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石原莞爾はその生涯を「傍観者」として生きた。そこにおそらく彼の限界があった。
彼は、生まれてから死ぬまでずっと頭が良かったのだが、逆にいうと死ぬまでバカにはなれなかった。バカになれるだけの懐の深さや、あるいはもっと深い意味でのバカさがなかった。彼にはどこまでもバカの要素がなかった。これはどこを切ってもバカの要素が出てくる「バカの金太郎飴」のような東條英機とはまるで逆である。
本当は、一人のうちに頭の良さとバカの2つの要素を兼ね備えているのが良い。完爾と英機を足して二で割るのが理想だ。
そうでないと、事は為せない。しかし完爾は、実はそのことも分かっていた。それがちゃんと自分の弱みであることも知っていた。
だから彼は、傍観者だったのだ。常に主体的に動く「バカ」の相棒を欲していた。味方としてバカを必要としていた。
そうして、いつも味方を脇につけた。けっして一人ではなかった。しかしそれが、また彼の
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