みなさん、遅ればせながら明けましておめでとうございます。
ご挨拶が十一ヶ月ほど遅れてしまいましたが、いよいよ2017年の始まりです。
これからの三日間をよい年にするよう、お互いに頑張っていきましょう。
今回は新年を祝って、本年度の「女災流行語大賞」をお送りします!
今までも「日本死ね」「女性が輝く社会」など流行語を捏造して参りました当大賞ですが、本年度は一体いかなる斬新な「流行語」が飛び出すことになるでしょうか。乞う、ご期待!!
ちなみに挙げられた「流行語」はそれぞれ、それについて詳しく語った本年度記事、或いはソースそのものとリンクされていますので詳しくお知りになりたい方はそこで確認してください。中には言い回しを短くするなど多少、変えてあるのもありますので。
第10位 せんずり村
はい、栄えある第10位は北原師匠の名言からの受賞です!
いえ、厳密には北原師匠発の言葉ではなく、いわゆる「ツイフェミ」とか「レディース」と称されるTomica師匠という方が言い出したことのようなのですが(ちなみにこの方はアカウントを凍結されているようです)、北原師匠は本年出版されました名著『フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか』の中で以下のようにおおせです。
今、ネットで怒る女性たちの勢いが希望です。だって、やっぱりエロ漬けされてオナネタを必死で手放さないとする男たちを「せんずり村の住人」と名付けたりとか、楽しい。
そ……そんな……フェミニスト様は「ツイフェミ」「レディース」などといった存在とは全く違い、ボクたちオタクの味方だって、リベラル君もおっしゃっていたのに~!
あ、いやいやいや!! 北原師匠、そして本書のもう一人の筆者、香山リカ師匠のことは海燕師匠も「ダメ左翼のダメフェミニストの代表格」と評しておいでです*1。この二人はフェミニストの中でも例外です。そうに決まっています!
何しろ同書では香山師匠もオタク文化をdisっているのですから!
*1「弱いなら弱いままで。「萌え文化は宮崎勤がつくった?」北原みのりと香山リカの対談集がすごい。」
第9位 日本のアニメは幼女が活躍するものばかり
え~ん、せっかくリベラル君が、「アニメは女性が強いのでジェンダーフリーだ」とフェミ様に手もみしていたのに~!
え? 日本のアニメが「幼女の活躍するモノばかり」というのはおかしい?
そんなことは些末な問題です。
師匠はこの言葉の前後で「たとえばアメコミではグラマラスな格好良い女が出てくる一方で」「欧米では年を取った女性もオシャレで派手な服も着るし、男性もパートナーとして女性を大事にしている。それに比べて日本は若い女ばかり追い求める」とおっしゃっており、日本人の性意識をこそ問題視しておいでなのです。師匠はこれ以降もコスプレする女性を批判し、女子大生がAKBを好むことを悲嘆しています。
オタクはまさに「叩いてもいいから」矢面に立たされているスケープゴートにすぎず*2、彼女らの否定しているのは「ごく、一般的な人々のセクシュアリティそのもの」としか言いようがありません。その証拠に、彼女らは実のところ「一般的なセクシュアリティと乖離した、反社会的な性表現」であればいきなり支持し出します。香山師匠も本書の中で会田誠の少女を凄惨に虐待し、惨殺する表現は「体制への抵抗だから」という理由で肯定的に語っておいでです。
これはぼくの発見したことなのですが、実は香山師匠や北原師匠はフェミニストの中でも、「ラディカルフェミニスト」という悪しき例外種であったのです*3。
な、なんだってーーーーー!!
彼女らは一般的な人々のセクシュアリティ、ジェンダーを深く深く憎んでいます。「ジェンダーフリー」という名の「ジェンダー解体」を唱えているのも彼女らラディカルフェミニストです。「フリー」というと「自由」でいいことのような気がしてしまいますが、「カロリーフリー」が「ノンカロリー」の意であるのと同様、「ジェンダーフリー」はジェンダーそのものを否定する思想なのですから。
彼女らにかかれば「萌え」に代表されるオタク文化も、それに留まらず一般的な文化も、否定されることは言うまでもありません。『サザエさん』がことある毎にフェミの攻撃対象に選ばれていることを、ぼくたちはここで思い出すべきでしょう。ラディカルフェミニズムとは「反社会性の発露であり、文化を破壊することそのもの」であることだけは、確かなようです。
ともあれ、ヤツらはオタクの敵です! こうなったらリベフェミ様、否、ネオリブ様に帰依しましょう!!
というわけで以下はネオリブ様の金言からの受賞です!
*2 この構造って、こっちからしたらAKBなんてオタクと何ら関係ないのに、世間一般からするとオタクの定義なんて、「AKBが好きな男」程度のモノであることと、「完全に一致」していますよね。
*3「リベラルフェミニズム」と「ラディカルフェミニズム」の本当のところについてはもう、口が酸っぱくなるほど繰り返しているのですが、詳しくは「重ねて、ラディカル/リベラルフェミニスト問題について」を参照してください。
第8位 日本のフェミニズムの夜明けを目指すべく立ち上がったネオ・リブの女たち
第7位 2017年にネオリブが生まれたことは歴史的必然、大きなうねりに成長していく
何という頼もしい宣言でしょう!
「ネオリブ」の具体的な理念、方針は全然わかりませんが!!
さてこの「ネオリブ」、ウィキにも掲載された、れっきとした……え~と、すみません、ウィキにはまだ載っていません。どうも、ウィキに載せようとしたモノの、断られた形跡が見て取れるような*4……何てケツの穴が小さいんだ、ウィキ! みんなで根拠のないデタラメを書き込むことで嘘を真実に変える、『ダンガンロンパV3』みたいなところがウィキの醍醐味だったのに!!
しかし、それにしても、そのウィキにすら否定されるネオリブは……あ、いやいやいやいやいや!!
ともあれ、ウィキには適わなかったモノの、ピル神は「碧志摩メグを規制したのは武田邦彦氏の発言がきっかけ」といったデマを流して信者(原田実師匠)に信じさせたり、或いはおっぱい募金を全否定しながら、その事実を信者から批判されなかったり*5といった数々の「超力」を発揮していらっしゃいます。彼女らに帰依することでぼくたちもまた、「超力」を得ることができるのです!
もう一つ、彼女らの優れた政治性について指摘しておかねばなりません。彼女らは従来のフェミニズムの批判者、というスタンスを気取っていますが、専ら「まなざし村」とやら言われる「野良フェミ」について述べるだけで上野千鶴子師匠とかについては何も言わないのですな。いえ、彼女らも北原師匠や確か、千田有紀師匠も批判していたはずで、その意味ではまんざら「野良フェミ」にだけケンカを売っているわけではない。しかしこれは、むしろ彼女らの「後退」を示しています。
少し前まで「ツイフェミ」は悪者、アカデミズムには真のフェミがいる、というのがリベラル君の口癖だったのが、だんだんと名のあるフェミも擁護しきれなくなり、今年はとうとう牟田和恵師匠をも批判せざるを得なくなりました。牟田師匠もアカデミズムの世界にいる、上野師匠に近いフェミであり、この人までダメならもう、フェミニズムそのものがダメであるとしか言いようがないと思うのですが、彼ら彼女らはそれだけは決して認めようとはしません。ピル神など、ぶっちゃけ非常に古い人で(その意味でリベフェミという自己申告は半分くらい当たっているのかも知れません)、リベラル君が彼女を担ぎ出している現状は、にっちもさっちもいかなくなり、お古を整理ダンスから引っ張り出してきたようなもの、というのが本当のところです。
ピル神や多摩湖師匠の「ネオリブ」宣言は本当に捨て身のダイブだったのですが、しかしそれでは彼女らはフェミの根本理念、分けても彼女らが批判している(はずの)ラディカルフェミニストの「ジェンダーフリー」などに対し、どう思っているのかがさっぱりわからない。「ネオリブ」はリベラル君たちの大好きな「女性差別が許されぬのであれば男性差別も許されない」といったふわっとした観念論は大いに唱えますが、それならばそもそもフェミニズム(この社会にはまず、絶対的な男女格差がある、という世界観)自体に意味がなくなることについては、徹底的に無関心なのです。
い……いや、そんなことはありません!
何しろ一流文化人であらせられる宮台真司師匠、そして山本師匠も彼女らの重篤な信者なのですから!
*4「ノート:ネオ・リブ」
「削除依頼/ネオ・リブ」
*5「おっぱい募金への反対論者との議論」
第6位 フェミニズムはこの世界が全ての人にとって優しい世界になることを目指す運動
いや、本当はこれを1位にしたいくらいに強烈な名言なのですが、師匠がおっしゃる以上、間違いはありません。「フェミニズム」は疑いを差し挟むこともまかりならぬ絶対正義なのです! オタク第一世代辺りの感覚では、これは突出した奇抜な意見でも何でもなく、「まるで空気のような常識」であることでしょう。
何しろ師匠はこれの前に牟田師匠に対して、
すごいなあ。「ジェンダー研究者」を名乗る人が、ツイッターでだいぶ前から話題になってる「まなざし村」界隈のことを何も知らないらしいよ。
などとイキっておいででした。アカデミズムの世界にいらっしゃる正真正銘のフェミニストにすらこんな口の利けるほどに博識でおいでの山本師匠の主張が、間違っているはずもありません*6。
そう、海燕師匠がおっしゃるように、山本師匠がおっしゃるように、フェミニストたちはオタクの味方であり「相性が悪い」などという香山師匠、北原師匠こそが間違っているのです。
本年度の当ブログでは、フェミニズムを正しく理解するオタク界の賢人たちの良書をいくつもご紹介してきました。5位と4位はそうした人々の声に耳を傾けることにしましょう。
*6『愛のトンデモ本(上)』で山本師匠は
TSFはゲイや女装趣味とはまた違う。ゲイというのは肉体が男性なのに精神が女性であるため、その矛盾を解消するために女装や性転換を望む人たちだ。
(254p)
などと書いています。いくら何でもメチャクチャというか、知らないなら書かなきゃいいのに……と思わずにおれない記述です。
ちなみにTSFは「トランスセクシャルフィクション」の略で、超自然的な理由で性転換を起こしてしまう作品を指す言葉だそうです。師匠はこれを「心は男のまま女の肉体に変身する」と定義づけていますが(そして厳密な定義は別にないことでしょうが)これもちょっとなあという感じです。男の娘が必ず男性ジェンダーを持っているかとなると、それは微妙でしょう。
第5位 腐女子は洗練された形で男性中心主義的な世界観に異議を申し立てている
なるほど!!
北田師匠の名著『社会にとって趣味とは何か』からの引用です。
そう、師匠の言うとおり、BLとは従来の性規範にノーを突きつけた表現です。
「受け/責め」の関係性がそのまま「女性/男性」であるのは何故かとか、イマドキの腐女子たちが『801ちゃん』に喜々としている――それはつまり、自分が「女子」としてスポットを浴びて喜んでいる――のは何故かとか、美人と自称したがるのは何故かとか、『おそ松さん』を見ているとトト子ちゃんが六つ子たちに恋い焦がれられており、また彼女はアイドルでもあるのですが、それに快哉を叫んでいるのは何故かとか、そんなことを指摘した者は表現の自由クラスタから訴えられますので、疑問に思うことは厳に慎まねばなりません。
フェミがオタクの味方である以上、腐女子がフェミであるのは自明ですよね。
オタク男子は旧態依然とした男性ジェンダーに囚われているゴミクズですが、オタク女子は先進的なフェミニズムの闘士なのです。
絶対に、疑っては、なりません。
第4位 のび太は非モテのくせに、童貞ネット民並みに上から目線で女子を品定めする
そう!
オタク男子のクズさは、こんなところからも実証が可能です。
上は稲田師匠の名著『ドラがたり』からの引用。
『ドラえもん』とは、ゴミクズにも劣るネトウヨ中年童貞ネット民どもを肯定するためにこそ生まれた、唾棄すべきコンテンツでした!
そもそも藤子Fの生前にネトウヨとかいう概念はないだろ……などと考えることはまかりなりません。Fはデジタルサイネージの出現をも予知していた偉大な予言者なのですから!
『ドラえもん』なんて女性ファンが多そうだけど、その理屈から言うと「男の身勝手な欲望を肯定するために作られた作品」を好んでいる女の方こそバカなのではないか……などともゆめゆめ考えてはなりません。
師匠は女子たちの『ドラえもん』の読みは浅い、とおっしゃっておいでですが、同時にサブカル女子はジャイ子にシンパサイズする高尚な存在なのですから! 意味がおわかりにならないと思いますが、師匠がおっしゃっていることが理解できないとしたら、それは理解できない人がバカなのです!
ぼくたちは今こそ稲田師匠に続き、「ママ、ごめんなさい、もう見ません!!」と泣きじゃくりながら『ドラえもん』に墨を入れていかなければならないのです!!
第3位 サブカルはホモソーシャルでミソジナスだが、オタクよりはマシ
また名言が飛び出しました!
『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』における言葉です。全てが著者の身辺の二、三の見聞を元にした思い込みだけで語られるこの名著によると、オタクはホモソーシャルでミソジナスだそうです。しかしそれは奇しくも北田師匠の指摘と一致しました。稲田師匠もホモソーシャル、ミソジニーを理由にのび太系男子を糾弾なさっておいででしたが、この「のび太系男子」も「オタク男子」と限りなく「=」に近い「≒」で結んでいいでしょう。
そして「サブカル男子」はそんな「オタク男子」に比べ、自分たちのホモソーシャリティやミソジニーを内省するだけの知性と誠意を持った、「真の草食系男子」でした。ぼくたちダメなオタク男子の憧れのアニキです。早くアニキたちにアナル処女を捧げたいですね!
というわけで、「オタク男子」が「絶対悪」であることは「確定」しました。
――だがちょっと待ってほしい。その根拠となっているのは「ホモソーシャル」、「ミソジニー」といった男性の内面をこそ批判した概念であり、それらを正さねばならないという考えは、「オタクどころか男の敵」であることはもちろん、「ジェンダーフリー」とも同様な、ラディカルフェミニズムの考えそのものではないか?
え? ううううううううううううううううううううううううううううううううるさい!
こまけーことはいいんだよ!!
宮台師匠が「上野千鶴子師匠はラディカルフェミニスト」だと明言しており*7、上野師匠がオタクの味方なんだから、実はラディフェミも味方だったんだよ!! お前ら萌えブタどもは俺たちの政治運動の下準備のために社会的地位のないツイッターフェミ相手に消耗してりゃいいんだよ!!
と……とにかく、今まで挙げた名言から、一つの真理が浮かび上がってきます。
それは「フェミニスト」様は悪の権化であるぼくたちオタクを啓蒙し、善導してくださる「正義の味方」であるということです。フェミニスト様たちの「性と文化の革命」が成就した暁には、ぼくたちはオタク文化も萌え文化も捨て、正しいサブカルになることができるはずです。フェミニストはオタクの味方であるというリベラル様のお言葉は、正しかったのです。
それは第2位の名言を見れば、更に確信できるはず。
*7「宮台真司が妄想とデマの糞フェミ擁護!'2017 みんなー!宮台師匠の布教が始まるよー!」
第2位 児童ポルノを所持してるだけなら誰の権利も侵害しない
素晴らしい!
いえ、基本、当大賞は知名度、影響力のある人物のモノからセレクトしていきたいと思っているのですが、こればっかりは有名人が口にしにくい種類の主張でしょうから、仕方がありません。
上のものは鈴折師匠というツイッタラーの主張です。が、彼もツイッター界隈ではそれなりによく見る方ですし、近しい主張は多々見られましたし(上のリンク先を見てください)、この名言は「表現の自由クラスタ」の一定層のホンネをすくい上げている、と言っていいのではないでしょうか。
いえ、もちろんですがぼくが「オタク界のトップ」と呼ぶような人々がみな、ホンネでは上のような考え方を抱いているのかとなると、それはわかりません(山本師匠は抱いてそーだな)。ただ、オタクも世代を上に遡るほどリアルなペドファイルとの接点が多くなっていることもまた、事実なのです。
しかし香山師匠の言葉を思い出してください。萌えアニメは絶対に許せないのに、美少女を惨殺する表現は「反社会的なので正義」である。フェミニストの中でもラディカルフェミニストこそが反社会的性表現と親和性が高い。それと同様、先に述べたようにオタクもリベラルな考えを持つ傾向にある上の世代こそペドファイルと親和性が高い。
そう、「反社会的であればあるほど正義」というのがリベラルの価値観であり、それを前提するならば、彼ら彼女らこそが「真の正義」であったのです!
何しろ体制は表現の自由の圧殺のためには何でもするのであり、体制に逆らう反社会的な振る舞いは、その全てが表現の自由のために正当化されます。ぼくたちはペドファイルと、ラディカルフェミニストとがっちり手を結び、ぼくたちに逆らう言説を、表現の自由のために圧殺せねばならないのです!!
第1位 自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ
はい、今年の栄えある流行語第1位はこれに決まりました!!
みなさん、よくお聞きになりましたよね!?
一般人は聞いたこともないかも知れないが、特定ブログの読者にしてみれば五秒に一回は耳にしていた流行語であること、「日本死ね」の如しです!!
え~と、移り変わりの早い世の中ですからちょっと(こういうの、野暮だとは思うんですが……)ご説明しておきます。本年、『クレヨンしんちゃん』のお父さん、ひろしを主役に据えた漫画、『野原ひろし昼メシの流儀』が話題になりました。この種のスピンオフ流行りの昨今とは言え、いくら何でも無理やりだろうと。で、この漫画の主人公は野原ひろしではなく、「自分をひろしだと思い込んでいる一般人」なのではといったジョークがネット上で流行ったのです。いや、そもそも野原ひろし自身がどうということのない一般人だと思うのですが。
つまり件の「流行語」はそれをもじったもののわけです。今まで乱用していた「オタク界のトップ」「表現の自由クラスタ」と、実のところほとんど同じような意味あいの言葉ではあるのですが、「サブカル君」同様、「ぼくたちとは実際には違う価値観の下に行動している連中だろ」といった揶揄が含まれています。
いえ、実際には彼らの多くはぼくなんかの十倍くらいは今のアニメを観ている、「真のオタク」なのかも知れません。しかし彼らの価値観は(まさに、稲田師匠が証明したように)オタク文化を否定するものそのものであるとしか言いようがない。ならばそれは「自分をオタクと思い込んでいるだけの、単なる頑迷なリベラル」ではないのか……?
――さて、本稿のみならず、当ブログでは今年の一年を通して「フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか」という問いについて考え続けてきた、といっても過言ではありません。
しかしその答えは、実のところ大変に簡単なものであって、それは「両者とも、近代的個人主義社会においてこそ誕生し得た双子であるから」ということにでもなりそうです。
だから当然、その要求はバッティングして当たり前である、ということは何度も指摘してきました。しかし、オタク第一世代までは“他者に帰依するのが男”という性役割意識が生きていた。そのため、その世代のオタク男子たちはフェミニズムに帰依することで自分を殺しました。
これは、「仕事」を「食うために、家族を養うために、やむなくなさねばならない苦役」としてこなしていた男性と、それを「自己実現の手段」と解釈し、男性たちが作り上げた道を通り始めた女性という「ジェンダー格差」と実のところ「完全に一致」している。
また、そうした上の世代の多くはオタク界でそれなりに力を持っていたがため、ある種「女を甘えさせる甲斐性があった」、まさしく「オタク界のトップ」であった、ということもその理由として大きそうです。それはつまり、「オタク文化」は草食的なモノだが、第一世代にはまだ肉食的、「サブカル」的価値観を内面化していた、タイムラグがあったのではないか、ということですね。
しかし、そのボロがさすがに出始めたのです。
「オタク文化」が史上初めて、その辺のどうでもいい男の子が自らの内面を紙にぶつけることで表現し、それが市場性を得たことそのものであること、それよりも世代を遡るサブカルが他者の価値観をありがたく受け入れる「他者指向」そのものであることも、今まで指摘してきました*8。それに加え経済的事情も絡み、オタクはこれ以上、他者のエゴを受け止めるだけの余力を、失ってしまったのです。結婚して女を養うよりは自分の趣味にカネを投じるというセレクトをする者が増えてきたのは、そういうわけです。
自分自身のエゴには忠実でも、それに対しての内省を持ち得ないのがフェミニズムであるのに対し、自分のエゴ(を率直に紙にぶつけるがため、そのこと)に自覚的であったのがオタクであると言えます。その意味で、近年、「我こそはオタクという名の弱者なり!」とやたらと喧しく主張を始めた「彼ら」もまた、本当はオタクではなく、少し前までオタクをdisりながら近年、急にすり寄りだした「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」がその正体なのでは……という気もしてしまうのです。
リベラル君とフェミニストは単に同じ星からやってきた侵略宇宙人であり、横の連携が取れていないために、下っ端が現場でもめているだけの存在でした。
リベラル君が「ネオリブ」といった非実在フェミを大慌てで振りかざしてみせたのは、何とかフェミニズムを延命させる必要があってのことでした。彼ら彼女らは現場での小競りあいはあっても、ボス同士はがっちり手を結んでいるのですから。オタク文化人たちが盛んに語る言説に「ミソジニー」だの「ホモソーシャル」だのといったラディカルフェミニズムの影響が濃厚なのは、その証拠です。
そこで「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」たちは「ツイフェミ」を、そして北原師匠たちを次々と仮想敵として設定し、手下の目をそこに引きつけておいて、自分たちは相も変わらずフェミニストたちとデートを続けているのです。今年ぼくが取り上げてきた諸作は、まさにそうした彼ら彼女らのデート現場の生中継であったのです。
*8「サブカルがまたオタクを攻撃してきた件 ――その2 オタク差別、男性差別許すまじ! でも…?」
今年も1年間お疲れ様でした、兵頭さん。
私事に追われて中々コメントできずにすんません。
いやはや、それにしても「ネオリブ」「サブカル」「リベラル」「真のフェミ」…よっくもまぁここまで自分を取り繕える言葉を編み出せるもんだわ…
私的に今年は北原・香山両女史の格(ネタ的な意味で)がより低くなったと感じた一年でした。
あ、KTB兄者は一層のとち狂いっぷりが加速しているのにつまらなくて草も生えません(『せんずり村』を楽しいとか言う癖に楽しませてくれる存在をリスペクトしない女史らと同じになりたくないのでこういう表現でww)
今回のランキングで2位まで挙げられた方々はどいつもこいつも「フェミもリベラルも本当はオタクや弱者男性の味方なんだよ」という戯言から「腐女子はミソジナスな社会への先駆的抵抗者」「オタクや弱者男性こそが諸悪の根源」というご立派ぁ!な正論もあって、おまけに前者後者で言い争いをしている様はクソ茶番としか言えません。
いやね、これ本当にクソ茶番ですわ。
そういえば、元電通ガールでセクハラ告発プロジェクト「me too」を広めたはあちゅう女史なる人物が過去の童貞いじりで吊るし上げ食らってましたね、本人やその支援者は「セクハラと性経験の無い男性を罵ることは違う!」とか宣っておりましたが…兵頭さんの仰る通り「サブカル」も「ネオリブ」も「真のフェミ」も正に彼女の様なメンタリティなんでしょうねぇ。
兎にも角にも、今年もお疲れ様でした。どうかよいお年をお迎えくださいませorz
コメントありがとうございます(^^
>…よっくもまぁここまで自分を取り繕える言葉を編み出せるもんだわ…
近年は「ツイフェミは家父長制的」とか言い出してますね。
さすがにムリヤリ過ぎて、一度は廃れた「ウヨフェミ」という概念、またぞろ持ち出してくるんじゃないかなあ。身内の不祥事は実は全て右の陰謀というのが、彼ら彼女らの世界観ですから。
>おまけに前者後者で言い争いをしている様はクソ茶番としか言えません。
こっちから見ていると、本当に「敵メカの中でのドロンボーの言い争い」にしか見えないんですけどね。あそこまで「ネオリブ」とやらがオタクの味方なのに、「オタクの中の人物」こそがオタク文化を否定し抜いているのは、見ていて滑稽です。
はあちゅう師匠についてはいまだよくわかってないです。
どうも「騒がれた話題には飛びつくのに躊躇する」という悪癖があるようで、むしろ真っ先に飛びつくべきなんでしょうが。
それでは、2017年もあと一時間です。
よいお年を。