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  • マンガのはじまり:その9(1,703字)

    2022-12-05 06:0023時間前
    110pt
    江戸が終わって明治になると、世の中は再び窮屈になった。今度は「政府」が、幕府に代わって人々を同調圧力で縛り始めたからだ。

    そのとき、まるで救世主のように、日本に2人の「ふざける男」が現れた。渋沢栄一と福澤諭吉である。

    2人はともに、「明治政府」の要人だった。そのため、2人とも公職に就くよう政府から請われたが、これを蹴って野にとどまった。そうしてフリーな立場で活躍したのだ。渋沢は経済の世界で活躍し、福澤は教育の世界で活躍した。

    この2人は、ともにかなり明確に明治政府を批判していた。その縛ってくる態度が気に入らなかったからだ。せっかく江戸の窮屈さが嫌で幕府を倒したのに、再び窮屈にしたのでは元の木阿弥だった。

    それでも、明治政府の権力はあまりにも絶大だった。そのため、2人は表立っては政府と対立しなかった。また、中に入って変えようともしなかった。そういうことをしても、結局権力にねじ伏せられ、望むよ
  • 庭について:その9(1,637字)

    2022-12-02 06:00
    110pt
    面白いことに、Wikipediaに「庭園史」なる項目がある。


    このことからも、「庭」というのは実に「文化的」な存在だということが分かる。

    ところで、これをつらつら見ていて思ったのは、ぼくがヨーロッパの「庭園」と聞いて、まず思いつくのはイタリアの「カゼルタ宮殿」である――ということだ。


    この庭の特徴は、なんといってもその「壮大さ」と「幾何学性」だ。誰が見ても、完全に常軌を逸している。およそ「ヒューマンスケール」というものからはかけ離れている。実に非人間的な景観である。

    この庭は、歩いていてもちっとも楽しくないだろう。完全に「眺めるため」の庭だ。それも、宮殿の決まった場所から眺めないと面白くないはずだ。それゆえ、「思わぬ発見」というものにも出会えない。完全に演出された空間である。

    それゆえ、この庭はしばしば「日本庭園の極北」
  • お金にまつわる思考実験:その6(1,764字)

    2022-12-01 06:00
    110pt
    はじめ、人々は採集をして暮らしていた。
    やがて、道具が採集を便利にすることが分かった。そこで、道具を作る技術や、生み出す「頭脳」が求められるようになった。

    中でも、貯蔵するための壺と、尖った金属は有用だった。この2つが、人類の生産性を飛躍的に高めた。

    生産性が高まると、人口が増える。それだけ養う力が増すからだ。
    ただ、人口は一足飛びには増えないので、その前段階として、あるいは平行して「余暇」が増えた。生産しなくてもいい時間というものが生まれたのだ。

    この時間に、人々は争い事をした。だから、それを取り締まったり裁定したりする「判事」と「警察」が必要になった。昔は、これを村落の「長」が担った。

    また、余剰物は交換を生み出した。以前も述べた通り、交換は社会運営の潤滑油だ。誰もが夢中になる。
    だから、あっという間に広まった。交換に必要なのは余剰な食物を保管したり運搬したりするための壺だ。まず壺があ