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クリエイターに必要な「勘違い」(1,899字)
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クリエイターに必要な「勘違い」(1,899字)

2016-03-21 06:00
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最近、「クリエイターとは何だろう?」ということを再び考えている。
「クリエイター」とは、何かを作れる人のことだ。
では、どうしたら何かを作れるのか?
例えば、小説はどうしたら書けるか?

そこで思うのは、小説を書くにはある種の「勘違い」が必要だということ。
だから、クリエイターには勘違いした人が多い。というか、そういう人しかクリエイターにはなれない。
では、クリエイターになるために必要な勘違いとは何か?
今回は、そのことについて書いてみたい。


クリエイターに必要な「勘違い」とは、「私はこの世界を理解した」という思い込みのことである。
例えば、「ニートが異世界に転生した小説」を書こうとした場合、作家には「私はニートを完璧に理解している」あるいは「私ほど異世界に詳しい人間はいない」といった勘違いが必要だ。これがないと書けない。
ところで、これがなぜ「勘違い」なのか? 本当に理解して書くのはいけないのか?――といった疑問については後述する。

「勘違い」とは、言い方を変えれば「分かった気になる」ということだ。その世界を理解しているという自信を抱くことである。
なぜそれが必要かといえば、その世界のことを「分かった気」にならないと筆が動かないからだ。「小説を書きたいけど書けない人」というのは、大体この壁に阻まれている。「自分はニートのことを書く資格がない」とか「自分は異世界のことが書けるほど詳しくない」という自信のなさが、小説を書くことを阻害しているのだ。

小説を書ける人にはこれがない。彼らがしばしば傲慢に、あるいは自信過剰に見えるのはこのためだ。小説を書きたいけれど書けない人にとって、そういう自信家は「恥知らず」と軽蔑の対象となる。しかしその通り、小説は恥知らずでなければ書けない。恥を知っていることが、逆にクリエイターにとっては致命傷となるのだ。

それでも、こんなふうに考える人がいる。
「いや、だから本当にニートや異世界のことを理解してから書けばいいではないか。ちゃんとその知識を恥ずかしくないレベルで習得したなら書いてもいい」
ただ、こういう人はそもそも「理解」ということの本質が分かっていない。

これは、何かの道にちょっとでも習熟した人なら分かると思うが、「理解」あるいは「分かったつもり」というのは、実は長くは続かない。たとえ一旦は分かったつもりになっても、またすぐに分からなくなるものなのである。

例えば、野球選手のイチローは何度かバッティングに開眼している。彼は何度も「バッティングのことが分かった!」という気になっている。
しかしながら、その感覚はやがて消えていく。そして、その分かったつもりが単なる勘違いであったということを後になって知る。

しかし、イチローが面白いのはそうした勘違いしているときにこそヒットを量産しているということだ。そして、それが勘違いだと気づいてフォームを修正しているときには、短いながらも不調に陥る。イチローの野球人生は、そういうふうに何度か軌道修正を余儀なくされてきた。

このように、「理解」あるいは「分かる」というのは、ある種の勘違いであると、たとえイチローほどではなくとも、何かの道にちょっとでも習熟した人なら分かる。それは束の間の夢のようなものだ。

ただイチローは、その後も再びバッティングのことが分かった気になっている。それを何度もくり返している。
なぜかといえば、彼はそれが束の間の夢だとは分かりつつも、同時にそれを信じることができているからだ。分かったつもりが幻であると知った上で、なお分かったつもりになれているのである。
その意味で、イチローは非常に厚かましい人間である。恥知らずといっていい。
そういう厚かましい人間だからこそ、ヒットを年間263本も打ったり、日米通算で4000本も打ったりすることができるのである。

つまり、クリエイターとして継続的に活動している人というのは、何かのことが分かった気になるのはある種の勘違いであると知りながら、その上でそういう気になっている。そこまで恥知らずなのだ。
逆に、一度はクリエイターになったもののそれを継続できない人というのは、この種の恥知らずさがない。それが勘違いだと分かったとき、二度とそういう気持ちを抱くことができない。

小説家でいえば、ニートのことも異世界のことも、人は本質的に理解できないと知りながら、なおそれを理解したと素直に思い込めるほどの厚顔さがなければ、書き続けられはしない。
そういうふうに、勘違いすること、あるいは厚顔であることが、クリエイターになるためには、あるいはクリエイターでいつづけるためには、欠かせない条件となっているのだ。
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納得のしづらい前提条件の上に、さらに自分の我流の考え(思い込み、人によって聞いたらそれこそ人の数だけ違う返答が帰ってきそうな事)を乗せて話しているから説得力がない気がします。

まず、最初の前提条件に皆が納得の出来る、分かりやすい、説得力のある条件をあげなければならないと思います。それが出来ないとその後の話全てに説得力が持てなくなるからです。大学のレポートや評論文の鉄則として、「皆が納得できる視点」「常識として皆が共有しているであろう感覚」を前提に話を作らなければならない、というのがあります。

なのでまずクリエイターに必要となるのは「皆が知っている当たり前、皆が考える常識」をきちんと理解する事なのではないでしょうか?
話の中に出てきた『イチローは勘違いをしている時の方が打てる』という話を平気で持ってきていましたが、これにまずすんなりと納得できる人はいないと思います。イチローがフォームを修正したり時期によって伸び悩んだりすることは理解できるにせよ、打てている時に分かった気でいる、勘違いをしている、という結論はあなたの想像の域を出ていないのに、それをさも皆が納得できる話題のように切り出しても、共感は得られないと思います。例え事実として『イチローは調子がいい時は分かった気でいる』という事実があったとしても、それを裏付けるイチローさん自身の証言や、それらしい評価を下している専門家の意見も無しに読んでいる人を納得させられる力はないと思われます。

長々と書いてしまいましたが、岩崎さんの記事をもう長い事読ませて頂き、岩崎さんにはこう言った事に苦言を呈してくれる先輩や師、文句を言う同僚仲間やライバルもいないのだと私も勝手に思い込んだうえで、書かせて頂きました。生意気な文章で大変申し訳ありませでした。

No.1 105ヶ月前

このブロマガ主がどんだけイチローのことを知ってるのか知らないけど、流石に自伝なり何なりで言ってたんじゃないの?なんの根拠もなく「イチローは分かった気で居る時のほうが打ててる」なんて書かないと思いますが。

ところでこの記事、すごく共感できます。例えばSF,ロボット物のゲームや漫画、イラストを書くときって細かい機構とかの説明をそれっぽく作りこんであるほうがリアリティが増しますよね。でも実際には機械工学の知識なんて殆ど無いことが多く、適当に参考資料を読んで機械の構造やエネルギー学を分かった気になる。その上でその知識にそれらしい空想を乗っけて、設定が作りこまれているっぽい雰囲気の作品を作ります。その時にどこまで専門知識を身に付けて、いかにそれっぽい嘘を乗せられるかが力の見せ所というか、SFの世界観ってそういうものですよね。って読んでて思いました。

No.2 105ヶ月前
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