• 未来に向けて(3時間以上かけて駄文を書いた)

    2019-07-22 07:09
    最初に語るとするならば、これから始まる文章(ブログ)の内容は自身の決意表明といったスタンスを表すものです。ほとんどの一般人にとっては意味を持たず。読んでも共感も関心も示せない。特殊な状況下に居る者。いや、居ると思い込んでいる者が書く。無駄話の類なのかもしれません。
    将来の為の注釈を施すならば、そんな類の話はごまんとあり何も特別ではない。しかし、何かしら不安を抱かせるメッセージ性を前文で感じる具合の不味い状況がある時期に、意を決して書く事にした文章です。何かの折に過去を振り返って頂ければ、続く文章や、様々な社会問題が未来の礎となる事でしょう。
    前提条件として、自身の語らねばならない身の上話から始めます。とある有志によるイベントを行った主催者というのが、過去の経歴にあります。そのイベントの2回目の開催に意欲を燃やしていた際に、ある一通のメールが届きました。そこには『当日版権』という言葉を使って、「展示イベントは特殊な環境整備の元でおこなわれる個人や、ちっぽけな組織には成しえない事柄である」というような意味合いの言葉が連ねられていました。当時主催を務めようとしていた自分が、全国津々浦々の展示会について学んでいたならば、そういう話に対してイベントの意識と共に明確な返答を返せたのかもしれません。結果からいうなれば、「当日版権」という手続きを模して、何とかイベントのリスクを減らして実行しよう。と躍起になったのでした。以下にその当時の断片的な話を書きます。
    方々の出版社にイベントテーマの版権モノが扱われた記事を展示する事が出来るかどうか。様々な回答の中で、「展示物を観てバックナンバーが欲しいというような問い合わせが殺到するようなことは避けてください」という返答を頂いたりもしました。
    とある玩具メーカーは一切の展示を認めないときっぱりと立場を話してくださりました。個人的邪推をすると、海外展開での失敗からそれらの点を見つめ直した企業なのだという情報を仕入れて、関心致しました。
    単純に書くならば、そのようなある方面から見れば無駄と思われるような様々な確認作業を行いました。
    その折に、「数字四桁の同人誌が頒布できなくなった」という言葉を使い問い合わせ自体を非難するメールが届きました。要点だけ説明するならば、「とある人気同人誌の頒布活動に際して、買いそびれた方が公式に問い合わせる事態となった」という経緯から、メールの送り主が「問い合わせがあった事によって頒布できなくなった」という意味合いにおいて「その公式側は某アメリカのアニメーション会社と同じくらいに版権にうるさい」と語りました。個人的な推測をするに、公式に対する問い合わせがよっぽどの件数に達し、お小言がどこかしらから同人作家の元に届いたのでしょう。
    その流れで自分は憤慨しました。同人作家が奥付に自身の名前を書くのなら、出版の責任はそこにあるはずです。もう終わってしまった過去であるので結果論でしかない話なのですが。もし仮に完売後のアフターケアとして『次の同人イベントで出版するから待っててくれ』とか、『もう出版するリスクは負えないからHPに近い将来無料で公開します』などという同人の建前を守って多くの期待に応える事が出来たのではないでしょうか? そのような反省をせず自らのファンに責任転嫁し更にそれを当たり前と論じあげている点に、軽蔑の念を抱いたのでした。
    おそらくこういう話はごまんとある事です。どこかの誰かが特別という話ではなく。配慮しきれぬ失敗はどこにでもあるのです。
    商業でも絵を描かれる作家さんが新作ゲームのプロモーション活動の一環で脱着要素を含んだ体験版が出た際に、体験版の脱着要素のみを纏めた動画をアップするなど、営業が脱着がキッカケでもいいから体験版で遊んで欲しいと考えたであろう企画をぶち壊すなど。
    自分が個人的に行っていた別件を今更紹介するならば、「悪意のある動画投稿でなければ制限は加えません」と公式への問い合わせの結果を噛みしめ動画投稿に際して「晒し上げや相手の了承を得ない投稿をしない。また、ストーリーにも触れない」とより多くの事柄を自主規制の対象として行動していた最中でしたので、その枠からすればとんでもない事をされていると感知したりもしていました。
    そんな様々な憤りの果てに、自身はイベントの取りやめを決定しました。自身が嫌悪したり、見限ったような相手と同じ土俵に立たない。そんな身勝手な考え方です。何も知らないスタッフ候補の方々には少なからず迷惑を掛けてしまいました。
    しかし、一つのイベントを快く思わない誰かが、どのような手で危害を加えるかわからない状況を守り切る事が当時の自分には確信の持てない重圧でした。
    今では、その公式側に版権管理の部門が立ち上がり、失礼まえからあったのだと思いますが、より明確になり、企業とのタイアップ(?)などのコラボイベントも行われるようになってきております。その流れと偶然時を同じくして、自身も個人から個人事業主という形で社会との関わり方を変化させて来ております。いづれどこかで自身の力がその程度に達した時というのを夢見たりしている事もありますし、地元という環境で社会の問題や地域の問題に立ち向かうために様々な工面をしようと、足りない資金を集める為に兼業でバイトをしたりもしていました。
    そんな成功者ではない者からのちょっとした不安を聞いてください。

    【ここからが本題!】閑話休題という長い前振りでしたお疲れ様です。
    もし、京アニの火災を受けて「脅迫文の申告」の義務化のアプローチが活発となり、警察等の組織からの調査がより頻繁に行われるようになった未来では、自身の土地から偽装された脅迫文が誰かしらの元へ届けられ、調査協力の為に店を閉めざる得なくなるなんてことも起こるかも知れません。
    個人的に同じ土俵にいないとしてこちらが敵視する事もなく蚊帳の外に置いている方々も、そのようないたずらを行って、こちらの不利益を作るという事は出来るのです。この展開が『被害者意識の暴走による加虐者化』という現代社会の不安要素を取り上げた例となります。
    個人の見解としていえる事はスタンスの違いが明確で相容れぬ以上。どちらも謝る必要はない。それが自由であり。個人的に思い描く責任が果たせていない相手がいたとしても逆上してはいけないのも、社会の常識が定まってしまっている以上は社会の発展を願うばかりの事だと考えます。
    先の「脅迫文の申告」の義務化から、『警察組織の増強。通信傍受法の発展。その後に警察関係者が偽りで企業を名乗りインサイダー取引を始めてしまうといった』社会風刺的な小説とかを描いてみたいと思うように、何でもかんでも悪者を作ろうとすれば、簡単にでっち上げてしまえるのが、日本の文化にある想像力の賜物だと考えています。
    創作におけるいがみ合いは清少納言と紫式部の頃からあるお家芸です。
    だから、脅迫に屈せず公明な手段で物事を解決できるプロセスが必要とされる日が来るのかもしれません。
    自身の店にもし架空の脅迫文を基にした捜査が行われたのならば、馬車馬のように働く日常から開放された休暇を取り、その後に掛け捨てとなっている保険に付帯する弁護士特約で、民事的責任を追及し、犯人に社会的刑事的民事的責任と、目標の為にがむしゃらな生き方をしている自分に休暇を与えてしまったという計画の愚かさを与えてあげたいと考えております。
    自由と責任の責任の部分をうっかり忘れたのならばいつか必ずつけが来る。自分自身の経験談から始まったこの文章では、本当は語り尽くせない後悔も転がっていたりもするのです。一度目のイベントで協力してくださったスタッフに500円くらいの寸志しか配れず、さらにそれが一人分足りないと気づいた後で、変な部分の生真面目さから寸志を同人誌などの購入に回して全員分のつけを作ったままにしている事など。笑い事ではなく、伝えるべき志を伝えきれなかった後悔というのは痕を残し続けるモノがあります。だからあの時の自分のように元スタッフの方々から協力を求める話が舞い込んできたのなら反社会的な活動ではない限り手助けしたいと考えております。
    本題終わり。駄文へ移行します。
    『プロメア』をつい先日観ました。話題としてはある方面には不謹慎と罵られる部分があるかも知れません。ただ、『スクライド』や、『キルラキル』、『グレンラガン』という架空の中に情熱を投影する試みを続けた者たちの集大成が、映画という短い時間の中に凝縮されていたような気がしました。そんな作り物の世界にも自由と責任という価値観が存在し、キャラクター同士は認め合いや間違い探しを続けながら、誤魔化しを解消しようと躍起になっていたような気がします。そのような鑑賞を終えて日本における物語の原動力の一つには、疑心暗鬼が関与すると考えたりもしました。事実とは異なる妄想で何かしら突っ走ってしまったという類のお話です。例に挙げるなら『名探偵コナン』のあの有名な黒スキンヘッドさんなんかはいつもいつも誤解で殺人をしていたりします。そんな例えより同人に携わる話でいうならば、『ひぐらしのなく頃に』のテーマもそのようなものでした。哀しい事ですが、永遠に語り継がれる宿命として疑心暗鬼があり、「裕福な生活が保障される賃金を払ったらうちの社員は働かなくなる」といった類すら誰かの書いた筋書きで起こる疑いから発生しています。馬鹿正直な自分が行う確認というのをどうにも愚かな行為だと感じる方が居る事でしょう。しかし問い合わせに対して一言。「思い違いです」「必要とあらば法廷でお話ししましょう」と放置ではなく法治の裁量に委ねるような話まで進んだのならば、話はストンと収まるのかもしれません。何も恥じる事はないのです。勘違いや言い争いは有名なうさぎさんだってその泥沼に進んでおりました。なので、不安を払拭するために権利者が採れる行為を試みるのは間違いではありません。しかし同時に創作する者。または、創作物を読んだ者が、「パクリだ!」と安直に発言したのならばそこに無知を恥じるべき必要があるとも考えます。どんな場面でも真新しいのみのものなんて存在しないのです。『プロメア』のラストシーンあたりに『トップ2』を思い起こすような付き添い続けた者との別れの演出がありました。特別があるべき世界に帰るといった古典的手法です。鶴の恩返しでしょうか? そんな事を書いてしまったばっかりに『トップ2』で『鶴の恩返し』ですよと発していたメッセージを回収し損ねていた事実をこの瞬間に悟ってしまいました。日本語があり物語が書かれ始めてから長い年月が過ぎました。もうそこに真新しさなんてものはないのだと考えるが良いほどの状態があり。それにより見せ方の工夫と積み重ねによって認知されるようになった表現技法などが新たに展開しているのかもしれません。そんな思考の先で李徴が虎になった理由も理解できます。彼は才能があったが、真新しさという幻想に囚われ作品を世に発表し続ける事をせず。虎視眈々と才能を磨き続ける道を選んでしまったのだ。そして、人食い虎になるのであるから恐ろしい。ネタを被せて申し訳ないが、近頃は火虎というのが現実に現れてしまったような話です。それで誰かの生き様をパクったというのならば、それはお門違いです。本当に世間にある事柄は語り尽くされ、それでもなお正しい行いをなすというたったそれだけの動作が出来ない無様を続けているのです。……某作家に毒されていますね。疲れや思い込みから擦り減りどうしようもなくなったなら、「休めばいい」そんなキーワードを連呼し始めるとピンク色の垂れ目なマスコットを思い出してしまいます。そのアニメでもアニメーターは悲惨な目に遭っていましたね。このように思い出話ではなく何かしらの綺麗事を真面目に書こうとしてもそのエッセンスは人生で齧ったモノからの再構築でしかないのです。演繹法的な証明は終わっていますね。「パクられたならば、」的な展開は『バクマン』で決着したような気もします。故に、昨今世間を混沌に陥れている犯人というのはアニメも漫画も読んでいないか、または読んでいるが必要なエッセンスを吸収し損ねた出来損ないだった。というオチもあるのです。その出来損ないが書いた話のぼんやりとしたイメージが何かしらの普遍的なテーマに沿っていたために大御所のこさえた普遍的テーマの焼き直しなのか判断せず無知蒙昧な振る舞いをしてしまったというだけ。恥ずかしいですね。人生経験の中で辛苦を嘗め経験を積んだ大御所たる方々はそういう事柄には配慮を持って臨む事だろうと思います。それがプロなのでしょう。下積みなんていうのは思い出話で書き終えられる事柄ではないでしょうし、発言の重さだってよく知っている事でしょう。「ああ、あのネタなぁ。生活に困っている言われたから貸したった。利息貰うからにちょっとは儲けてもらわな困る」なんてお道化られる世界があったのなら、皆が救われるのではありませんか。
    次世代がどのような道を作るのか。その礎にちょっと手助けを多少出来たのならそれでよし。そんな心境を語り合えるような先輩を自分は探していたのかもしれません。『カサブタ』という歌が身に沁みます。
    そんなこんなで原点回帰。自分の元に届けられた誰かしらの心残りを救い上げるわけでもなく。単純な妄想を垂れ流して話を終えるならば、数字4ケタのなんとやらの権利を売り飛ばす事も、ファンアート的に発表する事も、出来なくないという状況はあるのかもしれません。ただし自分はそれに対して必要なら知り合いの愛蔵品を拝見するという解決策もありますので、どうでもいい話です。某動画の件も親告罪的な話ですので、「商業活動を進める上で汚点に成るかも知れないよ!」という「パクリだ!」発言と同等のお節介ですので、どうでもいい話です。そうなってしまうとこの文章全体が世間的に消費され尽くしたどうでもいい話をただ長々と書き連ねたどうでもいい話になってしまいますね。
    そんな無駄な言葉の羅列の中に楽しみを見出せる方が居たり、意気投合出来そうだと感じられた方がいらっしゃるのでしたら、それが文章が与えた出会いの力なのだと思います。自分はそんな砂漠の中にいるかもわからぬもの好きの為にこんな駄文を書いたのでした。何かの危機に呼応した警鐘ではなかったので、期待していた方は本当に申し訳ございません。

    終わりに、文章中に思わず書いてしまった作品などは、自分の価値観を創造した作品の一部に過ぎません。社会人になってから同人商業を問わねばおそらく200万円以上のお金を注ぎ込んでなんやかんやと楽しんで来ました。ゆえに「あのお店に捜査の手が入った」とあらばPCから無数の同人誌が発見される事でしょう。また蔵書もいろいろ曝け出されます。だからおかしな真似はするのではないぞ!(相当前のネタ2回目の回収です)
    ここに来て無責任な話をします。大声で笑って終われるようなそんな突拍子もない話でもいいのです。ユーモアで現実を忘れさせることが出来るのならそれでいいのです。なぜ日本が笑いを求めている時に何も考えず笑える世の中が存在しないのか? 必要のないモノなんてありません。笑う事が許されない不自由な世界は平和とはいえないでしょう。多くの人が呑気に笑える日が来ることを願って結びの言葉とします。おちょくってごめんなさい。敬称も省略してしまったり、感情を暴走させたり(以下略)。

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  • #縛りロボトル(メダGM)通信・125号

    2018-09-12 19:18
    うっかり動画予約後にブログを書き忘れていました。

    9/8(土)を振り返る。



    戦況分析の出来ない対戦となっています。いろいろと発言が裏返る。



    そういえばこのバディさんのシナリオに感動したという反応が多かった気がします。

    ロボトル以外にアドベンチャー型シナリオをじっくり楽しめるメダロットガールズミッションをちょっとだけ宣伝しておきます。




    なんと七割引きではないですか!!では。
  • #縛りロボトル(メダGM)通信・124号

    2018-09-05 18:48
    30階タワーとかにもバディはいますね。

    9/1(土)を振り返る。



    思っていた展開と違う事もあります。



    最終局面で逃げ切られる場合もあります。



    思い返すとあの時に○○されていたら負けていた。という展開が多かったりします。そのミスが少ない方に勝ちが舞い込むのかもしれません。では。