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  • 【反フェミはこれ一本でおk】風流間唯人の女災対策的読書・第4回「インセル・ミソジニー批判論序説」『青識亜論の「論点整理」』【ゆっくり解説】

    2020-02-15 20:49
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    https://youtu.be/gCXUQV2f9R8




     すんません、前回記事の続きはまた来週。
     ちょっと腹に据えかねてまた動画を作ってしまいました。

     みんなの味方、オタクの味方、正義の味方であらせられる青識亜論のブログ記事を紹介します!
     何というか、本当に、今回はほとほと参って、いつも以上にこちらも攻撃的なことを書いてしまっていますが、もう、それもしょうがない、という感じ。

     正直、youtuberとして収入を得る、などは夢のまた夢の状況ですが、登録していただく、高評価ボタンを押していただく、コメントをつけていただくことで再生数が上がるようです。
     また、当動画で『女災』に興味を持っていただけたら、kindleでお買い求めいただければ幸いです。
     どうぞよろしくお願いいたします。
  • 春一番 日本一の認知の歪み祭り! 「小児性愛」という病――それは愛ではない

    2020-02-07 19:032

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    ※この記事は、およそ17分で読めます※

     どうも、『#KuToo』についての動画は見ていただいたでしょうか。
     この本、著者である石川優実師匠の文章の占める割が大変低く、ありがちな、編集者主導の企画本(内容よりは著者の知名度などで売ろうとする本)という印象の強いものでした。しかし実のところその文章すらも、元は師匠のブログ記事で、それを改訂したものなのですが、文中で頻出する「性役割」「性差異」といったフレーズ、ブログの方を検索した限りでは見つけることができませんでした。要するに、本に仕立て上げる過程でつけ足されたわけです。
     石川師匠は傀儡で、編集者に操られている存在だということがよくわかりますね。
     言ってみれば、「パンプスが窮屈だ」というそれ自体は素朴な気持ちが、「何か、人間のネガティブな精神エネルギーに反応し、それを取り込む悪者」に利用された――という図式です。
     さて、今回ご紹介するのはソーシャルワーカーの斉藤章佳師匠による、ペドフィリアについての著作。最初に書いておくと、本書もまた、というのがぶっちゃけ本稿の結論でありますが――。

    ・ペドフィリアの認知の歪み

     本書の存在、確かぼくはツイッターで知ったように思います。
     表現の自由クラスタが、ヘイト本とか何とか悪口を書いていたように記憶していますが、当ブログを永らくお読みいただいている方は周知かと思いますが、ぼくは基本、ペドフィリアに対して同情的ではありません。一つに、表現の自由クラスタの本丸が明らかにオタクではなくペドフィリアを守ることにあるからだし――というのはまた、いつもの憎まれ口ですが、しかし彼らがペドフィリアを運動に取り込もうとしているのは、間違いないのではないでしょうか。これについては次回詳述します――もう一つに、ペドフィリアは「認知の歪み」を抱え、「子供とセックスしてもいいのだ、子供との間にも純愛が成り立つのだ」と主張する傾向があるからです。
     それは本書でも、繰り返し語られます。本当、ページを開く度に「認知の歪み」という言葉が目に飛び込んでくるくらい。
     ちょっと、尼の「内容紹介」から引用してみましょう。

    「そりゃセックスもしましたよ。恋人同士ですもん。それを周りの人たちが、ぶち壊したんです。
    私がロリコンで、Yちゃんは被害者だといって引き離したんです。私はそんな人達によって犯罪者にさせられました。おかしいのはどっちだっていいたいです…」
    これは、12歳の少女に性加害をした49歳の男性のケースです。
    女子児童の側には、交際しているという認識はありません。怒ると声を荒げる男が怖くて、言われるがままになっていたのだとわかっています。
    (中略)
    しかし、彼が見ていたのは、「子どもから求めていた」「子どもはよろこんでいた」という光景。事実とは、正反対です。
    クリニックで子どもの性加害経験者からヒアリングしていると、これは性加害をする者なら誰もが持っている、特有の思考の歪みだと実感します。

     以上は本書の15pにある記述の抜粋(少々内容の変更がありますが……)です。これについて、ぼくは全く反対するところがありません。
     ただし、敢えて言えば12歳ともなるとそこそこ大人ですし、「合意の上で関係を持つ」ことは不可能ではないでしょう(ただしイケメンに限る)。相手は子供なのだから、「合意でもダメ」と考えるべきではありますが、こうしたケースの場合、必ずしも加害者が脅して……というものばかりではないと思います。
     また、本書では「児童ポルノ」の被害は自撮りによるものが多いと言及されており、しかし、高校生くらいが「被害者」の場合、性交可能年齢であることを考えると、やはり絶対的な被害者と決め込んでいいのか、被害者側の意識を全く不問にするのもどうかと思います。つまり、この辺はぼくの意見も表現の自由クラスタに近しい、ということになりますが。
     ただ、もちろん、だから斉藤師匠の主張が間違いだ、というわけではありません。以前にも書きましたが、欧米では少年愛者協会NAMBLAを始めとして、「子供とのセックスを合法化せよ!」という運動をする組織がいくつもあるのです。
     これは結局、フェミニズムを含むリベラル思想の行き着く先であり、事実、フェミニストの中には自分たちと少女との、少年愛者と少年とのセックスを肯定する連中がいます。フェミニストの先兵であったジョン・マネー(今ではインチキがバレたが、一時期、ジェンダーフリーの論拠となる実験をしたとして、カリスマとされていた人)も子供とのセックスを肯定していました。
     フェミニズムがそうであるように、結局リベラルとは「自分の自由のために他人の自由を侵害する人」でしかないのですね。
     また、実のところ本書で多くページが割かれているのは実際の臨床、子供に性被害を及ぼしたペド犯罪者たちのカウンセリング(そのような言葉は使われていませんが、ここはわかりやすい言葉を使うことにします)の様子に関して。それについてはぼくも知識がありませんし、まあ、「なるほどなるほど」と素直に読んでおりました。
     が!!
     ――いえ、ビックリマークを二つつけるほどのことではないのですが、後半に至るに、本書はおかしな方向に暴走を始めるのです――いえ、それもまた想定の範囲内だったのですが――。

    ・斉藤師匠の認知の歪み

     本書が本格的におかしくなるのは、第8章からです。本章のタイトルは「支配感情――救われたい男たち」。この段階で既にヤバい匂いがぷんぷんしますが、節タイトルを見ていくと「ジェンダーギャップ・ニッポン!」「“女尊男卑”だとする認知の歪み」「「未熟=かわいい」という価値観」。おいおい、また「認知の歪み」かよw
     結局、ペドフィリアの「認知の歪み」を舌鋒鋭く斬りまくっていた斉藤師匠もまた、「フェミニズムは正しい」という重篤な「認知の歪み」を抱えていた、という腰砕けなオチ。
     ペドフィリア関連については貴重な記述の多いのですが、肝心の理念の部分は凡百のフェミ本と変わらないのです。
     本章の一番最初では

    すべての性暴力は、根底に男尊女卑的な思考パターンがあります。
    (236p)

     とぶち上げます。
     しかし、具体的にその「男尊女卑的な思考パターン」というものが何なのか、今一判然としません。師匠はカウンセリング中のペド犯罪者たちに対して「日本は男尊女卑社会だ」と訴えても、ぽかんとしているのみであることに嘆いてみせます。しかしこれは、今のネット世論がそうであるように、一般的な人々にもそうした言説が受け容れられなくなりつつある、ということでしかないと思うのですが。
     いえ、だからこそ、師匠はペド犯罪者も一般人も変わることがない、というリクツをぶつのですが、それは単にフェミニズムに洗脳された師匠が「認知の歪み」を抱えているだけのハナシでしょう。これは幼い子供を誘導して性的関係へと持ち込みつつ、「二人の間には純愛があったのだ」と信じ込むペドフィリアたちと美しいまでに見事な線対称をなしています
     そう、師匠の「認知の歪み」が、せっかくのペドフィリアに対する重要な指摘を、台なしにしてしまっているのです。
     これは、学問の世界がフェミニズムに牛耳られているがための弊害としか言いようがありません。社会学がいかに狂った学問かは近年、知られるようになってきましたが、こうした近隣ジャンルにまで、フェミニズムは甚大な「精神汚染」を広げているのです。

     師匠は典型的なメディア影響論者で、「日本の男たちはテレビから男尊女卑の考えを学んだ(249p・大意)」などと言っているのですが、ぼくはテレビが男尊女卑的な考えを流しているところを、ただの一度も見たことがありません。テレビはメインの視聴者層を女性であるとターゲティングしていますし、また、日本女性は世界でもトップのテレビのお得意さんでもあり(視聴時間が世界中でぶっちぎりトップだそうです)、少なくとも日本のテレビは女性に快い情報以外は流しません。時々名前を出すアメリカの男性解放論の名著『正しいオトコのやり方』には「テレビはフェミニストのサーカスとなった」との一文がありましたが、これは日本においても同様でしょう。
     何しろ本書は前書きの時点で以下のような具合です。
     子どもへの性加害、つまり小児性愛障害は、社会のなかで学習された行動です。大げさかもしれませんが、いまの日本社会が「ペドフィリア」を生み出し続けているといっても過言ではありません。
    (7p)

     また、以下のような記述も。
     子どもへの性加害は、社会のなかで学習された行動だとお話ししました。だからこそ、治療教育を通して学習し直すことでやめ続けることができるという考えに基づいています。
    (195p)

     はて、今の日本でペドフィリアを肯定するようなムードが(ツイッターや『薔薇族』を除いて)あるか……?
     第6章「再犯防止」においては、ペド犯罪者に対するカウンセリングの現実が述べられているのですが、そこでではペド犯罪者が他の受刑者に自分のしたことを知られることを恐れ、なかなかカウンセリングができないこと、またグループカウンセリングは様々な罪を犯した受刑者が共に罪を告白しあうものだが、ペド犯罪者は他の受刑者から差別を受けるため、仲間同士だけで集まるようにした、などと書かれている場もあるのだから、師匠の主張は完全に矛盾しているのです(欧米でもペド犯罪者は他の受刑者からいじめを受けることが多いそうです。そんなの、人類普遍に決まってるんですね)。
     そうした現実を、身をもって体験していながら、日本の社会はペドを肯定しているのだと繰り返す師匠。はて、どういう了見なのだろう……? と思いつつ読み進めていると、先にも挙げた「「未熟=かわいい」という価値観」の節で、以下のような記述にぶち当たるのです。
     もう一点、ほとんどの男性が子どもを性対象とする男性と実は地続きではないかと思わされることがあります。それは、未熟で自分たちより劣っている女性をよしとする文化です。
    (253p)

     ここで師匠は秋元康が作詞したHKT48の「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞を得意げに引用します(曲名、歌手名などはどういうわけかぼかしています)。



     いや、PC的には過激な歌詞ではあるけれども(そう、まさに今時公言できない、仮に政治家が公言したらたちどころに地位を失うような発言を、まさに女の子だからこそまだしも許される発言を挑発的にさせた、というのがこの歌詞の本質であり、そこに「それ見ろ!」とダボハゼのように飛びついている斉藤師匠はどうかとしか思えません)、こういうのは女の子自身の本音なんじゃないでしょうか。アイドルについては全く知らんのですが、秋元はこうした女の子の自己愛を前面に押し出した作詞家ではなかったでしょうかね。
     女性アイドルが歌っていますが、これは明らかに男性側が固執している価値観です。
    (254p)

     あっ、はい。
     この論調は、言うまでもなく本書の全編を貫くものになっています。
     これが、露出が際どい、幼い少女を性的に消費しているからけしからぬというのであれば一応は理解できるのですが(HKTは恐らくハイティーンくらいでしょうから、ペドとは関係がないと思いますが、その辺はオマケしてあげるとして)、そうではなく「バカで可愛い」と感じることがけしからぬ、ということなのだから、こうなると、弱い者を可愛いと感じることそのものが全否定されるべきと考えているという他ありません。人間が子供を(一応、性的な文脈ではなく)可愛いと感じることは普遍的であるはずですが、それも師匠には許してもらえないというリクツになります。
     師匠は
     子どもへの性加害をする者とそうでない者が地続きにある社会、それによって子どもへの性加害行為が後押しされる社会を、私は「をペドフィリア傾向社会」と呼ぶことにしています。
    (259p)

     などと絶叫します。しかしぼくには、フェミニズムの歪んだ野望を達成するために、師匠が関係ないものを地続きであると強弁しているようにしか見えないのですが。

    ・フェミニズムの認知の歪み

     フェミニズムの誤謬の中で最大のものは、師匠の振る舞いを見てもわかるように、女性の主体的判断を決して認めようとしないところにあります。
     時々例に出しますが、『レディース・コミックの女性学』という本があります。バブル期、レディースコミックが巨大な市場を形成し、フェミニストたちは大いに困りました。何しろ、ポルノは男が女を搾取するために作り上げた絶対悪であったはずなのに、女性作家たちが男性向けのポルノと全く構造を同じくする漫画を嬉々として描き、それを女性の読者が貪るように読んでいるのですから。
     そこで若手のフェミ学者が上の本を出したのですが、それが「レディコミ誌の編集長が男であった」というだけのことを論拠に、「男が女に自分の価値観を押しつけ、描かせているのだ、そうに決まっているのだ!!」と泣きじゃくる、というもの。もちろん、レディコミ誌の編集部にそこまで独裁体制が敷かれているのかについては、一切の言及がありません。
     斉藤師匠の(そしてその他のあらゆるフェミニストの)言も、これと全く同じです。
     上のような歌を歌っているHKTの女の子たちは当然、全員秋元の毒電波に操られているのです。おそらく、こうしたアイドルのファンには相当数の女性が含まれていることでしょうが、彼女らも当然、毒電波で操られているのです。
     レディースコミック(や、萌え系の漫画)を描く女流漫画家もアイドルも、全ては男に操られている被害者であり、その選択は、決して認められてはならないものなのです。
     ジェンダーというものは全て男が女へと押しつけたというのが、彼ら彼女らの妄念です。大変残念なことに、その押しつけた証拠というものが今まで一度も発見されたことがなく、そして一兆歩譲ってそれが事実としても「ぼくたち個々の男」はその押しつけをした覚えはない。しかしお前らは男らしさで得をしているのだから責任があるのだ、というのがフェミニズムです。どんな得があるのか。言うまでもなく男は女よりも遥かに多く自殺に、病死に、殺人事件の被害者に、過労死に、ホームレスに追い込まれることができるという、「絶対の優遇」があるのです。

     上に挙げた「ジェンダーギャップ・ニッポン!」では聞き飽きたジェンダーギャップ指数が話題になります。世界経済フォーラムによって18年に発表された「ジェンダー・ギャップ指数」において、日本が149ヶ国中110位であったとの話題ですが、この指数がとてもまともに相手にするに足りないものであることは、ネットではかなり知られてきていますよね。例えばスウェーデンなど北欧は女性の社会進出が進んでいて素晴らしく、(18年の)「ジェンダー・ギャップ指数」は世界第三位なのですが、何と、白人国家の中で一番のレイプ大国で、そちらでも第三位を獲得しているというクソさ*1。レイプ発生率は日本の七十倍近い、という指摘もあります。こうなると「性犯罪などどうでもいい、女性の社会進出だけがジェンダーフリーの基準なのだ」というのが斉藤師匠の考えである、とする他はないでしょう。師匠、他にも痴漢に対する著作があるなど、性犯罪の専門家なのですけれどもね。
     こうした「妄念と認知の歪みの極致」であり、「この世の全てへの憎悪と呪いの思想」がフェミニズムであり、それが「性犯罪者から子供を救おう」という純粋な理想に燃えていた(であろうと、信じたい)斉藤師匠にも悪影響を及ぼし、その高邁な理念を無残に歪めてしまったのです。
     師匠の主張を推し進めれば、女性を「可愛い」と思うこと、「可愛い女性」を好ましいとすることを、即ち普遍的な男性、そして女性のセクシュアリティを、ジェンダー観を「ジェンダーフリー」によって完全にリセットする他ない。
    「ジェンダーフリー」後の社会ではもちろん、性犯罪はゼロである。
     しかし、その社会では恋愛も結婚も萌えも全てが消え果ている。
     いつも言っている通りです。
     フェミニズムの主張は「地球環境を守るためには人類を絶滅させるしかない」との90年代のアニメの悪役がよく唱えていた、純理論的には極めて正しいが絶対に唱和できない主張と全く同じなのです。

    *1「「北欧ゴリ押し」ウォッチ フェミニスト国家なのにレイプ大国になったスウェーデン その1」などが参考になります。

     本書においてペド犯罪者はトラウマを抱え、自己評価の低い者が多く、そのため自分より弱い者を性の対象にするのだとの指摘が繰り返されます。ぼくはそうした観念的な言説を、子供への欲情という下半身的即物的な現象と過度に結びつけるのはどうかと思いますが(ペドが弱い者に欲情しているのであれば、幼女ではなく怪我をした女性、障害を持つ女性、綾波レイでも代替できるはずではないか?)、しかしある程度は正しいはずです。
     男には、力が求められるのだから。
     経済力のない男と結婚しようという女がいないことは、もうわかりきっているのだから。
    「女の子はバカでいい」は明らかに女の子自身にも共有されている価値観です。頭脳明晰なブスとバカな美少女と、彼女らがどちらになりたがるのかを考えた時、それは言うまでもないのです。
     それを(何の根拠もなく)男が仕組んだことだから、全責任は男に、何ら力がなかろうとも、男に生まれた者にはその責任があるのだ、と言い続けてきたのがフェミニズムです。
     もし、仮にペド犯罪者に対する治療法があるとしたら、「そんな自己評価の低い男性に自尊心を取り戻させる」方向に進むしかないはずです。自己評価が低い者にまで「威張るな」というのは逆効果でしかないでしょう。しかし、フェミ信者である師匠はそこを逆走し続けるのです。これでは問題は永久に解決しないでしょう。
     ――いえ。しかし天才であらせられる斉藤師匠は、ここに実に巧妙な抜け道を見つけ出しました。
     本書の最後には、フロクとして元・ペド犯罪者との対談が掲載されています。そこでその元ペドさんは「小児性愛は先天的なものでは」との考えを語りつつも、大学生時代、「成人男性が思春期前の少年を性的虐待するコミック*2」を読んだことが決定打になった、としています(この人は、男の子を好むタイプです)。斉藤師匠はすかさず「いわゆる児童ポルノですね。」と合いの手を入れ、「つまり小児性愛障害は、社会のなかで学習された行動だと。」と語り、元ペドさんに頷かせています(264p-)。
     実はぼくもかつて、元・ペド犯罪者が、フェミニズムを語るところを見たことがあります。しかし、これはものすごくまずい。
     男性がフェミニズムを学ぶということは、選民意識にまみれた、他の男性への見下しを学ぶということでしかないのですから。
     だって師匠のロジックは一般の、その辺にいる善良な男性も「お前もペド犯罪者と連帯責任だ!」と噛みついてるのといっしょなんだから、むしろ元ペドは「俺は一般の男どもよりマシ」との勘違いしきった自尊心を得ることになる。彼らは「過ちを犯したが、生まれ変わり、愚民どもには理解できぬ真理に到達した自分」という物語を紡ぎ上げることになるでしょう(上の元ペドさんにはそうした傲慢な勘違いは、全然感じないのですが)。
     治療効果は期待できないし、悪影響は甚大、と考える他はありません。
     本書ではカウンセリングでペド犯罪者にフェミを注入するという記述があります。女性スタッフと対等に接する様子を彼らに見せることで、男女平等意識を学び取ってもらうのだそうです(250p)。
     何だそりゃ。
     その一方で「ペドは(大人の)女が怖いのだ」というのだから、もう滅茶苦茶。まあ、師匠の中では辻褄があっているんだろうなあ、という感じはひしひしとするのですが。
     こうした倒錯した「治療法」は師匠がフェミニズムの偏向にどっぷりと浸かっているがために生まれたものですが、大変残念なことにこれは、問題のピントをボケさせることにしかならないのです。

    *2 ただ、この記述は少々不自然という気もします。というのもこの元ペドさんは現在、五十代後半だそうで、大学生の頃は八十年代後半のはず。その頃、いわゆる「ショタ」系のエロ漫画というのはゼロではありませんが、ほとんどありませんでした。BLの中にそうした描写があったのかと思いますが、BL雑誌自体が非常に少なかったし、今、BLと聞いて想像するような「萌え絵」でも「エロ」でもありませんでした。仮に嘘ではないなら、下手すっとこれ、『風と木の詩』みたいのじゃないかなあ……。

     ――さて、結構なページを費やしてしまいましたが、「認知の歪み」はまだまだ続きます。
     今回は斉藤師匠の「認知の歪み」はどこから由来するものかを考え、それが全てフェミニズムからの直輸入であることを明らかにしました。
     ぼくたちは子供たちを守るために、一刻も早くフェミニズムの危険性を世間に周知させねばなりません。
     次回はもうちょっと斉藤師匠の言説に耳を傾け、「表現の自由クラスタ」との比較検討を行ってみましょう。いや、そこでやはり表現の自由クラスタの「認知の歪み」がフェミニズムからの直輸入であることが明らかになり、ぼくたちは子供たちを守るために、一刻も早くフェミニズムの危険性を世間に周知させねばならないという結論が出ることはもう、わかっているのですが……。
  • 腐女子の心理学2  準備稿――すももファイヤーの原因は兵頭新児だった!?

    2020-01-24 23:0816
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    ※この記事は、およそ14分で読めます※

     さて、今回『腐女子の心理学2』が表題となっておりますが……本書についてはしばし、置きまして。
     既に旧聞に属しつつありますが、年末年始にかけてすもも師匠が炎上しました。
     いや、こう書いてみて本当に旧聞だなあと、眩暈がしております。ツイッター界隈の流れは光のごとく速い。ツイにおいて、ぼくが一人、ぶつぶつつぶやいているのみで(だって本来、そうするためのものだろう!)あんまり流行の話題に乗っかりたくないと思う原因の一つです。
     ここで簡単に状況をご説明しますと、すもも師匠、得意の統計漫談でいろいろグラフを並べ立て、最後に「非モテ男性にはライトオタク女子とのつきあいを推奨する」といった旨の言葉を述べたのです*1


    データを細かくみていくとライトオタク女子はかなり非モテ男性にとってやりやすそう。男性へのニーズの個別項目では「温厚ですぐに怒らない」「趣味があう」が高い。

    ― すもも (@sumomodane) December 27, 2019

    非モテ男性にとっては、ライトオタク女子がおすすめです。ボリュームもそこそこいます。オタク趣味だけでなく、おしゃれな趣味も両立しているタイプです。仕事は小売業、生産工程、場所は北海道、福岡県、学歴は非大卒。男性ニーズはやさしさ。ハイスペ、モテを要求しません。

    ― すもも (@sumomodane) December 28, 2019

     これが、「ツイフェミ」*2の皆様方に大変に不評で、師匠は大バッシングを受けてしまいました。いや、まあ、「やりやすそう」とか言ってるし。おそらくこれはあくまで「交際が」やりやすそう、ということであるはずですが、こりゃ「犯りやすそう」だと勘繰られ、上げ足取られるに決まってますわなあ。
     この問題はまず、「オタク男子」に「ライトオタク女子」を勧めた点に、炎上要素があったと言えましょう(師匠は「非モテ男性」と言っているけれども、「趣味があう」と言っている以上、これは「オタク男子」とイコールでしょう)。
     何でわざわざ「ライト」とつけたのか。
     仮に「ディープなオタク女子」を想定すると、やはり「ブス」「根性がひねくれ曲がっている」といったイメージが沸きます。そこで、すもも師匠はまあ、多少は身ぎれいにしており、常識もあるライトオタク女子の方が……と考えた。そこが、まさに「ツイフェミ」の怒りを買った理由でしょう。
     いえ、これはむしろ男の方が言われてきたことなんですけどね。例の『電車男』ブームの時は、例えば『「ゆるオタ君」と結婚しよう!』なんて本も出ておりました。「オタクというと忌避感があるかもしれないけど、ライトオタク君はお買い得!」というわけです(もちろん、根拠は極めて心許ないですが……)。これは男女の問題以前に、「オタク」という言葉のネガティビティがどこまで強いかということでもあるわけです。
     ただ、もう一つ指摘しておくと、この「ライトオタ女子」という言葉そのものが、その相手となることが想定される「オタク男子」よりも相対的に「ライト」であるという含意があります。上の「オタクはネガティビティそのもの」という指摘とあわせて考えると、この提案は「男性の、上昇婚」という意味あいを有してしまう。それこそが「ツイフェミ」たちの発狂を促したのだ、と言えましょう。ブスがイケメンとつきあうことは正義だが、ブサメンが美人とつきあうことは絶対悪、というわけです。
     さらにもう一つ指摘しておけば、単純に腐女子は「そういうことを言われたくない」という心理が強い、ということも言えましょう。
     十年ほど前、『801ちゃん』などをきっかけとした腐女子ブームの折、杉浦由美子という腐女子ライターがブームに乗って、「腐女子は美人なのよ~ん」とウソを吐くだけの新書を盛んに出していたのですが、それが腐女子の総バッシングにあったのです。やはりオタク女子はこじらせを抱えた存在であり、性的に見られることになかなか素直になれない。「私たちのことは放っておいてくれ」といった心理が強いのでしょう。いえ、つまり、ということはライトでないオタク女子はそこまでこじらせているわけであり、だからこそ「ライトオタク女子」が望ましいというロジックには、正当性が強まるばかりなのですが。

    *1 今となっては経緯を正確に把握することは難しいのですが、「すももまとめ:非モテが恋愛市場で勝つ方法」をご覧いただけば、すもも師匠自身の発言と、それに対するリアクションを最低限、ご覧になれます。
     この調査自体、師匠が独自に行ったもののようで、「ライトオタク女子」の定義は何かなど、細かいことはよくわかりませんが(何しろ詳細は師匠が莫大な値をつけてデータ販売して、膨大なカネを稼いでいます!)、その辺はあんまり重要じゃないので、置きます。
    *2 ぼくは今まで、「ツイフェミ」を主語に何かを語ることには、慎重であるべきと考えてきました。「主張」は「ツイフェミ」も「プロの、言論人としてのフェミニスト」も大差ないし、であれば「一般人」に過ぎない彼女らを叩く暇があれば本丸の、プロであるフェミニストの批判をすべきと考えるからです。また、すもも師匠のお友だちである白饅頭や青識亜論がそうしたプロのフェミニストを延命するため、ツイフェミとの八百長試合を続けていることは、既に何度も述べてきました。
     ただ、この「ツイフェミ」はぼくがここしばらく「ブス」と表現している層、即ち一般的な女性たちの中の、あまり恵まれず、それ故にこじらせて「フェミ」を齧ってしまった層を総称する言葉ともなり得る。そこで本稿、そしておそらくこれから以降もそうしたニュアンスで「ツイフェミ」という言葉を使う機会が出てきましょう。


     しかしここで一番、押さえておくべきポイントは、期せずして、「男に女を宛がえ」論者というものはやはり、いなかったということが確かになったということです。
    (これ、極めて重要な指摘だと思うんだけど、みなさん、もうお忘れですかね)
     折に触れて述べていますが*3、要するにネット上には(「ツイフェミ」的な女性が主張する)「弱者男性どもが、我々に女(嫁)を宛がえと主張しているぞ」との「通説」が一定層、ある。しかしこれは男性側が「女性は男性を主夫にしようとしないのだから、家庭に収まってもらった方が得である」との主張をしているのを彼女らが「情緒化」して解釈しているのではないだろうか……というのがぼくの想像です。
     すもも師匠の主張に、「ツイフェミ」たちは「オタク女子に何て失礼なことを」と超過剰反応をもって返しました(彼女らの方がオタク男子に対して失礼だと思いますが)。つまり彼女らの耳にはまさに、師匠の提言が「オタク男子にオタク女子を宛がえ」というものに「聞こえて」しまっていたのですね。こうした一定層の女性たちの振る舞いが、上のぼくの仮説の傍証となっているとは言えないでしょうか。
     そしてまた、これが「性犯罪冤罪」などと全く構造を同じくしていること、即ち「負の性欲」を原因とする「女災」の一つであることも、こうなれば指摘するまでもありません。
     ――以上のような次第で、少なくとも本件については、すもも師匠が一方的な被害者で可哀想だ、とぼくも思います。

    *3「男性問題から見る現代日本社会」など。

     ですが皆さん、この話題、何か思い出さないでしょうか。
    「オタク女子はオタク男子とつきあおう」。
     そのような主張をしていた人物が以前、いたような……はい、『腐女子の心理学』、『腐女子の心理学2』の著者である山岡重行師匠ですね。
    『腐女子の心理学』については、当ブログでも採り挙げました*4ので、できればそちらも読んでいただきたいんですが……(以降、本稿では『腐女子の心理学』を『1』、『腐女子の心理学2』を『2』と表記します)。
     いや、本当に事情が複雑でどうご説明申し上げていいか迷いますが、まず、問題の発端は北田暁大師匠編著による『社会にとって趣味とは何か』という本です。同書において、師匠は偏向した統計を開陳し、「オタク男子は保守的なジェンダー観を保持している悪者だ! しかし腐女子タンは勇猛なるフェミニズムの闘士だからボクちんとつきあって! (;´Д`)ハァハァ」などとキモいことを言っておりました。いえ、後半はぼくの創作ですが、大体まあ、そんなんでした*5
     そして北田師匠は先行する山岡師匠の著作、『1』の方をやり玉に挙げ、そこにあった「腐女子もリアル恋愛に興味はあるんだから、オタク男子とつきあえばいいよ」といったアドバイスへとことさらに憎悪を燃やし、攻撃を加えていたのです。北田師匠は「ボクちんのママになってくれるフェミニストの腐女子タンに悪しきオタク男どもとつきあえとは何ごと!!」と、それこそ上のツイフェミに劣らぬ怒りを炸裂させておりました。
     その意味で山岡師匠もまた、北田師匠にわけのわからぬインネンをつけられた被害者、といった感じで、まさにすもも師匠と同様ですが、ただ……やはり、「フェミニズム」そのものの正しさを前提視している点が気になり、こうして「師匠」呼びをして、当ブログでも大いにからかってしまったのです。
     見ていくと腐女子を「セクシャルマイノリティ」に準えて語っているような面もあり、それはどうかなあと。時々ぼくは「萌えオタは二次元性愛者という名のセクシャルマイノリティなり」といった「主張」を採り挙げ、批判します。政治運動的にも望ましくないし、そもそも事実と違うと考えるからです。本書にもそれに近い匂いを感じて、ブログでも毒づく結果となりました。

    *4「腐女子の心理学
    腐女子の心理学(その2)
    *5「リベラルたちの楽園と妄想の共同体――『社会にとって趣味とは何か』
    リベラルたちの楽園と妄想の共同体――『社会にとって趣味とは何か』(その2)


     さて、以上が基礎知識です。長くてすみません。
     そういうわけでやはり山岡氏の著作には全幅の賛同はできないのですが――あぁ、今まで「山岡師匠」だったのに「山岡氏」って言ってるよ! 
     すんません!
     何か意味ありげに掲げたこの『腐女子の心理学2』ですが、まだ通読できていません!
     実のところ、本書は去年の二月に出版されたので、もう一年経っているのですが……。
     い、いや、何で急にこんな言い訳がましいことを書くのかとお思いかもしれませんが、この『2』が出版されたのは、山岡氏の北田師匠への怒りが原動力となっていたからなのです。
     何しろ通読していない以上、本書の内容に関してはひとまず、あまり語ることもできないのですが、実は発売当時(即ちもう一年も前なのですが……)、出版記念イベントが行われ、ぼくも山岡先生にご挨拶させていただきました。

     ――おい兵頭よ、それで急に山岡氏におもねることにしたわけか?

     はい(肯定)。
     い……いえ、上にもリンクしたかつての『1』評については(読み直すと結構非道いことを書いているのですが)翻すつもりはありません。
     ただ、本件(北田師匠とのバトル)においての山岡氏の主張については、ぼくは全面同意します。
     北田師匠の統計の恣意性について、ぼくも知識のないところを苦心惨憺しつつ何とか批判しましたが、専門家である山岡氏も否定的ということで、北田師匠の本が信頼できないということは立証されたと言っていいでしょう。
     出版記念イベントにおいても、山岡氏は北田師匠が本の中でオタク趣味を「たかが趣味」と蔑ろにするような記述をしていることに怒りを露わにして(ここはぼくもブログで指摘していましたよね)、「えぇと、著作のタイトル、何だっけ、『社会にとってたかが趣味とは何か』だったけ?」などと言って、会場の爆笑を誘っておりました。
     もう一つ、山岡氏の怒りは北田師匠が腐女子を「フェミニスト」に仕立て上げようとしている点にありました。氏はフェミニズムそのものは好ましいと考えていると思しく、ぼくもそこを批判したのですが、しかしこの態度は、「仮ににフェミが正しいとしても、研究はそうした希望的観測に囚われず、公正な視点で臨むべきだ」と考えているからこそであり、冷静なスタンスだと思います。

     さて、これら山岡氏の指摘については既に出版後、ネットでも話題になり、いずれにせよバトルは山岡氏の勝ちに終わった……と言っていいかと思うのですが。
     実は少し前、同書がまたしてもプチバズりました。
     すもも師匠がツイッターで『2』を採り挙げていたのです。
     すもも師匠と言えば、白饅頭の手先……あ、いや、子分……あ、いや、その、眷属――何か、格好いい表現なのでこれで勘弁してください。
     え~とですね、ぼくのすもも師匠に対する評価は、以下のような具合です。
     データを基に言説を推し進めるスタイルには感心しますし、また、「非モテはモテ幻想から解放されよ」といった言説(いわゆるミグタウ称揚論)に、断固としてノーを突きつけ、「そんな思想は人を幸福にしない」と表明するスタンスにも好感が持てます。これらの高評価は、今も覆ってはいません。
     一方、しかし同時に「女性たちよジェンダー規範から解放されよ」との「ジェンダーフリー」を唱えており(それって人を幸福にしないんじゃないですかね)、やはり洗っても洗っても縞模様の落ちないシマウマだ、とも思います。
     さて……そんなすもも師匠、どういうわけか『2』を採り挙げながらも、ぼくがさんざん批判した北田師匠の統計を持ち出し、称揚していたのです。いや、これじゃあ北田師匠のデータが山岡氏発のようにも読めてしまう。どういうことか……。
     ぼくは師匠に再三、リプを送りましたが一体全体どういうわけか無視され続けました。
     すもも師匠は北田師匠のデータに対し、

    これは本当に良書だと思う。

    もうひとつ個人的に衝撃的な結果があった。「男性オタク」はジェンダー保守的な価値観が高い。これは割と薄っすら感じていたことだけど、ここまで顕著だとは。 pic.twitter.com/DhCNpATx0G

    ― すもも (@sumomodane) December 14, 2019

     などと自分の見解に適うと、気をよくしていました。もっとも、直後に

    なぜこうなるのだろう。オタクは草食的なイメージがあるのでこのようなある意味「男らしさ」を肯定する結果が意外。

    ― すもも (@sumomodane) December 14, 2019

     とも言っており、どちらが本音か(それとも師匠の中ではこの二つが矛盾なく同居しているのか)不明ですが、恐らくは前者こそが本音で、自分にとって好ましいデータを否定したくないがため、ぼくの進言を無視し続けていた、というのが実情ではないでしょうか。
     ところがその後、師匠は「『2』はデータ部分を見ただけだが、いずれじっくりと通読したい」などとつぶやいていたのです!
     ぼくも手元の『2』を見て、やっと気づきました。
     山岡氏が批判的に採り挙げた北田師匠の統計を、すもも師匠は山岡氏自身が提示したデータであると誤読していた可能性が、極めて高いのです!!
     さらに、その「まだ読んでない」旨のつぶやきを、すもも師匠はすぐに消し、山岡氏のツイートをRTしていました。
     つまり……ぼくの指摘を読んだ師匠はことの次第に気づき、一応の言い訳のつもりでそのようにしたのでしょう。
     しかし、それならばそもそも一連のツイートは全部消すか、或いはことの次第をちゃんと報告すべきでしょう。このままでは山岡氏の本が誤解されたままになりかねません。影響力の強い垢にこうしたことをされるのは巨大な迷惑です。
     またこうなると、すもも師匠の読解力、知的誠意、のみならずオタクへのスタンスも、信頼に足るものかどうか、極めて疑わしいと言わざるを得ません*6
     すもも師匠も山岡氏も「オタップル」をカップリングさせようとして炎上しました。
     二人を攻撃した北田師匠、そしてツイフェミたちにあったのはオタク男子(=非モテ男性)へのぶれのない真っ直ぐな憎悪でした。
     しかし、上に挙げた言動を見る限り、すもも師匠もまたオタク男子への軽蔑を共有しているように見えます。オタク女子は先進的なのに比べ、オタク男子は保守的だ、と(もちろん、師匠自身の炎上騒ぎがそれが間違っているということの証明になっているのですが、そこはまあ、置きます)。
     しかしならば、すもも師匠は何故、あのような提言をしたのでしょうか。
     仮に北田師匠のオタク観、そしてジェンダーフリーが好ましいのだというイデオロギーが正しいとするならば、「オタク男子は悪だからオタク女子という正義とカップリングさせるなど、まかりならぬ」という北田師匠の結論が、理に敵っています。すもも師匠はすぐにもこれに唱和すべきでしょう。
     こうしたすもも師匠の振る舞いは、丁度、ポルノを全否定するフェミニストたちへの絶対服従を再三誓いながらも、表現の自由の、オタクの味方であると詐称し続ける師匠の親分たち、つまり白饅頭や青識亜論の振る舞いと「完全に一致」しています。
     或いは、山岡氏のツイートをRTしたように、すもも師匠は北田師匠のデータが間違っていると知り、(だとすると、これはぼくが言ったからなのですが、しかしもちろん、ぼくへ感謝することもなく)一応、心を入れ替えて、その上で上のような提言をした、と考えるべきなのでしょうか。
     そうなると、この炎上の原因はぼくであったことになってしまいます()。
     もっとも、ならば、師匠はフェミニズム的な価値観を捨て、考えを変えたのか、となるとそれは疑問です。石川優実師匠の裏切りの後も「フェミを信じてくれ~~~!!」と哀願を続ける青識亜論と、似たようなことを考えているのではないかなあ……というのがぼくの勘繰りです。

    *6 以上は「すもも師匠、北田暁大師匠のデマ本の記述を流布する。」にまとめられております。


     ――さて、中途半端ですが、今回はこんなところです。
     一応、まとめめいたことを書きますと、ぼくも「オタク男子はオタク女子とつきあおう」という提言自体はことさらに悪いとは思いません。しかしそれに対する「ツイフェミ」の抵抗はハンパない。それはまさに「負の性欲」という「女性ジェンダー」がいかに強固に彼女らを縛っているかの、そのままの証明になり、「女災」の存在を何よりも明白に世に知らしめるきっかけとなった。ぼくたちは「優位」にある女性たちに「幸福を分けてください」と頼み込むことがいかに困難かを、すもも師匠の振る舞いを見て、反面教師にせねばならないのです。
     必ず近いうちに、表題となっている『腐女子の心理学2』のレビューをしますので、少々お待ちください。