1979年7月15日、第61回全国高校野球選手権大会徳島大会が、県営鳴門球場で開幕した。

この年から、南四国大会が廃止になった。そうして、全ての都道府県から1校ずつ出場できるようになった。東京と北海道は2校出られるので、合計49代表となった。

この前年の第60回大会は、「記念大会」ということで出場枠が49あった。それがこの年の第61回大会から、記念大会ではない通常大会でも49校出られることになった。つまりこれがレギュレーションとなったのだ。このレギュレーションは、今に至るまで半世紀近くも継続している。

これはもちろん、池田高校にとっては僥倖だった。これまでのように県大会で優勝しても、南四国大会で負けたら甲子園に出られない、ということがないからだ。池田は、とにかく南四国大会を苦手としていた。それがなくなったというだけで、心の負担はかなり減った。

特に監督である蔦文也の負担が減った。と