
石原莞爾と東條英機:その84(1,779字)
石原莞爾は1938年12月に舞鶴要塞の司令官に就任する。この頃の日本国内にはいくつかの要塞があったが、それらは名目上作られただけで、誰も本当に使われるとは思っていなかった。日本が戦争をするにしても、日本が戦場になることはないと思っていたからだ。
実際、日本は沖縄以外で地上戦は行われなかった。日本は本土そのものが海に囲われた天然の要塞のようなものなので、もしここで陸戦が行われるようなことがあるとしたら、それこそもう日本人が絶滅するか否かの瀬戸際である。誰もそんなことは想像できなかったので、要塞はあくまでも建前で作られただけだった。
おかげで要塞司令官は「用ない司令官」と呼ばれてみんなからバカにされていた。しかし病気をしている石原莞爾にはぴったりだった。この頃は頻尿に加え血尿も患うようになっていた。文字通りの満身創痍だった。
それで石原はこの「用ない司令官」を楽しんだ。彼は遠方から訪問し
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