セルフサーチ懐古厨(ミニコミ)を作る#22
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セルフサーチ懐古厨(ミニコミ)を作る#22

2019-12-15 12:34

    来年から本格的にミニコミの作成に入るので、とりあえず今回は書き下ろしの前書きの文章です。

     このミニコミの作成に至るまでの経緯から説明します。みなし機撤去2006年のXデー。そこから始まりました。自分のやりたいことの一つとして、4号機をなんらかの手元に残る形で振り返りたいという気持ち、それが心のどこかにずっとあって。その最初の活動として4号機ラジオを作り、ニコニコ動画にあげた。動画編集も素人以下のそのラジオ。見返しても、内容とかの前に動画としての出来がひどくて、それでも作りたいものに近づけたかったので、編集の必要ない文字数制限のない文章にしておきたくて、その文章はぱち7で投稿した。文章の出来も素人以下だが、自分の作りたかったもの全ての内容が一旦は文章化出来た。さらに、ミニコミにするために、もう一度ニコニコ動画のブログで、文字数制限にある紙ベースにする活動報告。このミニコミは、そういった流れで出来ています。

     それでは次ページから始まる本編の前に、思い出しましょう4号機の歴史。2号機が市場に出回っている状況で、3号機が新台として登場している状況で、CR機構想から始まる風営法改正は、蓋を開けてみればこの業界を襲ったのは次ページからの本編でもいくつか語る、裏モノ天国の状態。当時、基板はチェックされていても、部品の交換は無許可でできた。そのために、一度検定を通した後、部品を交換するカバン屋の存在があり、部品を交換していた。そこには裏ロムが仕込んだあったという。裏モノは、ダービー物語事件やコンチネンタルなどの検定取り消し処分によって状況は一変する。

     CR黄門ちゃま2の爆発的ヒットへと時代は進む。次ページから始まる本編でも何回か話題にするCR構想は、パチスロの人気が低迷するいわゆる冬の時代、つまりはぱちんこは爆裂CR機の人気よって社会現象とまで人気になる話をする。地上波のゴールデンバラエティ番組でも、ぱちんこは取り上げられ、パチプロがもてはやされていた。事態は悪化し、なんでもない一般人がぱちんこホールでへ平気に徹夜で並ぶようになっていた。

     1996年はぱちんこ業界にとって大きな転換期となる。それはいわゆる規制と緩和の歴史の繰り返し。全日遊連により、ドル箱の積み上げ4箱まで、モーニング機能の廃止などのイエローキャンペーンから始まり、いわゆる内規が変わってCR機の段階的なリミッター規制となる一方、パチスロは内規の拡大解釈とかなんとかで、1997年末登場のフラッシュ演出のサンダーV、さらに拡大解釈とかでCT機能を搭載したりビッグの獲得枚数を多くした大量獲得機5ラインを増やすことにより確率を上げた多ライン機の登場。それによりパチスロの人気に火が灯る。1998年から始まる5回リミッター機自体は、規制の中でも緩い部類と言われるが、数ある規制の歴史の中で、しっかりと遊技人口を減らした規制でもある。しっかりと遊技人口を減らせた結果、1年でリミッター撤廃し、1/315の1/2確率変動、1回ループ時代となる。その一方で、パチスロ人気に拍車がかかるばかりか、ぱちんこ人気を飲み込むまでになっていた。

     2000年に変わろうとする時、ストック機とAT機が登場する。そこは、次ページから始まる本編で詳しく説明するとして、演出のサブ基板化によってゲーム性が大きく変化した時代。それは、古いぱちんこから新しいぱちんこへと変化をする時だった。音、液晶映像、演出、役物全てが劇的に進化していった。そして、パチスロにおいてはサブ基板演出が出玉性能まで支配し始める。内規の拡大解釈も行き着くところまで行ってしまった感じがある。AT機によって、パチスロ規制へと繋がる。ぱちんこは、リミッター撤廃から大当たり終了後100回時短をつけられるまでに規制は緩和していた。そして、ぱちんこ業界は海物語によって支えられていた。海物語についても、次ページから始まる本編で語ってます。

     2006年のみなし機撤去。Xデーと呼ばれたその日。検定および認定から3年経った台の全撤去。残った4号機も後に全撤去。全ての4号機がパチスロホールからなくなったのである。


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