ハックルベリーに会いに行く
橋川正人の学年(1977年入学組)には、橋川の他に山本啓二、山下敏道という二人のピッチャーがいた。橋川は実力的には三番手だった。この三人が、ずっとバッティングピッチャーを務めていた。
池田高校は、さわやかイレブンの活躍で1974年に全国に名を轟かしたが、この年以外もずっと部員は少なかった。1978年も20人くらいしかいなかった。
20人くらいだが、練習時間のほとんどはバッティング練習に費やしていた。当時はまだピッチングマシンがなかったから、バッティングピッチャーは毎日投げ通しだった。だいたい一人毎日300球は投げさせられた。
なぜ毎日投げさせられたかというと、狙いは二つあった。一つは高校野球は勝ち上がると連戦になるので、連戦でも耐えられるような強い体を作ること。もう一つは投げ続けて疲れると、自然と肩の力が抜けて理想のフォームに近づくこと。いわゆるクラッシュアンドビルドだ。
監督の蔦
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