石原莞爾が開戦を知ったのは、1941年12月8日の朝、講演旅行で岡山から高松へと渡る宇高連絡船の中でだった。船の館内アナウンスで知ったのだ。

それは真珠湾攻撃成功の報だった。これに接し、石原莞爾は思わず泣いてしまったという。直後に書いたリーフレットの一文に、こんな記述がある。

「思わずなんというふか、どうしても仕様がなくてこの禿頭が泣いて仕舞ったのであります。こんな切れ味のいゝ武者振りは、人間の歴史あって以来なかったのであります」

これは1942年2月、東亜連盟の機関誌で発表している。またその日の夜の講演会では、早速これからの戦い方について語った。

「戦線が伸びて来ると敵の潜艦飛行機の為めに作戦は困難になることを十分覚悟して置かなければならぬ」

昨日まで堂々と反戦を唱えていたのに、いざ開戦したとなっては、もうそれを主張しても仕方ない。そこで方針を転換し、今始まったばかりのこの戦争