
野球道とは負けることと見つけたり:その20(1,879字)
蔦文也は長い間甲子園に出られなかった。その中で、次第に自分はもちろん周囲にも、文也のある種の「限界」というものが見えてきた。それは精神的なもので、「諦めが早い」ということと「失敗を恐れる」ということであった。
文也は、これまでの幾多の経験の中で、失敗は人間にとって必要不可欠なもので、それこそが人格を形成すると考えていた。だからだいじなのは「失敗すること」ではなく、「失敗から学び、再び立ち上がること」だと分かっていた。
それでいながら文也は、失敗を何より恐れた。これはもはや本能であって、失敗の構造をいくら理解しようとも直しようがなかった。
この矛盾は、周囲が文也の指導力を疑う一番の要因ともなった。普段は落ち着き払って深遠なことを述べるのに、いざ試合で監督をするとなると豹変し、少年の頃のひ弱で怖がりな文也が顔を覗かせるのだ。
それは誰より、ベンチで同席している野球部の「部長」が強く感じるところ
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