ここで少し時系列を整理したい。

1936年2月、二・二六事件が起きる。
1936年11月、満州に駐屯する関東軍の北支分離工作が激しくなる。北支分離工作とは、華北(中国の北の地方)を満州同様に中国から独立させ、中国の弱体化をはかる工作だ。

1936年12月、当時中央の作戦課長だった石原莞爾は、わざわざ満州まで赴き、分離工作を止めるよう部下たちを説得する。しかし二・二六事件を鎮圧した同志でもあり、直前に満州に赴任したばかりの武藤章から、「我々は石原閣下が満州事変でしたことを踏襲しているだけです」と皮肉を言われてしまう。さらに、盟友である板垣征四郎は、これを黙認していた。それで、石原も引き下がるしかなかった。

その後、陸軍中枢は「北支」の駐屯軍を増やしていった。実はこの頃、わずかだが北支にも陸軍を駐屯させていたのだ。これを増やすことで、満州の信仰を抑えようとしたのである。陸軍は縄張り意識が強いか