ハックルベリーに会いに行く
徳島商業時代の蔦文也は、チームメイトと共に、監督である稲原幸雄にさんざん走らされた。それでロードワークで稲原のいないところまで来ると、徳商の方に向かってみんなで「稲原のバカヤロー」と叫んだそうである。そうして気を紛らわしていた。
稲原は厳しかったが、けっして恐れられてはいなかった。むしろADHD特有の「調子の良さ」から舐められたり軽視されたりしていた。これが文也に多大な影響を与えた。文也の後年の指導スタイルは、この稲原直伝のものである。
稲原は、生徒たちに尊敬させなかった。文也も、これに倣って生徒たちに尊敬させなかった。そもそも文也は極端な恥ずかしがり屋である。だから、人から尊敬されることがなんともむず痒かった。
そこで、生徒から尊敬されないよう心がけた。そんなとき、生徒に尊敬されない稲原はとても参考になった。そもそも稲原は人間が柔らかく、人に気を遣わせなかった。その点も文也には良か
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