徳島県の中央から見てやや東よりに川島町という町があった。吉野川のほとりにあって、今は吉野川市となっている。

徳島市と池田町の中間にあるが、より徳島市に近い。高度経済成長期には徳島市のベッドタウンとして発展した。東京でいえば八王子のような位置に当たる。徳島市まで電車で一時間弱、逆に池田町には一時間半かかる。

そんな川島町に、ある工場勤務の男が暮らしていた。彼は徳島商野球部の出身で、文也の後輩に当たった。ただし1933年生まれだったから、1923年生まれの文也とは10歳離れており、お互いに面識はなかった。

男は、野球が大好きだったが、プレーはあまり上手くなかった。そのため徳商野球部では補欠に甘んじ、またチーム自体も甲子園には出られなかった。それでも、野球と、そして徳商野球部をずっと愛し続けた。

その男には、一人の息子がいた。息子は1961年生まれである。つまり男が28歳のときに生まれた