながら、カメラを回し、インタビューを重ねる毎日でした。 へたくそだったけど、祭りに参加する子ども達の笑顔や、誇らしげに農作物をカメラに向けるおじいちゃんやおばあちゃん達が、いつも画面一杯にうつしだされ、それが電波に乗って県内各地に届けられました。 岡山県備前市で、巨大なスイカをつくって街おこしに挑戦していた集落を取材し放送した事があります。 ローカル放送向けの5分間の短いリポートでしたが、無事に放送を終え、お礼のため番組を録画したDVDを持って、再び集落を訪ねると、30人くらいの町のみなさんが集まって「堀さん!イノシシの鍋をこさえたでぇ、皆で食べようやぁ」と大笑いしながら僕の肩を嬉しそうに叩くのです。  「番組を焼いてきましたよ」と言って、DVDを代表のおじいちゃん達に手渡すと、目を細め、顔をしわくちゃにしながらこう返事が返ってきました。 「堀さん、わしらは、うれしゅうてなぁ。このDVDは、わしらの死に形見にするけぇ。ありがとうなぁ」。 何だか、涙が止まらなくて。 わんわん泣きながら、しし鍋を食べたのはついこの間のようです。 僕はNHKが大好きでした。 東京に転勤したのが、2006年。 当時、不祥事にまみれていたNHKは、改革の旗印として「ニュースウオッチ9」という総合ニュース番組を新たに立ち上げます。 僕は、その番組の現場リポーターとしてオーディションに合格し、主に、全国の事件、事故、災害現場の取材に投入されるようになります。 始めの頃は「見た事もないこんなチャラチャラした奴に報道の現場は任せられない」と言われ、オーディションで呼ばれたにも関わらず、4月の番組開始からしばらく放送に出してもらえませんでした。 岡山のみんなが万歳三唱で東京に送り出してくれたのに、番組がはじまっても全然画面に出てこないので「どうしたの?」という問い合わせの電話が何度もありました。 悔しくて。 「共同通信から、江東区で殺人事件発生のお知らせです」。 待機している番組の部屋に取り付けられたスピーカーから、事件の一報が届く度に、番組の責任者のところに走り寄って、「現場にいかせてください」と願い出ていました。 「そんなに行きたいのなら、デジカメ持って行ってきたら?」 冷めたトーンでそう言われ、僕は、1人の取材者として、デジカメを片手に事件や事故の現場を訪ね歩くようになります。 目撃者を捜し、関係者の証言を得て、カメラに収め、瞬間を捉えた市民映像を独自に見つけ出し、現場の記者達と競い合いながら、報道取材のイロハを体得していきました。 実績が次第に積み重ねられていくうちに、上司達のトーンも変わり、「そういえば、お前、アナウンサーだったよな。立ちリポしてきて」と、ようやく声をかけてもらうようになりました。 やりたかった仕事がようやくできるようになった。 24時間、携帯電話を握りしめて、全国各地を飛び回る生活はとても刺激的で、あらゆる社会問題の最前線に身を投じる事で、今まで見えてこなかった日本の骨格が透けて見えるような感覚でとても勉強になりました。 しかし。 一方で次第にジレンマを感じるようになります。 扱う問題は、政治、経済、国際、社会問題に直結するテーマばかりで、放送で切り取るシーンやコメント一つ一つが非常にデリケートに扱われ、本当に伝えたかった事や、伝えなくてはいけないと思って持ち帰った事実や映像がカットされたり、極めてニュアンスを柔らかくして放送されたりする事もあり、全国放送の重みが、両肩にずっしりと、そして公の言葉を扱う難しさを、痛感させられるのです。 「テレビ局は、情報を選び取る。 それが編集権だ。何を選び取るのかは、経験を積んだ一流の放送ジャーナリスト達の手によって行われる」 果たして、そのアプローチは、本当に正しいのだろうか。 選び取られなかった事実は、一体だれが伝えるのか? そちらの情報も必要なのではないか? マスコミ不信といわれる現象は、こうした職業メディア人による「行き過ぎた差配」が招いているのではないか。 迷いや葛藤を感じる日々が続く中、 2011年3月11日を迎えます。 原発事故の報道をめぐって、僕は、NHKと衝突を繰り返すようになります。 発信ツールだった、僕の公式twitterのアカウントは、閉鎖に追い込まれます。 このあたりの出来事は、おそらく皆さんもご存知かもしれません。 僕は、今日、大好きだったNHKを退職しました。 伝えなくてはいけないことが、沢山ある。 伝えられないジレンマを抱えるよりは、新しいメディアの力を信じ、開拓して、発信を続けようと思いました。 発信は誰にもとめられない。 このメルマガでは、ニュース現場の取材はもちろん、新しいメディアのあり方、最新動向 、得意分野の映像発信、やりたかった事を、どんどん実践してきます。 どうか、皆さんの力も貸して下さい。 一緒に、ニュースをつくっていけたら、そんな思いで一杯です。 繋がり合い、議論をしながら、新たな発信をつくりあげていきましょう。                                    退職日に。                                    堀  潤
堀潤のテレビでは言えない話
市民メディア「8bitNews」を率いる元NHKアナウンサー堀 潤(ホリジュン)がニコニコ動画とコラボレーションしたニュースリポートチャンネル。ロサンゼルスを拠点に次世代メディアから核問題まで、国内外の様々なニュースの現場を取材し映像付きで発信。

視聴者からの質問や要望を受け付けながら取材を進める「オープンジャーナリズム」を実践します。ルポあり。対談有り。そして、生放送あり。NHK在籍時には発信できなかった「テレビでは言えない話」を詰め込んだニュースチャンネルです。随時更新! 皆さんからの取材要望や情報提供を受け付けています。