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令和日本経済の行方:その31(1,620字)
2023-01-31 06:00110pt新しい時代に最も脚光を浴びる産業は「建築・移動・教育」だ。明治維新後や敗戦後も、建築・移動・教育が産業(社会)の主役になった。逆に、時代が停滞し、文化が淀むと、建築・移動・教育もまた淀む。
令和初頭の現在は、まさにそうした時代といえよう。建築・移動・教育はすっかり社会の脇役になってしまった。新しい建築・移動・教育は、むしろ声高に非難する人の方が多い。
面白いのは、そういうものを非難するのは主に「左翼」の人たちということだ。いわゆる革新派である。
革新派は、社会が停滞すればするほど存在感が増す。だから、皮肉なことにむしろ停滞を望む。その逆に、保守派は社会が変革すればするほど発言権が増す。だから、社会が変革することを望むのである。
思想家は、右も左もだいたいそういう「ねじれ」た状況で社会を見ている。だからこそ、ドラッカーは思想家を忌み嫌い、「そうなってはならない」と口酸っぱく説いた。代わりに、 -
令和日本経済の行方:その30(1,648字)
2023-01-24 06:00110ptぼくは今後も、日本で生きていこうと思っている。それは、日本が今はもちろん将来的にも最も生きやすい国と思うからだ。
今の日本人を覆う「生きづらさ」は、江戸時代末期、あるいは第二次世界大戦中の状況に似ている。お先真っ暗だが、実際はここを抜けると明るい社会が待っている。そうとらえて、今から未来に向けてポジションを築いていこうと思っている。
では、どうやってポジションを築くのか?
それには、明治維新後、あるいは第二次大戦後にポジションを築いた「産業」が参考になる。
混沌とした世の中が終わると、人はある傾向に則って行動する。そうして、たいていある特定の産業が隆盛する。その「混沌後に隆盛する産業」に今のうちからコミットしておけば、いざ混沌が終わった際には「先行者利益」を得られるのだ。
では、その混沌後に隆盛する産業とは何か?
それは、大きく3つある。1:建築、2:移動、3:教育である。
まず1の建築。 -
令和日本経済の行方:その29(2,485字)
2023-01-17 06:00110pt日本社会は、うまくできていると思う。それは「昔が」ということではなく、「今も」そうだと思う。
日本社会のすぐれた特徴の一つに「本音と建前を使い分ける」というのがある。これが昔も今も強烈に効いている。
コロナのときも、口ではマスクが大事と言いながら、実際は軽視した。すると、本音と建前の間を自由に行き来することができた。そうすることで、生き方の多様性が担保されたのだ。
それが、良くも悪くもグローバル社会に馴染みにくいという性質にはつながっている。おかげで、諸外国からはいまだに不思議がられている。
それにもかかわらず、日本人はこのシステムを採択し続けている。むしろ令和になってから、本音と建前の使い分けがますます大きくなったのではないだろうか。
おかげで、今の日本社会は限りなく自由が広がった。本音と建前の差が開けば開くほど、選択できる生き方が増えたからだ。
しかしその結果、少子化が起こった。人々が -
令和日本経済の行方:その28(1,618字)
2023-01-10 06:00110pt日本社会というのは実に巧妙にできている。自由がないようで、実はしっかり存在する。
ここ数年でぼくが強く感じたのは、まず日本にはコロナのワクチンを打たないでもいい自由がある、ということだ。次いで、学校に行かないでいい、という自由もある。さらに、サラリーマンにならなくてもいい自由や、都心に住まなくてもいい自由がある。一見自由がないように見えて、実は自由が大きいのだ。
これは日本社会の特性だろう。「常識」という緩い鎖で縛ることはするが、自分で脱しようと思えば簡単に脱することができる。ただし、脱して失敗した場合は「自己責任」というわけだ。そこで何かあっても知らないよ――というわけである。
そのため、日本では定期的に「脱常識した人の転落話」がもてはやされる。最近の典型は、脱サラして飲食店を始めたものの、数年で閉店し、退職金が全て消え、今はアルバイト生活――などという話だ。そういう不幸を好む人が本当に -
令和日本経済の行方:その27(1,946字)
2022-12-27 06:00110pt2日本には、いずれにしろこれから新しい「社会体制」が必要になるだろう。その際、急激な変革は上手くいかない。ムダな軋轢を生むだけだからだ。
そのため、そこでは緩慢な「なし崩し的変化」が求められる。「なし崩し」は普通悪い意味で使われるが、こと社会変革においては非常にポジティブな意味を持つ。
明治維新や敗戦後の社会変革も、なし崩し的に行われた部分が大きかった。だから上手くいったのだ。日本には、「なし崩し的な社会変革」が合っているということもある。だから今度の社会変革も、明治維新や敗戦と同じようになし崩し的に行われるだろう。
ただし、なし崩しとはいってもそこでいくらかの血が流れることは免れない。明治維新でも敗戦でも多くの血が流れ、多くの痛みが伴った。「痛みなくして前進なし」というが、それを体現するような変革がこの2つの事例だった。
そのことを、日本は再びくり返さなければならない。そういう局面にまです -
令和日本経済の行方:その26(2,119字)
2022-12-20 06:00110pt科学化された社会の運営において、リーダーは「独裁者」が望ましい。なぜなら、独裁者の方が合理的だからだ。そうして、あくなき合理性を追求するのが科学化社会である。
ただ、独裁者には「小利口化して世の中を不幸に陥れる」という危険性が伴う。だから、それを計画的(科学的)に避ける必要がある。予防する必要がある。
独裁者の小利口化を予防するには、まず「なぜ独裁者は小利口化するのか?」ということを解き明かす必要があるだろう。ただ、これの答えはほとんど2つしかない。1つは、「独裁者の道を退いたとき、大きな厄災が待っている」ということ。もう1つは、「独裁の地位に酔いしれ、それに固執してしまう」ということ。
20世紀の有名な独裁者に、ヒトラー、スターリン、毛沢東の3名がいるが、彼らはいずれも上記2つの理由によって小利口化した。そうして就任後になって悪政を展開するようになり、社会を不幸のどん底に陥れた。
それに -
令和日本経済の行方:その25(1,855字)
2022-12-13 06:00110pt1社会の「科学化」は、この先大きなトレンドになるだろう。ちなみに「エビデンス・ベースド」という言葉が以前流行ったが、これは最近廃れつつある。なぜかというと、だいたいそこで用いられる「エビデンス」というものが、実に不確かで役に立たないことが多いからだ。特に社会学で用いられるデータは、取り方に研究者の思惑が強く反映されるため、なおさら信用がおけなくなる。
「社会の科学化」というのは、このエビデンス・ベースドとは一線を画す。そこでは逆に、人間をデータ(エビデンス)としてとらえるのではなく、むしろ「不確かなもの」としてとらえる。「データではとらえきれない不確かな存在」としてとらえる。その方が、より問題を解決できるからだ。
例えば、コロナに対して科学的ではなく「お気持ち的」に向き合う人たちがいる。そういう人たちを無知と決めつけて終わりにするのではなく、むしろそれこそが人間なんだ――と肯定的にとらえる。 -
令和日本経済の行方:その24(1,781字)
2022-12-06 06:00110pt2022年、世界は一見混沌としているようにも見えるが、しかしその深層をよくよく辿っていくと、不可逆的な「流れ」というものが見えてくる。
その「流れ」とは、これからより「科学」的な世の中になるということだ。科学の価値が強まるということである。
ただ、そう聞くと違和感を覚える人も少なくないだろう。というのも、世の中はもうすでに十分「科学的」で、その価値は広く知れ渡っているようにも見えるからだ。だから、「これからの世の中は科学が重視される」と言われてもピンとこない。これ以上どう科学的になるのか、想像しづらいのだ。
しかしながら、実はそこのところこそ盲点なのだ。というのも、これからの世の中は、人間のその「認識」の認識が、より科学的になっていくからだ。
違う言い方をするなら、「人間の認識」は、いまだにちっとも科学的ではない。この分野は、まだまだ非科学がまかり通っている。
なぜかというと、人間は自分の -
令和日本経済の行方:その23(1,626字)
2022-11-29 06:00110pt2「これからの10年」を予見していくことで、今現在の生き方(暮らし方)というものも変わってくる。そして、予見がそれなりに正しければ、今行うことの意味するところも大きなものとなるだろう。端的にいって、より良い未来をつくることができる。未来がもっと豊かに、もっと楽になるだろう。
なぜかというと、ほとんどの人は「未来」というものを考えない。「これからの10年」を考えない。先のことを考えても、せいぜいが「1ヶ月」くらいである。ほとんどの人が、未来について「どうなるか分からない」と決めつけて、「そのときが来たらまた考えればいい」と考えることを放棄している。
だから、現在において「10年先」を考えることは、それだけで希少性が高いのだ。ほとんどの人が未来の準備をしていないおかげで、ただ単に準備をするだけで、圧倒的な優位性を得られる。
もちろん、そこには「正しく予測する」という要件が求められる。ただし、たと -
令和日本経済の行方:その22(1,750字)
2022-11-22 06:00110pt今回は昭和2年生まれの人について書くつもりだったが、ふとその周辺で生まれた人を見てみると、昭和3年に手塚治虫が、昭和4年に色川武大が生まれている。色川武大は早生まれなので、2人は同学年だ。ちなみに、2人が死んだのも同じ1989年で、2ヶ月くらいしか違わない。亡くなったとき、2人とも60歳だった。
そしてぼくは、子供の頃に手塚治虫、筒井康隆、色川武大(阿佐田哲也)の順で好きになり、この3人がぼくの作家としての性格を決定づけた。ぼくは昭和43年生まれなので、ちょうど40歳くらい年上の彼らの著作が、ぼくの作家性のみならず、人間性にも多大な影響を及ぼしたのだ(ちなみに筒井康隆は昭和9年の生まれで他の2人よりも6学年下である)
そのことを考えると、ぼく自身、この世代に強い思い入れがあるのだろう。それは、彼らが戦前と戦後とで引き裂かれた人生を送っているからだ。その「引き裂かれ」に共感を覚えるのである。
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