ハックルベリーに会いに行く
石原莞爾と東條英機:その10(1,668字)
石原莞爾はその生涯を「傍観者」として生きた。そこにおそらく彼の限界があった。
彼は、生まれてから死ぬまでずっと頭が良かったのだが、逆にいうと死ぬまでバカにはなれなかった。バカになれるだけの懐の深さや、あるいはもっと深い意味でのバカさがなかった。彼にはどこまでもバカの要素がなかった。これはどこを切ってもバカの要素が出てくる「バカの金太郎飴」のような東條英機とはまるで逆である。
本当は、一人のうちに頭の良さとバカの2つの要素を兼ね備えているのが良い。完爾と英機を足して二で割るのが理想だ。
そうでないと、事は為せない。しかし完爾は、実はそのことも分かっていた。それがちゃんと自分の弱みであることも知っていた。
だから彼は、傍観者だったのだ。常に主体的に動く「バカ」の相棒を欲していた。味方としてバカを必要としていた。
そうして、いつも味方を脇につけた。けっして一人ではなかった。しかしそれが、また彼の
この記事の続きを読む
ポイントで購入して読む
※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら
- ログインしてください
購入に関するご注意
- ニコニコの動作環境を満たした端末でご視聴ください。
- ニコニコチャンネル利用規約に同意の上ご購入ください。