ハックルベリーに会いに行く
蔦文也の人生――取り分け幼少期はどのようなものだったろうか?
それは一言でいうなら「激動」である。「天国と地獄」ともいえる。それも比喩的表現ではなく、文字通りのものとしてだ。
この時代に生まれた人々は、日本の長い歴史の中でも最も不遇で、最も運が悪かった世代といえよう。特に男性は運が悪い。最も戦死者が多い世代だからだ。
文也の同世代の多くが戦争で死んだ。ざっと5人に1人は死んだ。また文也は同志社の文学部に進んでいるが、学徒動員で戦地に行かされたのは文系の学生だけだった。理系の学生は研究室で新兵器の開発に当たっていた。
だからなおさら文也の同級生で死んだ人は多かった。ただしもちろんこうなるのは戦争が始まってからのことである。戦争が始まる前にはまた別の人生があった。文也が生まれた1923年は、ちょうど関東大震災の年でまだ昭和不況は始まっていなかった。そのため文也の両親には「モボ・モガ」の気
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