「令和の米騒動」は日本における「新しい分断」を露わにした。それは米騒動に参加する人と参加しない人との分断である。

面白いことに、米騒動に参加する人はテレビを見る人とニアリーイコールである。だからテレビでは連日大騒ぎだが、ネットではそこまで大騒ぎになっていない。それはお米を食べる人とネットを見る人の層が微妙に異なっているからだ。

これがどういうことかというと、人類はもはや、あるいは日本人はもはや、米なしでも生きていけるということである(それは同時にテレビなしでも生きていけるということでもある)。

それでもお米を食べる(テレビを見る)ということは、「古い生き方に固執している」ということもできる。実は「好きだから」とか「必要だから」という致し方ない理由ではなく、「古いやり方をやめられないから」というくだらない理由でやめられていない可能性が高いのだ。

ここに一つの「法則」が見て取れる。それ