東條英機は最後まで石原莞爾と和解しようとしていた。その三番目の理由は、東條は詰まるところ石原のことが好きだったのではないかということだ。石原に強いシンパシーを感じていた。いや、憧れを抱いていたといっていい。

何と言っても東條と石原は同じ東北の「幕府側」の藩の出身である。そして共に、祖父がそれなりに高い地位にあった侍の家であった。しかも武闘派ではなくインテリで、藩の文化的な側面を担っていたことも共通する。

そうして維新後には、苦労しながらも侍としての矜持を失わずに生きてきた家系だった。さらに東條と石原には、同じ三男坊という共通点もある。しかも共に長男次男が早世したので、実質的な長男として育てられたことも一緒だ。

ただし、東條と石原には一つだけ大きな相違点がある。それは、東條の父は陸軍士官だったので、東條自身の生まれ育ちは東京の都心部だったこと。一方の石原は山形県の鶴岡市で生まれ育ち、中