石原莞爾は1938年6月に、病気を理由に関東軍参謀副長辞任を申し出る。

この前月、参謀長だった東條英機は中央への栄転で陸軍次官になっていたが、後任の参謀長には、石原ではなく別の人間が着任した。これはもちろん東條の差し金で、そこには石原は絶対昇進させまいとする強い意思が伺えた。

これで石原の気力が萎えたということはあるだろう。陸軍内における東條の権力は今や絶大で、これはもう逆転しようがない。それ以前からも東條が使う憲兵隊にさんざん嫌がらせをされてきて、それがこの先も続くかと思うともう全てが嫌になったのだ。

満州の人々を助けたい気持ちは山々だが、それ以上に自分の身体の不調がつらかった。石原はずっと膀胱を患っていた。それは長年の無理がたたってのことだ。元々それほど体が強いわけではなかったのだ。しかしその体で陸軍の厳しい生活に耐えてきた。満州では極寒に耐えてきた。

しかしそれがもはや限界に