ハックルベリーに会いに行く
石原莞爾が開戦を知ったのは、1941年12月8日の朝、講演旅行で岡山から高松へと渡る宇高連絡船の中でだった。船の館内アナウンスで知ったのだ。
それは真珠湾攻撃成功の報だった。これに接し、石原莞爾は思わず泣いてしまったという。直後に書いたリーフレットの一文に、こんな記述がある。
「思わずなんというふか、どうしても仕様がなくてこの禿頭が泣いて仕舞ったのであります。こんな切れ味のいゝ武者振りは、人間の歴史あって以来なかったのであります」
これは1942年2月、東亜連盟の機関誌で発表している。またその日の夜の講演会では、早速これからの戦い方について語った。
「戦線が伸びて来ると敵の潜艦飛行機の為めに作戦は困難になることを十分覚悟して置かなければならぬ」
昨日まで堂々と反戦を唱えていたのに、いざ開戦したとなっては、もうそれを主張しても仕方ない。そこで方針を転換し、今始まったばかりのこの戦争
この記事の続きを読む
ポイントで購入して読む
※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら
- ログインしてください
購入に関するご注意
- ニコニコの動作環境を満たした端末でご視聴ください。
- ニコニコチャンネル利用規約に同意の上ご購入ください。
新着記事
当時のことを知っている人やその子供たちあたりが全員寿命で亡くなってしまった後の方が、かえって正確に歴史を語れるのかもしれませんね。最近テレビで戦争の記憶の継承という話をやってるのをちらっと横目で見たんですが、うさんくさいことこの上ないなと僕は思いました。
岩崎夏海(著者)
>>1
80歳過ぎの老人の混濁した頭で語る幼少期の朧気な記憶というものを真実として受け止めるのは無駄というよりかえって害悪というか、いっそ危険ともいえます。そもそも当時まだ5,6歳だった子供に何が分かるかと言いたいです。それよりも、終戦直後に撮った軍人たちのインタビューやニュース映像などがあるので、そういうものをこそ見せるべきだと思います。
コメント
コメントを書く