1893年にシカゴ万博が行われた。このときフランク・ロイド・ライトはまだ26歳だった。ただしアドラー=サリヴァン事務所にもう5年も在籍していて、そこで事務所が受けた住宅設計はもちろん、内職でこっそりいくつかの住宅設計も手掛けていた。そんなふうに、既にそれなりのキャリアがあった。

ところがその内職がサリヴァンにバレて、事務所を退職した。フリーになってこれからどうしようかというときに、師匠であるサリヴァンもいくらかかかわっているシカゴ万博が開かれたのである。時間があったライトはこれを当然のように見に行った。

するとそこでライトの生涯を決定づけるような出会いをする。それは日本建築との出会いだ。このシカゴ万博には、日本も出展していた。そしてその展示館を、平等院鳳凰堂を模した純和風の建築としたのだ。名前はそのまま「鳳凰殿」だった。

これは、新古典主義の白亜のヨーロッパ建築が並ぶ会場にあっては、