長く世の中に残るエンターテイメントについてです。
ブルーハーツや尾崎豊、或いは「スタンドバイミー」や「ロッキー」は長く愛されていますが、そのとき「全米No.1」と話題になっても、長く愛されなかった作品はたくさんあると思います(余談ですが、私はアンディ・ラウ主演の「墨攻」という映画が好きで、とても良い映画なのですが、30年残る映画とは思えません)。
良い映画でも残らない映画がある中で、世の中に残って愛されるコンテンツと、そうでないコンテンツとの違いは何か。教えていただけないでしょうか。
[回答]
長く残る名作と消えてしまう作品の違いは何か?
それは「作者の執念」がそこにあるかないか――だと思います。
今回は、その「執念」とは何か、ということについてお話しします。
ちょっとエンターテインメントから離れてしまうのですが、ぼくはスポーツが好きです。するのも好きですが、観戦するのが好きです。若い頃は、真剣にスポーツライターを目指そうとしたくらい、スポーツ観戦が好きでした。
その中で、やがて「記憶に残るプレー」と「そうでないプレー」があるということに気づきました。
その時は評価を受けたプレーでも、後で全然思い返されないし、話題にもならないプレーがある一方、ずっと語り継がれるような、いわゆる「伝説的」プレーがあります。
そんな伝説的プレーの中でも、ぼくには忘れられない、ある一つのプレーがあるのです。
それは「ザ・ヘリコプター」と呼ばれるプレーです。アメリカでは、伝説のプレーによく名前がつけられますが、このプレーにも、そんな名前がつけられていました。
「ザ・ヘリコプター」とは、このようなプレーです。ここにユーチューブの動画を貼っておきます。
All Time Bronco Plays: #1 The Helicopter
「ザ・ヘリコプター」は、ご存じの方には今さら説明するまでもない有名なプレーですが、ご存じない方には「なぜこのプレーが伝説なのか」というのが少し分かりにくいかと思うので、ここで説明します。
まず、ジョン・エルウェイという、アメリカンフットボールのプロ選手がいました(もう引退しています)。アメフトで世界最高峰のプロリーグであるNFLの、デンバー・ブロンコスというチームに所属していました。
エルウェイというのは、まあ一言で言えば「天才」でした。そして、超エリートでした。大学時代から将来を嘱望され、ドラフトではいの一番――つまりあらゆる選手の中で最初に指名されました。
彼は、野球で言えばピッチャーにあたるクォーターバック(以下QB)という花型ポジションの選手でした。その一番ですから、エリート中のエリートだったのです。
プロになったエルウェイは、順調にキャリアを積み重ねていきます。すぐにNFLでもトップクラスの活躍を見せるようになり、それまで弱小だったデンバー・ブロンコスを強豪に押し上げ、とうとうリーグのチャンピオンを決めるスーパーボールへの出場を決めるのです。
しかもエルウェイは、1986年、87年、89年と、4年間で3度もスーパーボール出場を決めました。しかし、そのいずれでも敗れ、準優勝に終わります。
ただ、これはエルウェイのキャリアを傷つけるものではありませんでした。というのも、準優勝といえどもスーパーボールに何度も出るのは立派だし、まだ若かったので、この先にもチャンスはあるだろうと思われていたからです。
ところが、その後には長い低迷が待ち受けていました。エルウェイ自身はずっと活躍を続けるのですが、チーム力がそれに伴わず、長い間スーパーボールはおろか、プレーオフにすら出られない状態が続いたのです。
そうした苦労の末に、1997年、8年ぶりにスーパーボール出場の機会を得ます。
この時には、彼もすっかりベテランの域に達し、37歳になっていました。そうして、その間には何度か大きな怪我も経験していたので、引退の危機が囁かれたことも一度や二度ではありませんでした。そのため、このスーパーボールは、エルウェイにとっては最後のチャンスだと言われていたのです。
そうして迎えた試合本番は、後半まで同点という息詰まる熱戦がくり広げられました。そんな中、第3クオーターにエルウェイは大きなチャンスをつかみます。敵の陣地に大きく迫ったのです。ここでタッチダウンを挙げれば、勝利を大きくたぐり寄せるという、その試合の山場を迎えます。
そこで出たエルウェイのプレーが、すなわち「ザ・ヘリコプター」でした。
このプレーは、ぼくもテレビで見ていたのですが、思わず「あっ」と声を上げてしまったほどでした。それくらい凄いプレーだったのです。信じられないプレーでした。
どう凄かったか、なぜ信じられなかったかといえば、それは、
コメント
コメントを書く短い間にドラマがありますね。
まずパスの出しどころがない絶望的な状況があり、切り替えて自分で行くことにする。そして最後の最後で頭からダイブというあり得ないプレー。あの瞬間は自分の命などどうでもよかったのでしょうね、久しぶりに見ても鳥肌がたちます。
永続性と一瞬の火花のような瞬間が同居しているような状態ということでしょうか?
というのは、真似なので(敬意)置いといて、やはり、このブロマガをチャッチしたことがここ最近の(10年?20年?)ぼくのヒットですよーー!
さて、寝るかぁ!
いまだ勧めても一人も講読してないです。
それがステイタスにならないように僕は願ってますよ。
推し量れるものはぼくの精一杯ですが、野に下っていてください。と、今日は思いました。
>>1
スポーツはこういう瞬間を見せてくれるのが何よりの醍醐味だと思っています。
>>3
ありがとうございます。
なかなか伝わらないところもありますが、この状況を打開するには、愚直にチャレンジし続けることだと思っています。