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小説や映画の表現方法の一つに「メタファー」というのがある。例えば、映画「スタンド・バイ・ミー」に登場する4人の少年は、それぞれ煙草を吸っているのだけれど、それは彼らが「優等生ではない」ということのメタファーである。なぜなら優等生は、法律違反であり校則違反でもある煙草を吸ったりしないからだ。
しかしながら、それは彼らが「不良」であることのメタファーには、すぐには結びつかない。ここでメタファーは、さらに2つにカテゴライズされる。1つは「堂に入った不良」、もう1つは「不良に憧れる優等生崩れ」である。
これは、煙草の吸い方で分類される。煙草を吸い慣れているのは「堂に入った不良」で、不慣れな感じなのが「不良に憧れる優等生崩れ」である。
つまり、この映画では「煙草」のみならず「煙草の吸い方」もメタファーになっているのである。観客は、煙草を吸い慣れた少年を見ると、「この子は堂に入った不良なのだな」と受け取ることができるし、煙草を吸い慣れていない少年を見ると、「この子は不良に憧れる優等生崩れなのだな」と受け取れる。メタファーは、そうした状況を具体的な説明なしに伝えることができるのだ。
「メタファー」とは、具体的な説明をせずに状況を伝える手段である。これは、小説や映画などでよく使われる。なぜかというと、表現手段としてとてもすぐれているからだ。
メタファーのすぐれているところは、大きく2つある。
1つは、少ない情報で多くを伝えるられること。上記の「堂に入った不良少年」や「不良に憧れる優等生崩れ」も、あえて説明するとくどくなる。しかし、煙草を用いれば一発で伝えることができるのだ。このように、メタファーを用いると少ない手間でより多くの情報を伝えられるという利点がある。
もう1つには、メタファーは受け取る側に独特の快感をもたらすこと。メタファーが理解できると、受け取る側は、「自分がその世界の仲間になったような感覚」を持つことができ、より作品に感情移入できるのである。
上記の例でいうと、例えば小学生の観客は、不良の生態をまだよく知らないから、子供が煙草を吸っていると、ただ「悪いことをしている」くらいにしか受け取れない。もちろん、勘の良い子は理解したりもするけれど、たいていの小学生は、それがメタファーだとは分からない。
しかし、これが高校生以上ともなると、実人生の中でそうした人たちと遭遇した経験をかなりの確率で持っているので、メタファーだと理解できるようになるのだ。
そういうふうに、メタファーを理解できる人はそれを目の当たりにした時、「あ、分かる」と、理解できることの喜びを、まず味わえる。次いで、「小学生の頃には分からなかったこのメタファーを、大人になって理解できるようになったんだ」という、自分自身が成長したことへの喜びも、同時に味わうことができるのである。
さらには、そういう不良や優等生崩れが存在する世界が、自分にとって馴染みの世界だと感じられると、そこに親近感を抱くこともできる。これは、説明もなしにそのことを理解できたことによる快感――つまりメタファーを読み解けたことの快感だ。
メタファーには、そういう効用もあるのだ。それらがあるから、表現者はよくメタファーを使用するのである。
ところで、近頃どうしたことか、そういうメタファーを受け取れない人が多くなった。それも、子供ではなく大人にそういう人が増えている。
どういうことかというと、映画「風立ちぬ」の中に登場する喫煙シーンをめぐって、日本禁煙学会が抗議を申し立て、さらにそれに対して、喫煙文化研究会が反論を試みているのだが、この両者ともが、メタファーを置き去りにしているのである。
まず、日本禁煙学会の抗議なのだが、彼らは
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このシーンに抗議が入ったと聞いて、私と友人は第一声を同じくして
「人を好きになったことないのかな?」と言いました。
女の立場からするとあの時のナホコの気持ちがよくわかるシーンでした。
あの山を下りて来た時点で、自分の身体より彼と一緒にいる時間を選んだのであって、
今更たばこくらい、というか、さらに「時間がない」と自覚しての
数分も離れたくない、という気持ちがよく出ているシーンです。
少しでも好きな人と一緒にいたい、って気持ちは
メタファーとはちがう?
男にはわからんのですかね。
岩崎夏海(著者)
>>1
おっしゃるような「好きな人と少しでも一緒にいたい」という気持ちをより強く表現するための「小道具」として、病気やタバコが機能しているのです。
病気があるけど、離れない=「好きな人と少しでも一緒にいたい」という気持ちの強さ
タバコが害だけど、離れない=「好きな人と少しでも一緒にいたい」という気持ちの強さ
という公式になっています。