1938年12月、東條英機は多田駿を道連れにする形で陸軍次官をクビになり、陸軍航空総監に就任する。再びの閑職であったが、この頃は戦争における飛行機の重要性がにわかに高まっている時期でもあった。つまり未来の成長産業の長に、たまたまこのとき収まるのである。

そして1939年になる。太平洋戦争開戦の約3年前だ。この年に、日本にとっては実にいろんなできごとが起こる。

まずノモンハン事件である。「ノモンハン事件」とは、満州国とモンゴル人民共和国の国境線を巡って、日本軍とソ連軍がぶつかった事件だ。国の軍隊同士が戦ったが、両国が「これは戦争ではない」としたため「事件」と呼ばれる。ノモンハンとは、そのぶつかり合いのあった土地の名前である。

ただし「ノモンハン事件」は満州国側(日本側)の名称で、ソ連側はこれを「ハルハ河戦役」と呼んでいる。ハルハ河を国境とするか否かで争ったからだ。そのため西洋諸国では、