蔦文也は長い間勝てずにいたため練習後はさまざまな問題を起こすほど毎夜酔っ払っていたが、翌日の早朝には必ず起きて自転車で町内を巡るのが日課だった。町内を自転車で走る文也の姿を多くの人も認めている。

それから徒歩で5分ほどの池高グラウンドに行って自分が整備する。文也はグラウンドを整備するのが好きだった。自分では「人がおらなんで自分がする以外ない」と嘯いていたが、なかなか他人に任せようとはしなかった。文也はグラウンドを愛でるように整備した。それはグラウンド整備が好きというよりも、野球にかかわる何もかもが好きだからという感じだった。

それから生徒たちがやってきて練習を始める。文也は彼らにきつい練習を課しきつい態度で臨んだが、かといって細かい指示はほとんどしなかった。いつも独り言のように言いっぱなしで返事すら求めなかった。それはほとんど指導になっていなかった。コミュニケーションにさえなっていなか