ハックルベリーに会いに行く
1977年4月、徳島県川島町(現吉野川市)から、吉野川を逆流して池田高校に入学した男子生徒の名前は、橋川正人といった。通学するとなると家から片道二時間もかかるので、学校近くの「大和(やまと)寮」に入った。
大和寮は、学校近くにある大和病院の院長が蔦文也監督の大ファンで、自分が所有している住宅を無償で提供してくれてできたものだった。1975年に、前年に準優勝したさわやかイレブンの影響で入学者がどっと増え、遠方から通う子供も引き受けなければならなくなったとき、できたものだった。
つまり大和寮は、野球部のためだけの私設の施設だった。橋川もそこに入った。入ったものの、橋川は不満だった。自分はやはり徳商に行きたかったし、それ以上に蔦監督を、父とは違ってどうしても尊敬できなかったからだ。
橋川が蔦監督を尊敬できない理由ははっきりしていた。その態度に首尾一貫性がないのだ。入学前はニコニコとした顔で
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