ハックルベリーに会いに行く
1973年の秋季四国大会一回戦、池田は優勝候補筆頭の高知高校に2-1と競り勝つ。この試合のハイライトは、三回表の池田の攻撃だった。
池田高校は一番雲本博からの攻撃だった。この雲本は、伸長が160センチそこそこで、二番の泉岡文教と合わせて「チビッココンビ」と呼ばれていた。当時は新聞にもそう書かれているのだ。それほど表現が自由という時代でもあったが、同時に当時から際立って背が低かった。
池田高校には一定数、背の低い生徒たちがいる。それは、池田高校より西の山岳地区である「祖谷地区」に住んでいる子供たちは、おしなべて背が低かったからだ。池田高校へは、街中と山岳地帯から半々くらい生徒が来るのだが、その身長は明らかに街中の子の方が大きかった。
こういうことは、当時の日本ではよくあった。今では覚えている人がほとんどいないが、当時は子供の平均身長が急激に伸びていたのだ。ここ数年は逆に縮んでいるくらい
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