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  • 間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに(その2)(再)

    2021-05-14 19:51

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     前回記事の続きです。
     四年前の再掲記事であり、しかも当時流行っていた『ダンガンロンパ』のパロディというただでもわかりにくいものなので、未見の方は前回分からお読みいただくことを強く推奨します。
     では、そういうことで……。


    *     *     *

    ニューゲンロンデンパV3
    みんなのマウントシアイ新学期

    EPILOGUE みんなのマウントシアイ修了式

    ???「それは違うぞ!!
     ――黙り込んでしまった軽一に代わり、声を上げたのは超高校級のサブカルロボット・サーブ。
    サーブ「ボクは今まで、ずっと“内なる声の導き”に従ってきました。その自分の今までの行いが間違っているとは、どうしても思えません。サブカルの全てがフィクションだとは、信じられません!」
    サブクマ「でも、リベラルの後退と共に“サブカルしぐさ”さえもがおわコン化しつつある……というのは事実じゃないかなあ?」
    サーブ「そ……そんな……サブカルのスタイルまでも否定しようと言うんですか!?」
    苅須田「サブカルとリベラルはもちろん、イコールではないヨ。でもやはり、70年代サブカルチャーの流れを汲んでいたために、思想性をそれなりに強く受け継いでいたのサ。しかしそうした価値観は、台頭してきたオタク文化と齟齬を生じ始めた――本書ではサブカルとオタクの関係性については極めて饒舌だけど、サブカルと70年代サブカルチャーの関係性については全く言及がない。それは逆説的に、優光がその影響下にどっぷりと浴しているがため、そんな自分に無自覚であることの何よりの証明であるという気が、ぼくにはしたけどネ」
    大多子「トランプ騒動の時の町山の馬脚は、『愛國戰隊大日本』騒動のリプレイと言えるよね。町山(ほとんどのメディアもそうだったけど)はトランプの当選の可能性から目を逸らし、妄想の世界に逃亡し、そしてトランプ批判のためにオタクをサンドバッグにする醜態すら見せた*1……」
    サブクマ「ぶひゃひゃひゃひゃひゃ! わかりやすく最低な男ですなあ!!」
    サーブ「そんなことはありません! そ……そうだ! あなたたちの発言にも大きな誤りがありますよ!」
    大多子「へえ、どこに?」
    サーブ「さっきからあなた方はサブカルがオタクを叩き続けて来たかのように語っていますが、それこそが嘘です!」
    サブクマ「ま……町山がオタクを叩いている箇所を今、指摘されたというのに……?」
    サーブ「そんなものはなかったって、本書にちゃんと書いてあるんですから。三章の『サブカルのオタクいじめはあった?』と題される節がそうです!!」
    大多子「そう、書いてあるからこそ、サブカルのオタクいじめがあったと確信せざるを得ないんだよね」
    サーブ「そんなバカな!!」
    大多子「ここでは(たった)二つ(だけ)の伝聞が挙げられているけれど、一件目のオタクをいじめた人物はマニアックな映画を好んでいたわけでもないので、彼の基準ではサブカルではない、二件目はオタクの内輪揉めだろうとの指摘がなされているよ」
    サーブ「そうです! 二件目はどう見ても、『エヴァ』マニアが『エヴァ』以外のアニメを好むオタクをいじめたという内ゲバにしか思えません!」
    大多子「優光は以下のように言っているよね。

     他の人から聞いた話は「自分もアニメや漫画好きなくせに『俺はサブカルでオタクでない』といってオタク差別から逃げ、一緒になってバカにしてきた」といった内容でした。(82p)

     これ、優光自身のことのようにしか思えないんだけど……何しろ彼は本書の中で、宮崎事件の時期は不当におたく呼ばわりされたと憤っていたのに(47p)、オタクが市民権を得た現在では自分はオタクだと感じているなどと言っているんだから(11p)。挙げ句、彼はこんなことも言っているわ」

     これは「自称・サブカルのイヤなオタクが、世間側にいるふりを装って他のオタクを攻撃してきた」という中森明夫に似た案件なのではないでしょうか?(83p)

    サブクマ「サブカルを免責するために全てをオタクのせいにしている、という感想しか抱けませんなあ。そもそもこの人のサブカル定義が恣意的なモノなワケだし」
    苅須田「アニメ好きなサブカルも大勢いる、と優光自身が言っているわけだから、この人物をサブカルでないと言うのはいささか恣意的だネ。サブカルは“スタイル”であるとの説を採るなら、他人(ことにオタク)を見下す傲慢な、“意識高いオタク”こそがサブカルであるとの定義も可能なように思うヨ、優光が『サブカルはリベラル』と主張しているようにネ」
    サーブ「それは違うぞ!! サブカルとオタクの争いは、岡田斗司夫が捏造したモノなんです!! それは二章の『中森明夫と宮崎勤の“罪と罰”』で詳述されています!!」
    苅須田「当人の二、三の見聞と主観とで全てが成り立っている本書の中で、唯一資料性のある箇所だネ。“オタク”という言葉そのものが、中森明夫が『漫画ブリッコ』という当時のオタク雑誌のコラムの中で差別的意図を持って作り出したモノだ、ということは有名だけど、本書ではその連載コラムの主旨が簡潔にまとめられているんだヨ」
    サーブ「そうです。そして中森明夫はサブカルという言葉を初めて使い、サブカルを自称した人だけど、本当のサブカルではないから、サブカルに責任はないんですよ」
    大多子「お……おう……
    サブクマ「アッ、ハイ
    苅須田「町山智浩や竹熊健太郎が『サブカルのオタク叩きはなかった』と主張しながら、同時に中森のオタクヘイト発言を持ち出していた(自分の主張を自分で否定して、しかしそのことに気づいていない)ことは兵頭が指摘していたネ*2
    サブクマ「ありゃ、メチャクチャでしたな……」
    苅須田「優光が兵頭の記事を読んだかは極めて疑わしいけど、時期的に見ても、それに対して言い訳するために大慌てで『中森は実はサブカルじゃなかったんだ』と尻尾切りをした……ように、ぼくには見えてしまうネ」
    サーブ「そんなことはありません! 優光の中森評は、音楽についても若者描写も完全に外している人物、となっています。弁明のためではなく、純粋に中森をサブカルだと認めてないんですよ!」
    大多子「いや……そりゃそうなんだろうけどね……」
    苅須田「本書を見ても、サブカルが何かはわからない一方、実に熱心に『あいつはサブカルじゃない、こいつもサブカルじゃない』と文化人の非サブカル認定にばかり必死だよネ。これじゃ都合の悪い者を切り捨ててると言われても、仕方ないんじゃないかナ?」
    サーブ「それは違うぞ!! サブカルとオタクの争いは、岡田斗司夫の意図的な分断工作なんです!!」
    大多子「そう、本書の醜悪なところはそうやって中森の責を、実に卑劣にミスリードして岡田の責であるとねじ曲げているところね」
    サーブ「ねじ曲げているですって?」
    大多子「以下を見て」

     中森明夫が「おたく」という言葉に悪質な意味合いを込めて流通させ、さらに後にサブカルと名乗ったばかりに「サブカルがオタクを攻撃した!」というイメージができてしまい、「関係のない現代のサブカルが未だにその罪に問われるのは本当に迷惑な話です。
    (中略)
    オタクの友達が言ってましたが、「住民が放棄して廃墟と化していたサブカル村に新しい住民がやってきて生活しだしたら、旧住民に村を焼き討ちされたオタク村の人がやってきて、勘違いしたまま関係ない新住民に襲撃をかけているような状況」ですよ。(59p)

    サブクマ「本当に責任逃れのためなら何でも言う、という印象ですなあ。邪気なく自らサブカル村を住み処にしたと吐露しておきながら、責任はないと言う。そこまで言うなら旧サブカル村と新サブカル村に文化的な関連性がないことを説明するべきだろうにね」
    苅須田「兵頭は不完全ながら、サブカル(チャー)とオタク文化の断絶について説明しているけど、彼が説明責任を果たしているとは言い難いネ」
    大多子「そして、それならばサブカルを“僭称”し、岡田斗司夫の“誤射”を誘った中森が全ての元凶なのかと思いきや、二人が二大戦犯だ、二人とも許せぬと絶叫する。
     呆れたことに、優光は別の章でこんなことを言っているわ。

    そういった中、業界内での利権に絡む陣取りゲームのために岡田斗司夫がサブカルとオタクの分断工作を行います。(77p)

    利権が絡んでいるだけに中森明夫よりも岡田斗司夫の方がたちが悪いです。(79p)

     そして幾度も幾度も執拗に執拗に繰り返されるこの“分断工作”の、“利権”の具体的な実態については、本書の最後までついぞ語られることがない。普通に考えて、単純にサブカル側がコンテンツを生み出せず、商業的な成功を収めることができなかったというだけのことだと思うんだけれど」
    サブクマ「『最初におたくを差別した中森が一番悪い』というなら理解できるけど、どうして『岡田が一番悪い』なのかさっぱりわかりませんなあ」
    苅須田「ただ、優光を擁護するわけではないけれど、ソースに乏しいのはここに限らず、本書全体の傾向だよネ。何しろ本書の“参考文献”はたった五つしかないんだしサ」
    サーブ「お……岡田のせいです! 大体岡田のせいなんです!!」
    大多子「サブカルとは全てを岡田のせいにして岡田が握っている(と彼らが夢想する)利権をモノにしようとしている人たち、或いは既にモノにした人たち、といった定義づけも可能かもね」                                                                   
    サーブ「ち……違います! サブカルの定義は町山氏の編集してきたモノを指す言葉で――!!」
    大多子「そこまで町山がサブカルの体現者なら、やはりサブカルはオタクへのレイシズムそのものと言えるわね。町山はトランプをdisりたい一心でトランプ支持者は萌えオタだと(根拠なく)わめき散らしていたもの」
    サーブ「お……オタクがネトウヨなのは事実でしょう!?」
    大多子「確かに事実ね、二、三の見聞で全てを決めることが許されるという優光メソッドを用いるならば。また、本書には『嫌オタク流』を扱った、『中原昌也と高橋ヨシキのオタク叩き』という節があるんだけど、何かと思って読んでみれば『二人はアニメ嫌いなだけで大概のサブカルもアニメ好きだから、サブカルもまたあの叩きの対象(被害者)の範疇に入る(大意)』というわけのわからないロジックを展開するのみ」
    サブクマ「ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! みっともない言い訳もここに極まれりですなあ! あれだけ町山と関係が深い中原と高橋のやることを免責するとは!!」
    苅須田「トランプ絡みの件、中原と高橋の件、いずれも兵頭が指摘しているネ*3。もちろんこれも偶然だと思うけど、優光が必死で言い訳本を執筆した直後、またしても町山が馬脚を顕し、兵頭のツッコミを受けた……タイミング的に、そう見えてしまうヨ」
    サーブ「み……みなさんはそこまでサブカルを貶めて、何がしたいんです!? サブカル差別として、しかるべきところに訴えますよ!!」
    大多子「さ……サブカル側がオタクを貶めたことについてはスルーなんだ……?」
    サーブ「ボクの“内なる声”が囁くんです。サブカルはオタク文化よりも優れていると……何しろ岡田はロックの素養がないんですから!」
    大多子「あのさあ……あなたの言うその“内なる声”って、誰の声だと思う?」
    サーブ「え? それは……つまり……」
    サブクマ「はぁ~~い、ここでネタバレ!! 超高校級のサブカルロボット・サーブくんの聞いていた“内なる声”、それは“外の人の声”でしたあ!!」
    サーブ「え? え……?」
    大多子「前回挙げた優光の岡田あーみん評をもう一度見てみようか?」

    サブカルというのは圧倒的な異端にあこがれ、それを消費するのだけど、自分自身は決してその領域に踏み込めない存在なのだから。(138p)

    サーブ「そ……それが何か?」
    サブクマ「その、反吐の出るような薄汚い性根がサブカルの本質ってことだよ!」
    サーブ「そ……そんな非道い……」
    サブクマ「非道いのは優光の方だよ! 自分は安全地帯にいながら、“外の人”に価値を求める! “内なる声”だと思い込んでいたのは実は外から入って来た、外の価値観だったというオチなんですな!」
    苅須田「なるほど……『サブカルはなかった』というのは、サブカルが“他者志向”である、ということだネ。それがフェミニズムやセクシャルマイノリティの解放運動、人種問題など、常に“中央に対し、排斥された周縁の者をカウンターとしてぶつける”という左派の人権思想に近いこと、そしてまた男性の“三人称性”とも合致する、ということは兵頭が指摘しているヨ*4
    サーブ「つ……つまりサブカルは弱者の味方だと言うことです! オタクとは違うんです! 訴えますよ!?」
    大多子「そう、そういったスタイルがポリティカルコレクトと親和性が高かったわけよね、弱者に寄り添うワタシたちは正しい人間ですっていう」
    サブクマ「でもそれって、宗教家が『神様が言ってるよ』『神様の言う通りだよ』と称しつつ、実のところ自分のエゴを神に代弁させているのといっしょだよね?」
    サーブ「そ……そんなことは……!!」
    大多子「他者指向なサブカルは、自らの内面のニーズに忠実なオタク文化とは、ベクトルが真逆だった……最初から、食いあわせが悪かったのよ」
    サーブ「だ……だからサブカルはオタクよりはまだしもリベラルな存在で……」
     ――と、ずっと沈黙していた軽一が割って入った。
    軽一「サーブくん、もう止めよう」
    サーブ「え……?」
    軽一「例えフィクションであっても、僕がサブカルから得た優越感は本物だ。ならば僕は、サブカルを否定するこの裁判を否定する!」
    大多子「▂▅▇█▓▒░('ω')░▒▓█▇▅▂うわああああああああ」
    サブクマ「反省はゼロですか……」
    苅須田「ククク……先の“自らのエゴを神の声だと言い換える”との比喩でもわかる通り、他者指向である限り、人は平然と責任逃れをし続けるんだネ」

    ノンストップ議論 開始!

    軽一「…………………………」
    サーブ「…………………………」

    議論スクラム開始

    町山君!「サブカルは警官に手加減してもらいつつ暴れる、学生運動家のようなものだったんだよ」
    軽一「…………………………」
    東君!「彼らがオタクを“オルグ”したがる理由も、今となっては明らかだね」
    サーブ「…………………………」
    宇野君!「そしてそのためには平然と嘘をつき、糾弾会で政敵を恫喝する……」
    軽一「…………………………」
    私が!「ホモという“他者”を政治的に利用しようとするサブカル、本当は“腐女子”が憎くてたまらないんでしょうね」
    サーブ「…………………………」

    サブクマ「どうしたの? 議論しろよ!!」
    軽一「僕たちは、この裁判から降りる!」
    大多子「だ……ダメだこりゃ……」
    サーブ「ボクの武装で、三刈学園を破壊します!!」

    GAME OVER
    三刈学園の破壊を開始します

    大多子「あぁ、何てこと……! でも、まあいいか。これでサブカルという間違ったマウンティングの権化がオタクに噛みついてくることもなくなるでしょ。私、オタク(コンテンツのオリジネータ)として、胸を張っていいよね……」

     大多子とサブクマ、ついでに苅須田、爆炎と爆煙の中に消える。
     全ては崩壊し、一同は全滅したかに見えたが――。

    軽一「けほけほ……だ、大丈夫かい、サーブくん?」
    サーブ「はい。軽一クンもご無事で?」
    軽一「みんな死んでしまったけど、僕たちだけは生き残ったみたいだね……」
    サーブ「はい。そのことには、何か意味があるに違いません! オタクは全滅してしまったけれど、学園の図書室だけは破壊せずに残しておきました!」
    軽一「何で図書室なんか残したんすかね
    サーブ「図書室にはオタクコンテンツがアーカイブされていましたから。この資産を利用して、ボクたちがサブカルを再興するためですよ!」
    軽一「なるほど。これから頑張ろう!!」

    ゲンロンデンパ END

    *1「サブカルがまたオタクを攻撃してきた件  ――その2 オタク差別、男性差別許すまじ! でも…?
    *2 「「サブカルvsオタク」の争いは岡田斗司夫が悪いことにしないと、すごく怒られる件
    *3 トランプについては「サブカルがまたオタクを攻撃してきた件  ――その1 トランプを支持するオルタナ右翼とは?)」を参照。中原師匠と高橋師匠の件は*2を参照のこと。
     ちなみに町山師匠の「オルタナ右翼=アニオタ」発言は8月25日、本書の出版が11月2日。件の発言を扱う余裕はあるだろうし、扱うべきだと思うのですが、まあ、弁護しようがなかったのかも知れません。
    *4 「他者指向云々」については*1を参照。「三人称性」については著書に書きました。
  • 間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに(再)

    2021-05-07 19:37
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    Daily WiLL Online』様で新しい記事が公開されております。
     例の伊是名夏子師匠のさらに師匠筋に当たる安積遊歩師匠というのが、何かすごい人で……。
     さて、しかし今回は以下の記事に絡めて。
     このサブカル問題については前後編で新記事を書き下ろしましたが、それに関連して以前の記事の再掲です。
     サブカルというのが本当にオタク文化のストーカーと化していることが、これでよくおわかりになるのではと思います。
     それともう一つ。アンチフェミアルファのreiさん、わかり手さんがツイキャスで「女災」をテーマにしてくださいました。
    https://twitcasting.tv/rei10830349/movie/681022485)を初めに四つの動画に渡って話していただいたようで、上の続きは同サイトの「前の録画」へとリンクされているようです。
     どうぞご覧になってみてください!



    *     *     *


    ニューゲンロンデンパV3
    みんなのマウントシアイ新学期

    CHAPTER.6 さよならゲンロンデンパ

     ――僕は寒原軽一(さぶはらかるいち・声:林原めぐみ)。超高校級のサブカル。
     ふと気づくと三刈学園(さぶかるがくえん)へと編入させられ、マウントシアイ新学期を強要されてしまった。
     学園長を名乗るのは、右と左でオタクとサブカルに分かれたクマのぬいぐるみ、サブクマ(声:TARAKO)。
     しかし……最終章であるCHAPTER.6のサブカル裁判において、僕たちは驚くべき真実を知らされてしまった。仲間だと思っていた超高校級の喪女・紐手大多子(ひもておたこ・声:小松未可子)がいきなり、首謀者としての正体を現したのだ――。

    大多子「は~~~~い! びっくりした~~!? サブカルエリートを育成する三刈学園。それは実は完全な虚構。“ギフテッド”、“超高校級”というアンタたちの“キャラ設定”も嘘。“自分をサブカルだと思い込んでいる一般人”であるところのアンタたちの右往左往する姿は、超高校級のサブカルロボット・サーブ(声:柿原徹也)のテレビカメラで中継され、視聴者たちから生温かい目で見られていたのでした!
     うぅん、それだけじゃない。そもそも“サブカル”という概念自体が存在しない、虚構のものだったのでした~~~~!!」
    軽一「それは違うぞ!!
    大多子「どこが違うのかなぁ~~?」
    軽一「これだ……! ロマン優光『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』。本書が各所で話題になっていること、それ自体がこの世にサブカルが存在している動かぬ証拠だと言えると思うんだ」
    大多子「それはどうかなあ? その本を読むと、何がサブカルかがわかるのかな?」
    軽一「そ……それは……」
    ???「クックックックック……」
     と、話に加わってきたのは軍服に口元を隠した不気味な男。超高校級のオタク史家・苅須田桑椎郎(かるすたくわしいろう・声:鈴村健一)。
    苅須田「仮にサブカルについて知識のない者が本書を読んだとして、サブカルとは何ぞやという疑問に答えが出されることはないだろうネ。もちろん、サブカルそのものの定義づけが困難であるのは万人が認めるところだろうけれども、ともあれ著者の優光のサブカル定義は、以下のようなものだヨ」

    「町山智浩が編集者として扱ってきたもの、そしてそこから派生してきたもの/その愛好者」
    (17p)

    「その中で岡田斗司夫が自分たちのものであると主張しなかったもの」
    (24p)

    大多子「ま、万人が納得するような定義づけは困難だから、『自分の定義ではこうだ』と言われちゃそれまでだけど、優光にとってのサブカルってひたすら“90年代文化”なのよねー。兵頭新児があくまでオタク文化に先行するロック文化、ヒッピームーブメントなど70年代型の文化がサブカルだとした*1のとは真逆だよ」
    苅須田「本書ではみうらじゅんもまた、メジャーであるからサブカルではないのだと断言されているけれども、それも彼が80年代を背負っている人だからかも知れないネ」
    軽一「ちょ……ちょっと待ってよ。つまり、定義づけが恣意的だとの反論だよね? でも君たちが言うように、優光は文中でそれを認めた上で自分なりの定義をしたのだと断っている。それのどこが悪いの?」
    大多子「別に、そこを問題視しているわけじゃないわ。私が言っているのは、『サブカルとは何ぞ』という問いを立てた時、普通なら文化ジャンルとしての区分けを期待するんじゃないかってこと。オタク文化については比較的説明が容易よね、漫画、アニメ、ゲームなど。でも、それではサブカル的コンテンツとは何か、本書で語られていたかしら……?」
    軽一「そ……それは……」
    苅須田「ほとんどゼロと言ってよかったよネ。“町山が編集したもの”と言っているけどその定義だと、サブカルは単なる町山ファンクラブでしかないし、それは町山が“クリエイトしたもの”ですらない。例外的に語られるのが岡田あーみんの漫画だけれども、そこでもその漫画そのものがサブカルだとは言っていない。むしろ、

    (引用者註・岡田は異端そのものだが、しかし)サブカルというのは圧倒的な異端にあこがれ、それを消費するのだけど、自分自身は決してその領域に踏み込めない存在なのだから。
    (138p)

     なんて言う始末だヨ。これも詳述されているわけじゃなく、ここでいきなり持ち出されてきた定義だけどネ」
    サブクマ「ひゃっひゃっひゃ! まるでストーカーとか覗き野郎みたいですなあ! “異端に共感する”とか称しつつ、自分は常に安全地帯で覗いているだけ!」
    軽一「そ……それのどこに問題が……?」
    大多子「問題も何も、それが答えよ」
    軽一「え?」
    大多子「オタクと言う時、それは“人”を指している。言ってみれば人種を指す用語よね。オタクが好むコンテンツは普通、オタク文化と呼ばれる。それに対し、サブカルと言う時、恐らくほとんどの人がコンテンツを指す言葉と思うんじゃないかしら」
    軽一「そ……それはまあ……」
    大多子「しかし本書ではサブカルコンテンツがほとんど出てこない。サブカルと言う時、ただサブカル文化人の名前のみが出てくる。挙げ句に上のようなストーカー宣言」
    軽一「だ……だから、それの何が問題なんだよ?」
    大多子「サブカルコンテンツなどというものは実は、ない。サブカルというのは徹頭徹尾人種を指す言葉だってことよ」
    苅須田「それはよく言われる、『サブカルはサブカルが好きなのではなくサブカルを好きな自分が好きなのだ』といった評とも相通じてるよネ。また、サブカルとオタクの争いでよく言われる『サブカルが『エヴァ』目当てに入ってきた』といった見方とも一致しているヨ。更に言えば、サブカルが岡田斗司夫を敵視するきっかけとなった(と、一部では言われている)、『オタク学入門』における『サブカルはアメリカ文化の猿マネ』という指摘とも符合しているネ」
    大多子「オタクが“人”を指す、サブカルが“コンテンツ”を指す言葉であるはずなのに、実際には逆。オタクはコンテンツが認められ、サブカルにはコンテンツがない――それが私の『サブカルは虚構』という言葉の意味だよ」
    軽一「サブカルは虚構……?」
    苅須田「そう考えた時、兵頭と岡田、そして優光のロジックのアウフヘーベンが可能になるネ。兵頭や岡田が念頭に置いているであろう70年代文化なりロック文化なりを略称ではないサブカルチャーと位置づけ、それらに独自のアプローチで接している90年代に活動した人たちがサブカルである、と」
    サブクマ「うぷぷぷぷ! つまりサブカルってのは実体を持たない幽霊、他人に取り憑いて他人のおこぼれに与るウイルスや寄生虫みたいな存在ってことだよ!!」
    苅須田「そこまでは言わなくても、サブカルがコンテンツへの“アプローチ法”、“スタイル”であるということは言えそうだヨ」
    軽一「仮にそうだとして……それのどこが悪いって言うの?」
    大多子「それ自体は悪くも何ともないわ。でも、それがサブカルの嫌われる原因じゃないかなーって。オタク文化を楽しむまでならいいけど、サブカル流をオタクにまで押しつけようとするんだから。
    『間違ったサブカルで「マウンティング」してくる――』はまさそうしたサブカルの欠点を看破した、極めて優れた自己省察的なタイトルよ……惜しむらくは本文はそうじゃないことだけど」
    サブクマ「本文では、それについて必死で責任転嫁し、醜悪奇怪な言い訳が繰り返されるばかりでしたなあ!」
    軽一「そんな……!」
    サブクマ「この本、タイトル以外も章タイトル、節タイトルを見ていると頷けるんですな。『サブカルおじさんの害』とか『なぜサブカルは自分はオタクだと言いたがるのか』とか。私見だけどこの著者、編集者の作った目次案に従って、自分でもよくわかんないままに筆を進めてたんじゃないかなあ……」
    軽一「本当にこの本を読んだの!? もし読んでいたら、そんなことは言えないはずだよ。本書は町山氏をこそサブカルの祖としながら、その町山氏への極めて忌憚ない批判がなされているんだ」
    大多子「へえ、『町山が水道橋とイチャイチャイチャイチャしている、ボクの愛する町山さんを取るな! 町山さんとチューをするのは俺だ!!』と延々延々ジェラシーを爆発させているだけの、┌(┌^o^)┐ホモォ...な内容(p105、p146)が!?」
    軽一「それはお前が腐女子だから、歪んだ見方をしているだけじゃないか! 優光は町山氏が水道橋氏と組むと羽目を外してしまう傾向がある、“若者だから許される悪ふざけを、若者を押しのけてやっている老人”だと批判しているんだ!」
    大多子「そう、サブカルには新しい人材の流入が全くない、サブカル全体が高圧的な態度を取る老害になりつつあるとの批判は当を得ていると思うわ。そうした点は、本書の大変に評価できる点ね。でも、本書はその全体が主観的情緒的ゴシップ記事的筆致に貫かれていて、特に町山×水道橋批判はどう見ても恋の鞘当てにしか見えないわね。薄い本が厚くなりそうよ!」
    サブクマ「もちろん、腐女子以外から見ればキモい中年男性のキモい嫉妬でしかないんですけどね! いやあ、本当にキモ過ぎますわ、これ!!」
    軽一「それは違うぞ!!
    大多子「何が違うのかな?」
    軽一「そんな言い方はゲイへの差別だ! すべきじゃないよ!!」
    大多子「はあ? 確かにリベラル的な考えを妄信するサブカルらしい意見ね。本書でも町山が水道橋との仲のよさを『俺たちホモ関係!』とアピールしているのに、差別だと苦言を呈しているよね。でも同時に、この二人がキスをしたりしているのをキモいと腐してもいる。こうした言動に矛盾を感じずにいる優光の感受性が、私には理解できないわ。町山と水道橋の仲に嫉妬する余りとはいえね」
    軽一「優光はちゃんと、いちゃいちゃすることは悪くないが、好意を持ってない者が見たらキモく感じるのだ、と留保をつけているよ!」
    大多子「それは好意のない同性同士のいちゃいちゃはキモいってことでしょ? 不誠実な言い逃れだよ」
    サブクマ「リベラルの人権派ごっこが、いかにデタラメかがよくわかりますなあ!」
    大多子「他にも本書ではサブカルのホモソーシャリティ、ミソジニーを批判する箇所がある(p123)。いちいち『オタクよりはマシだ』と見苦しい言い訳をしつつだけどね」
    軽一「で……でも、内省があるだけマシじゃないか!」
    大多子「そうかな? この薄っぺらな内省や上の世代への批判は、サブカルの特徴をよく表していると思うわ」
    軽一「というと?」
    大多子「優光は無批判に、いいことであるようにサブカルを『オタクに比べればリベラルな感じのする』と評している(p124)。でもそのリベラル的価値観は、もはや古びたものであるということ。本書を読む限りサブカルとは沈没しつつあるリベラル船に乗ったまま、あたふたしてる存在にしか見えないってことだよ」
    苅須田「それはまさに兵頭の指摘した、左派SF団体が『愛國戰隊大日本』に文句をつけた件*2と相似形だネ」
    大多子「優光の町山批判にもそれは見て取れるよね。彼は町山の反原発デモがみっともなかったと批判しているの(p143)。その詳細、自分がどう感じたかについて『前著で書いたので敢えて書きません』と書いた数行後に延々延々、ダラダラダラダラ不満を述べ始めるのが奇観だけど」
    サブクマ「ま、デモ自体を非常に格好の悪い、時代遅れなものだというのは一般的な感覚だと思うよ。この恨み言は中学生時代は格好いいと思っていたお兄ちゃんが実はダメダメだったことに対する愛憎を処理できてないって感じだけどね。リベラルがダサいものになっていったことを肌で感じつつ、今更離脱もできず、グダグダグチを垂れながら、『でも悪いのはボクじゃない』って言ってるだけなんですな」
    大多子「そう、本書を読んでいて感じるのはお兄ちゃんへの愛憎、濃厚なホモ臭だよ」
    軽一「え……?」
    大多子「アナタたちサブカル側のレトリックを用いれば“ホモソーシャル”ということになるのかしら」
    軽一「そ……それはお前が腐女子だから――!!」
    大多子「それはどうかなあ?」
     ――と、大多子の姿が一転、メガネのとっちゃん坊やに変わった。
    町山智浩「それは違うよ!! サブカルの本質が“ホモソーシャル”そのものだったんだ。それは優光の著作が何よりも雄弁に物語っているじゃないか」
    軽一「そ……それは……って、な……何でお前が町山氏になるんだよ!?」
     ――と、町山が一転、また大多子に……。
    大多子「コスプレだよ。コスプレはオタク女子の嗜みでしょ?」
     ――と、今度は岡田斗司夫よりは多少マシな程度のデブに……。
    東浩紀「そう、サブカルはコンテンツではなく、データベースを消費するのみの動物化した消費者に過ぎなかった……そしてそんな彼らのホモソシアルなスタイルそのものだったんだよ!」
    宇野常寛「兵頭が指摘する通り、ホモソーシャリティそのものが悪だとは言わない。しかしオタクをホモソーシャルだ、ミソジナスだと言い募り、酸鼻を極めるバッシングを執拗に繰り返しておきながら、自分たちこそがホモソーシャリティそのものだというのはいただけないな」
    宮台真司「本書の第四章が『カリスマはいなくなった』であるのが象徴的だね。コンテンツではなくカリスマを頂点とするヒエラルキーがサブカルの本質。まさにオタク文化とは相容れない存在だ」
    高橋ヨシキ「サブカルって元々そうじゃん。自分たちの方がマッチョなクセに、keyのゲームは障害者をレイプするモノだ、などとデマを撒き散らしたりしてな」
    加野瀬未友「それも、自分の子分を手先に使ってね。自分自身の作り上げた人工事実を信じ込み、息を吸って吐くようにデマを垂れ流し、オタクを攻撃する……」
    中原昌也「ぎゃーっはっはっはっはっは! それがサブカルか! クールすぎんよ、おい!!」
    津田大介「サブカルのホモソーシャリティは、70年代的な若者文化が源流にあるからだろう。あの頃は、アニキに憧れて格好いい若者文化を嗜むことが、少年の成長にシンクロしていた。時代の流れに乗れなかったサブカルは、いまだそれを引きずっていると言えるかも知れないね」
    有村悠「彼らはオタクが子供文化に引き籠もっていることが許せなかったんだね。『俺のお稚児さんにならぬとは許せん!』と。本書には岡田斗司夫が利権のため、サブカルとオタクの分断工作を行ったのだと書き立てられているけれど、見事なブーメランだな」
    荻上チキ「見ていて奇妙なのは、分断工作をしているのはどう見ても優光自身だということだよ。彼は実に熱心に『○○はサブカルじゃない、××はサブカルじゃない』と繰り返すんだから」
    竹熊健太郎「彼の非サブカル認定を読んでいて、例のシーンを思い出したよ。
    「男の子もイヤ、パパもママもイヤ、みんな嫌なの。誰も私のこと守ってくれないの。いっしょにいてくれないの。だから一人で生きるの。でもイヤなの。つらいの。一人はイヤ! 一人はイヤ! 一人はイヤ……!!」

     彼の心情は、そんなところだろうね。まさに“Eの呪い”だよ」
    斎藤環「自分たちが新たなコンテンツを生み出せなかったからサブカルが衰退したということには目を伏せて、『俺たちに股を開かなかったオタクが悪い』と言われてもね。萌えなど、オタク文化が子供文化からのスピンオフということは精神分析的にも自明だけれども、それってアニキが不甲斐ないからじゃ……」
    原田実「そう、サブカルはなかった。あったのは“サブカルしぐさ”だけ。なるほど、サブカルが『オタクは死んだ、オタクは死んだ』と繰り返すのは一種の“偽史”への情熱なんだね。何しろ自分たちは『最初からいなかった』んだから」
    後藤和智「サブカルは最初から、間違った若者論によるマウンティングでしかなかったんだ」
    町山智浩「そう、サブカルはなかったんだ。フィクションの存在だったんだよ」
    軽一「そんなバカな……!」
    大多子「ぜーんぶ、フィクションなんだよ。ぜーんぶ、嘘なんだよ。
     今までサブカルがやってきたことは、何もかもぜーんぶ……“嘘”! なんだよ!!」
    軽一「それじゃあ……亜仁木田クンが僕に託した……想いも……?」
     ――超高校級の兄貴・亜仁木田保茂郎(あにきだほもろう・声:木村良平)はマウントシアイを阻止しようとして、結果的にクロとなり、散っていった人物。軽一の兄貴分として、今までずっと彼の心の支えとなっていた男だ。
    軽一「ラブアパートで僕に優しくしてくれた亜仁木田クン……それも全部嘘だったって言うの!?」

     BAD END

     後編を読みますか? 読む 読まない

    ■補遺■
     え~と、いらっしゃらないと思いますが、もし後半の文化人連中の名前で検索していらっしゃった方がいたとしたら、一言説明しておきます。これは某ゲームの「悪のボスが今までの善玉キャラに次々変身して(勝手なことをしゃべって)いく」というシーンのパロディなので、余り深く考えないでください。

    *1 「サブカルvsオタク」の争いは岡田斗司夫が悪いことにしないと、すごく怒られる件
    *2 同上
  • 「サブカルの逆襲」と「萌えの死」(後編)

    2021-04-30 00:37
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     動画の紹介で一回開きましたが、続きです。
     未読の方は前回記事と、それとできれば『Daily WiLL Online』様の記事を読んでからご覧いただくことを推奨します。

    ・三流劇画の逆襲

     さて、問題となっている『嫌オタク流』ですが、出版は2006年。まさにオタク文化最盛期と言っていい時期に出された本です。
     その意味で同書は見事なまでにオタクに敗北を喫したサブカルの、見ていて気の毒になってくるような半狂乱の逆切れの書、と評する以外に手はありません。しかし、もし仮に同書をサブカルからのオタクへの宣戦布告の書と捉えるならば、十五年経った今となって、僅かばかり、それが実現している……とも思えるのです
    『WiLL』様の記事において、ぼくは三流劇画は廃れ、世は萌え全盛であると書きました。もちろんそれはそれで一面の真実ですが、近年、ぼくはずっと「オタク衰退論」を語っています。そこには「三流劇画の逆襲」が絡んでいるのではないか……と思えるのです。
     ということで以下はぶっちゃけ、昨今のオタク界隈への不満をぶちまける内容です。或いは、自分が好ましいと思っている作品や表現を貶されたと感じることもあり得ます(基本、固有名詞は出しませんが……)申し訳ないとは思うのですが、そこをお含み置いた上でお読みいただけると幸いです。
     また、さすがに自分の身近の話題でちょっと書きづらいものもあります。その辺は「脚注」というテイにして課金コンテンツにしました。具体的な事例がないと納得できない、という方はご覧になってみてください。

     ちょっと前、古いエロ漫画家さんの単行本を見かけました。
     多分90年代初期から活躍していた人ではないでしょうか。
     当時は「萌え漫画」全盛期。いえ、当然当時に萌えという言葉はありません。いわゆるアニメタッチのオタク世代によるニューウェーブ(というのもまた、80年代の匂いのする恥ずかしい言葉だ!)のエロ漫画、当時はロリコン漫画と呼ばれていたのですが、ともあれ、そうした当時の業界で活躍していた人物です。
     ところが、その人の絵は当時は当然、アニメ的な(今でいう)萌え絵だったはずなのですが、近年出たと思しきその単行本に描かれていた女性は、何というんでしょうか……申し訳ありませんが、本当に比喩でも何でもなく化け物のようにしか見えないもの。顔もおっぱいもただ、醜悪奇怪な、嫌悪感のみを催させることを目的として描かれているとしか、どうしても思えないものだったのです。もしこのおねーちゃんに迫ってこられたら、ぼくは腰を抜かして失禁することでしょう。
     70年代のエロ漫画はこうした絵で描かれる、いわゆる「三流劇画」というものがメインであり、80年以降、「ロリコン漫画」に駆逐されたのですが、この漫画家さん、考えると本来はその三流劇画畑の人だったのかもしれません。そして三十年間、生活のために忸怩たる思いでオタク向けの漫画を描き続け、そしてようやく雌伏の時を経て今、本来自分が描きたかった漫画を描き始めた……のでしょうか。
     敵ながらあっぱれというか、開いた口が塞がらなというか。
     で、ですが、こういう絵が、最近増えています。ぼくは普段、エロゲのシナリオライターをやっているのですが、本当に「え?」と我が目を疑うような絵が増えました*1
     これらの中には顔だけは何とか「萌え絵」だけど、身体の描き方の方法論は(方法論なんて高尚なものがあちらさんにあるのかは知りませんが)三流劇画に近い、といったものもあります。実際、常軌を逸して巨乳とかデブとかのエロ絵、最近多いですよね。
    「萌え絵」というのは言ってみれば、三次元の女という生き物とは全く別個な価値を持つ存在を、二次元世界に新たに作り上げたものなのですが、「三流劇画」はあくまで「参照すべき三次元の女体」を想起させる触媒として、そこにある。おそらく「萌えオタ」は「萌え絵」に直接に欲望を抱いているが、三流劇画的な描画法で描かれた絵は、直接に欲望の対象となってはいない。バランスを逸した極端な「巨乳」を描くことで、「参照すべき三次元の巨乳」を「想起」させるというのが、その方法論だと思われます。前回、谷岡ヤスジの名前を挙げましたが、言ってみればそれとそれほど変わらないのです。
     絵のタッチだけでなく描画法についても同じことが言えましょう。近年の流行である「アヘ顔」、「ひょっとこフェラ」(もう、こう書くだけで脳が穢れると感じるほどに、大嫌いなのですが)も、おそらくオタク側から出てきた表現ではない。「萌え絵」を読み解くだけのリテラシーがない(細かい表情の違いなどわからない)者に向けた、過剰で極端なだけの表現なのではないかと思います。
    「絵だけは一応、萌え絵」だけどストーリーが、世界観がもう勘弁、といった作品も増えています。やれ和服を着た未亡人だの中年男性とパパ活をやっている女子高生だの、もう頼むので許してくれとしか*2
     いえ、逆に言えば「和服の未亡人」の登場する「萌え」作品もあり得るとは思います。例えば『めぞん一刻』。高橋留美子が「萌え」かとなると微妙ですが、ともあれオタク文化黎明期に登場したこの作品は、言わば「未亡人下宿」という古典的ポルノ的設定のパロディとも言えました。そうした従来の性愛感から一歩引いてみせる振る舞いにこそ「萌え」が宿るのであって、そうした感性が、上に挙げたような作品にはない。要するにそうしたモノを作っている連中は、絵師だけ萌え絵師だが、他の、例えばシナリオなどを作っている連中のセンスは非オタなわけです。

    「エロゲ」でのお約束とも言えたオタクネタギャグなど、もう五年くらい書いていません。正直、ユーザー層がどんな人たちなのかさっぱりわからないけれど、そんなものに笑ってくれる人たちでないことだけは明白だからです。
     いえ、今年の初め、本当にちょっとだけお手伝いしたゲームは最初からオタクネタ全開のものだったので、こっちも久し振りにそうしたネタをぶっこむことができて、本当に書いていてほっとしました。願わくば、そういう作品ばかり書いて食っていければ言うことはないんですが……。

    ・萌え・イズ・デッド

     ――そう、今のそうしたエロゲをプレイしているのはオタクではない。上に「ユーザーがどんな人なのかさっぱりわからない」と書きましたが、やっぱり年寄りなんじゃないでしょうかね*3。頼むからAVを観ててくれ……と思うのですが、やっぱりかつては三流劇画が好きだったような人がやってるんでしょうね。
     以上はかなり憶測を含むし、「萌えの衰退」の原因はただ「三流劇画の侵略」に一元化できるものではないでしょうが、ここでポイントをまとめてみましょう。
     一つは、萌えの先代、つまり三流劇画が復権してきたこと。
     二つ目は、三流劇画とはカウンターカルチャーであるということ。
     そう考えるならば、今の状況は「サブカルの逆襲」とまとめられるのではないでしょうか。
     もう少し話を広げれば、これにはもう一つ、「左派的価値観」が浸透することで、オタクが殺された、という側面もあるように思います。
    『ネットハイ』動画で述べましたが、にサブカル、ないし左派寄りのオタク業界人はとにもかくにもオタクに対して「閉鎖的だ、閉鎖的だ」と病人のうわ言のように繰り返していました*4



     彼らはオタクたちが自分たちの政治理念、価値観を受け継ぎ、SEALD'Sのようになることを望んでいるのです。
     閉鎖的でけしからんというお説教は、その意味でオタク界のトランプが作った塀の破壊運動でした。彼らはオタクのA.T.フィールドを打ち破ってやったぞとドヤ顔でしたが、結果、『ドラえもん』も『エヴァ』もマイルドヤンキー向けになり、萌えは破壊されることになった*5
    『嫌オタク流』はおそらく、『電波男』のヒットに脅威を感じて出された本でした。『電波男』は「萌え」を愛を復興するための表現である、と説く本であり、今や女性ジェンダーを素直に描いているのが萌え表現くらいしかないことを考えてみれば、まさに正鵠を射ていたという他はありません。
     しかし、暴力と憎悪を標榜する左派は、絶対に「萌え」を許すことができなかった。
     フェミやサブカルがオタクを叩いたのはそれ故であり、そして事実、彼ら彼女らの願いは叶いつつある。
     まさに今、彼ら彼女らは勝利しつつあるのです。

    *5 『ドラえもん』については「『STAND BY ME ドラえもん2』――ドラえもん謀殺!そして男性否定妄想へ」を参照。『エヴァ』については動画「ミソジニーとミサンドリー――呉座氏に差別されたと主張するフェミが心酔する男性根絶協会とは?」でちょっとだけ触れました。


     ――さて、というわけで以下は「脚注」というテイでの、気に入らん表現への罵倒大会となります。
     興味のある方は(
    https://note.com/hyodoshinji/n/n93047f50325f#KLqkAへ飛んで、課金していただければご覧になれます。
     今も萌えキャラは街に溢れていますが、しかしエロに関しては結構おかしなことになっているのではないでしょうか……。