池田高校は二回の表、主将で捕手の岡田康志が右手人差し指の怪我でボールを投げられなくなった。そこで一塁に回り、一塁の岡本聡が捕手に回ることになった。

そこから池田はどうなったか? 面白いのは、誰も動じなかったということだ。

まず捕手という重役を任された岡本が動じていなかった。それは岡本の呑気な性格にもよるだろう。彼は細かいことを全く気にしない質だった。岡田が怪我をしたならしょうがない。それならおれが捕手をやろう。即座にそう割り切ることができた。

そもそも池田高校は、部員が少ない。このときもわずか18人である。その中で紅白戦などを行うから、守備の掛け持ちをすることがよくあった。

その際に岡本は、セカンドチームの捕手をよく務めていた。ときにはエースである橋川正人とバッテリーを組むこともあった。だから、正直なところ慣れてはいたのだ。

これは池田高校の部員数の少なさによる怪我の功名だった。