1978年秋、池田高校は徳島県の優勝校として四国大会へと進んだ。その一回戦が、池田高校を数奇な運命へと導くターニングポイントとなる。

この大会は、四国4県の優勝校と準優勝校、計8チームが出場する。通常、春の甲子園の四国から出場校は3校だった。ただ、当時の四国は全国的な強豪がひしめき優勝も多かったので、希に4校が選ばれることもあった。

そのため、1回勝ってベスト4に進めば、甲子園出場の可能性はぐっと高まった。2回勝って決勝に進めば、甲子園出場はほぼ手中に収めたようなものだ。優勝すれば文句なく出場が決まる。逆に初戦で負けると出場は絶望的だった。

センバツの難しいところは、そんなふうに勝ち上がったからといって出場が確約されないところである。出場校はもちろん出場枠すら主催者の意図で決まってしまう。

しかしもちろん、その意図にも傾向はあった。基本的には、高野連が望ましいと思う高校が選ばれやす