
石原莞爾と東條英機:その85(1,831字)
1938年12月から1939年8月まで、約9ヶ月間、石原莞爾は舞鶴にいた。この期間、時間の余裕があったので、療養に専念した。同時に、思想を深めるための読書や研究にも当たった。彼の中で、陸軍に対する興味がどうしようもなく薄れていったからだ。
しかしそんな石原をなんとか中央に戻そうと、盟友で当時の陸軍大臣でもあった板垣征四郎は、異動の時期である3月に、石原を師団長にしたいと天皇にお願いした。しかし天皇から「石原の処分はすんでいるのか」と尋ねられたため、結局この話は流れた。天皇は、石原が共産党に関係していたという、東條英機が焚きつけた満州時代のスキャンダルを気にしていたのだ。
天皇は、東條英機を妙に気に入った。勤勉で実直な性格が自分と似ていたからだ。共産党やクーデターを嫌うなど、思想面にも相通ずるところがあった。
ただし日中戦争については、不拡大派の天皇と拡大派の東條とで意見が分かれた。た
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