ハックルベリーに会いに行く
マンガの80年代から90年代までを概観する:その52(1,958字)
60年代は、世の中がかなり野蛮に推移した。活気はあったが、神経をすり減らすようなとげとげしさが支配していた。
そうした時代に、赤塚不二夫のマンガは処方箋になった。きつい毎日を、明るいギャグでなんとか慰めることができたからだ。忘れることができた。
それは、一種の麻薬のようなものだった。前回の記事で、「これでいいのだ『教』」と書いたが、むしろそれは即効性の強い「麻薬」的な便利さで、子供たちに消費されていった。
ただしそれは、もちろん本質的な解決ではなかった。そのため、70年代に入ると、より本質的な「安心」を求めるムーブメントが起こった。きつさからの解放を求める声が増えていった。
その意味で、70年代は錯綜した時代だった。2つのタイプの子供が混在した。
1つは、きつさに直面しながら、それをギャグという麻薬――「これでいいのだ」という思想で乗り切ろうとした子供たち。もう1つは、きつさそのものから逃
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