
野球道とは負けることと見つけたり:その31(1,688字)
このときの野球部部長元木宏は1936年生まれである。1923年生まれの文也より12歳下で、いうならば弟分だった。
しかし文也によると、「勝負運がある人間」だった。麻雀をしていても、すぐに諦める文也と違って最後まで諦めない。そうして、最後の最後には勝利を手にする、そういうタイプだ。
また周囲からの人望と地域との強いコネクションがあり、教員を途中で辞めると政治家に転身して、1979年徳島県議会議員選挙に自民党から出馬し、46歳で初当選している。
ところが、7度目の当選を果たした2003年に、有権者にお金を渡すという分かりやすい買収の容疑で逮捕され、議員を失職している。そういう、酸いも甘いもかみ分けたタフな人物だった。
このタフな元木がこのとき、35歳という若さでベンチにいたのである。元木は、監督であり年上の文也に対して「蔦はん、投げたらあかん!」と一括した。しかし文也は、弟分からそう言わ
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コメント
コメントを書く面白いですね。投げ出すと道が開くって
>>1
蔦監督の座右の銘の一つに「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」があるんですが、もしかしたらこのときに到達した心境だったのかもしれません。