1973年の秋期大会のとき、池田高校にはまだ12人の生徒がいた。前回は11人と書いたがそれは誤りだった。2年生7人、一年生5人の12人で、三年生の1人が辞めるのは秋の大会の後であった。

この秋の大会の直前に、しばらく部を無断欠席していたキャッチャーの野木正治が帰ってきたこともあって、チームの雰囲気は盛り上がっていた。それに対し監督の蔦文也は、なぜか静かで、通常は大会直前であってもたくさんの遠征試合を組むのだが、このときはそれがなかった。雌伏して、じっくりと力を溜めるという感じだった。

この新チームは、秋季大会に先立つ新人大会で、地区で準優勝、また県でも準優勝を飾る。だから、一応優勝候補の一角には挙げられていた。しかしあくまでも本命は、新人大会で優勝した徳島商業だった。池田は新人大会の決勝でこの徳島に完敗しており、その意味で気負いというのはほとんどなかった。純粋に挑戦者の立場だった。