皆様、もういい加減飽きていらっしゃるでしょうが、この本についてです。
今回、大変驚くべき事実が判明しました。
ミルトン・ダイヤモンド博士が「ジェンダーフリー」に賛成していないということが、はっきりと実証されたのです。
「何をバカな」とおっしゃる?
それではじっくり見ていきましょう。
詳しくは前回、前々回、前々々回の記事を見ていただきたいのですが、本書において、またご自身のブログにおいて、小山エミ師匠はミルトン・ダイヤモンド博士と連絡を取り、彼はジェンダーフリー賛成派だ、との言質を得たとの報告をなさっています。
事実、ダイヤモンド博士は一時期、ジョン・マネーのジェンダー論のウソを暴いた人物として、日本の保守派の反フェミニズム論に担ぎ出されていましたが、この辺りをきっかけに保守派も彼の名を出すことがなくなっていったように思います(と言うか、保守派のジェンダーフリー批判、フェミニズム批判自体が目立たなくなった感があります。ぼくが無知なだけで今もさかんになされているのかも知れませんが)。
さて、実はその時のメールは、小山師匠ご自身がブログで紹介なさっています。
正確には、保守派記者の山本彰氏がダイヤモンド博士にラブコールのメールを出し、博士が「ごめんなさい」メールを返した。
その「ごめんなさい」メールを小山師匠が(博士の許可を得て)公表した、という経緯です。
何しろ英文ですし、ぼくもその全文を細かく当たったわけではありません。
しかし小山師匠自身がそのメールの解説をブログに上げていらっしゃいます(http://macska.org/article/111)(http://macska.org/article/112)ので、それを見ていくことにしましょう。
まずは最初のエントリです。
なるほど、文面を見れば確かにダイヤモンド博士は
基本的に、わたしはジェンダーフリーの考えを支持している。
とおっしゃっている。小山師匠が文章を捏造していない限り、英文でも
Basically I do support gender-free ideas.
と書かれています。
何が「ダイヤモンドはジェンダーフリー派じゃない」だ!!
はっきりとジェンフリ派だと明言しているじゃないか!!
【メシウマ速報】兵頭新児、中一レベルの英語も読めずwwwwwwwwwww
いやいや、そうでしょうか。
前にも書いたようにそもそも「ジェンフリ」自体が向こうで浸透した言葉とは言い難い。
一体、このgender-freeという言葉を、ダイヤモンド博士はどう捉えているのでしょうか?
先に進みましょう。
ダイヤモンド博士はこうおっしゃいます。
あなたに話した通り、わたしは人々はみんな可能な限り自分の望む通りに学び成長する広い機会を持つべきだと思っているよ。わたしはたしかに男性と女性は生物学的にやや違っていると思うけれど、どの個人がどういった教育や機会を活用できるかなんて誰にも分からないのだから、全ての人が同等の機会を与えられ、対等に扱われるべきだと信じている。それぞれの男性なり女性が個人として自分にふさわしい居場所を見つけられるチャンスを与えられるべきだ。
これをして、小山師匠は
ここを読めばどう転んでもダイアモンド氏が保守派が望んでいたような「反ジェンダーフリー」「反フェミニズム」の立場を支持する論者でないのは明々白々だ。
と勝ち鬨を上げられるのですが……果たして博士が支持した考え方を、一般的に見て「ジェンダーフリー」と呼べるでしょうか?
いや、仮にここでダイヤモンド博士が定義づけたものを「ジェンダーフリー」とするならば、これに反対する保守派ってどれだけいるんでしょう?
つまりここでダイヤモンド博士を「ジェンダーフリー支持者」とすると、日本の保守派のかなり大部分までが、やはり「ジェンダーフリー支持者」であるというフェミニストには絶対認めがたい事態に、どうしたってなってしまうわけですw
ぼくは先日、前回記事のコメント欄でまさにこのダイヤモンド博士の「ジェンダーフリー支持発言」について、
結局「ジェンダーフリー」の定義が千変万化しちゃってることと、「男女平等」という程度の意味あいだと強弁されちゃうと、言い返せなくなっちゃうことですね。
と危惧しました。
それがまんまと的中してしまっているように、ぼくには思われます。
(ただし後に述べるような理由で、山本氏が反対している男子生徒、女子生徒の呼称を「さん」で統一する問題について、ダイヤモンド博士は「いいじゃん」と肯定しているなど、当然両者のスタンスに違いは見られます)
二つ目のエントリでは、小山師匠は「差異の政治学」が発表されたのが1997年であるから、上野師匠が「双子の症例」の失敗を知らなくても仕方ない、と居直っていますが、当ブログでも指摘した通り、2002年に出た単行本では訂正の機会があるのだから、これも無意味な言いがかりです(もっとも小山師匠が繰り返す通り、2002年版では「極めて消極的な訂正」と思しき記述が加筆されてはいます)。
以下、山本氏へのツッコミが延々と続きます。
その中には単純なミスの指摘など、恐らく正しいのだろうと思われる部分も多々あるのですが、まあそこはいいでしょう(ただしメールの中でダイヤモンド博士は「かつてアメリカでは台風に男性名がつけられていた」と言ってるんだけど……これ、「女性名」の間違いじゃないのか?)。
見ていくと、小山師匠の文章は非常に不誠実に感じられます。
例えば山本氏は、日本におけるジェンダーフリー教育の一例として、お役所主導で「ひな祭り」や「男児に男性的な名前」をつけることなどに異議を唱えるパンフレットを配っていたことを批判します。これに対して小山師匠は「押しつけ」ではなく「問題提起」だからいいじゃんと開き直り、ダイヤモンド博士の
男の子の祝日と女の子の祝日を対等に祝うことは、わたしから見れば害のない慣習だと思う。しかし、女の子の中には兜やその他男の子の祝日に関係したプレゼントを欲しがる人もいるだろうから、それは認めるべきだ。男の子が人形を欲しがった場合も、同じように認められるべきだ。
とのコメントを「自分たちと同じスタンスである」と牽強付会します。
山本氏含め、保守派の人に幼い娘さんがいるとして、『プリキュア』を見せていないとは、ぼくには思われないのですが。
(言っておきますが、面倒なので元のパンフなんて確認していませんよ。小山師匠の自己申告を読んでそれでもなお、小山師匠の言い分は極めて欺瞞があると、判断せざるを得ないのです)。
エントリの後半では、ダイヤモンド博士が答えを濁している、との記述が多くなります。むしろ山本氏は後半でこそ、日本のヌエックや内閣府など行政側の組織がマネーの後天説に基づいたジェンダー観を持っていることについてなど、重要な質問を行っているのですが。
ここはどうも、一度上野師匠を批判したことをフェミニストに騒がれて懲りたのか、日本の国まで敵に回したくないのか、(或いはまた単に長文メールに「三行で頼む」な気分になっていたのか)いささいかダイヤモンド博士側も不誠実な対応のように思います。
小山師匠が訳した一文が象徴的で、ダイヤモンド博士は
ここ米国でも日本でもフェミニストたちが双子の症例をどのように利用しているのかわたしには全く検討も付かないよ。
と答えています。何だかやっぱり、イデオロギー闘争に巻き込まれてイヤになっている、という感じが、しないでもありません。
小山師匠の言う「ダイヤモンド博士の、親ジェンダーフリー発言」、いかが感じられたでしょうか。
極めて象徴的なことですが、(上の画像にはありませんが)『バックラッシュ!』の帯には「男女平等で何が悪い!」と大書されていました。
繰り返しになりますが、保守派もほとんどは「男女平等は悪だ」などとは言わないことでしょう。ただ、「ジェンダーフリー」と「男女平等」は違うぞ、と言っているだけです。
しかしその両者を混同し、「こいつらは男女平等に異を唱えるレイシストだ!!」と叫ぶことで、一体どれだけの発言を沈黙させることができるのか……こうしてアメリカの大科学者の対応を見るに、フェミニストたちがいかなる手法で自分たちの主張を通してきたかが今回、仄見えているのではないでしょうか?
コメント
コメントを書くSKYLINE様の意見について。
ご覧の通り、フェミニズムの本質は言葉の定義を千変万化させ、恣意的な使用法を使い分けて相手を幻惑する、一種の忍術であると言えます。
この忍術はムツカシイ言葉で、「循環論法」と言われたりします。
「相手は悪者だ」→「悪者ではない、何となれば…」→「それはおかしい、何となれば私が最初に言ったように、そいつは悪者だからだ」
このループに相手を陥らせ、相手を二度と通常空間に戻せなくする、科学的に言うと時空不連続体を利用した忍術なのですね。
あまりにも巧妙な忍法であるがため、相手にはその詐術が見抜かれていても、ご本人は一切気づいていない、というのが普通だったりします。
素晴らしいですね。
>>6
相変わらずの詭弁振り。
誤魔化して書いてるけど「(山本彰は)悪者ではない、何となれば」の「何となれば」の部分が
「ダイアモンド氏のいうジェンダーフリーは男女平等、位の意味で、これには山本氏も反対しないと"僕は思うからだ"」であって全然論証になっていない。
論証になっていないどころか文脈から明らかに山本氏は〈ダイアモンド氏の言うジェンダーフリー〉に反対している、と言っているのが>>4。
で、いつもの通りこちらの質問には何も答えられない、と。
まあ、つまんない煽り文考えているうちに"忘れちゃった"んだろうな。
結局、「"よくわからないけど"僕はこう"思います"」というチラ裏レベルの作文しか書けないのが兵頭なわけだ。
でもまあ、そもそもネット上に跋扈するジェンダーフリーバッシャー達は「ジェンダーフリー=男と女同じ部屋で着替えさせまくりうらやまけしからん」論
なんてのを信じちゃうような連中で、つまり事実確認どころか一次ソースの確認さえしないような輩だからな。
自分の信仰を補強してくれるものでさえあればこんなんでも全然かまわないんだろう。
>>5
返信ありがとうございます。
逃げるしかない、というのは非常に残念ですね。
実妹がいる方や、女性と言い争いになったことがある方は経験があると思いますが、こちらが正論で言い負かしてもなにも得るものがないんですよね。「女を言い負かして恥ずかしくないの?」という感じになってしまいますから。
真正面から相手を同格として真剣に対峙するのが、必ずしもよい訳ではなく、ある程度相手が小児的衝動で動いていると見越して相手しないとならない場合があります。勿論、聡明な女性もいらっしゃいますが……
フェミの方々との論争にはそれと似た無情感が感じられます。「勝った……だが虚しい」というか、俺何こんなのととマジになっているんだろう……という。でも、逃げうつと相手としては勝ちなわけで……打つ手なし。私としてはその辺の「良い手」を期待しての質問でした。
女性が男性社会で活躍するというのは、個人においては尊重しますが、集団及び全体に対しては全く否と考えています。何故なら、集団の彼女らは男性の楽な部分と、女性の楽な部分のいいとこ取りにか興味がないからです。
女性ならでは不利は勿論ありますが、逆に女性ならではの有利もあります。それを平等によって捨てる覚悟を全く感じられない。それは先のコラムで徴兵の件の話でも感じられました。
私はある意味マチズモ的思考の持ち主です。男とは男らしいのが一番と考えています。ですので、同時に女は女らしくが一番とも考えています。つまりフェミの敵です。
男らしさには「自ら進んで損を被って耐え、かつ平気そうな顔して見返りを求めない強さ」という側面があると思います。カビの生えた古臭い非常に損な美学です。誰でも(勿論私も)常にそうするのは無理がある考えで、悪意に対しては良い食い物ですが、故にこそ尊敬できるものだと考えています。
これが受け取る側に謙虚さと感謝があるうちは非常に好ましく機能しえるのですが、受け取る側にそれを要求する浅ましさが発露すると、もともと非常に損な考えであるだけに、途端に男性に負担を強いるものに変化します。いわゆる「男のくせに」です。
お互いの優しさと、感謝がトレドードされて初めて成り立つ概念であることを忘れているのではないかな、とこの手の男女論争のたびにいつも思います。優しさだけ求めるならば、これもう侵略行為と変わりませんよ。
フェミの方々の主張には男女平等を掲げながらも、この「男の癖に」がその裏側に……というか、ぶっちゃけ根底にあるきがしてなりません。つまり「女性はもっと幅広く自由で、強くあるべき。いや事実強い。しかし可愛がられ大事にされる権利がある。何故なら女性は弱いから」という考えです。これには整合性や合理性を差し挟む余地はなく、挟んだ瞬間バキバキへし折る正気を疑う主張です。強いの?弱いの?という。そもそも「女性は強い」って主張は一時の優越感以外に当の女性に得るものがあるのでしょうか? 強いならそれに見合ったリスクを受けなければならない筈です。少なくとも、今までの彼女らが男性に対してした主張を覚えているならば。
最後に私の誤解であってほしいのですが、文壇の世界では、容易に日本語で表現しえることを一般的に使わないカタカナ英語で代用してみたり、aかbか?という問いに応えることなくどうにかこうにかして逆に質問する立場にたったり、過去にした応答の整合性をうやむやにしたり、兎に角分かりづらくしたりというテクニックが冴え渡っているほど高等で、正統派なのでしょうか?(兵頭氏のことをいっているわけではありません。念のため)
なんというか、御高尚な文ほど高度な読解力と寛容さを求めているようにしか見えず、分かりやすさという点は唾棄すべき低俗なもの、というスタンスで書いてるのかなのかなぁ……という風に見えるんですが、どうでしょうか?私の誤解であって欲しいのですが。
>でも、逃げうつと相手としては勝ちなわけで……打つ手なし。私としてはその辺の「良い手」を期待しての質問でした。
例えばツイッターなどを見てもここでのSKYLINE様のご意見に「これ、おかしいよな」とつぶやいている方がいました。
「本人」に勝つことは永久に不可能ですが、賛同者を増やすという意味での勝利は可能かと思います。
(あくまで想像ですが、田嶋陽子師匠がテレビに出ていなかったら、フェミニズムの歴史もかなり違ったものになっていたのではないでしょうか)
むろん、このブログにどれだけの閲覧者がいるか、という話でもあるのですが、ある種の「公の場」で議論をすることは大事だと思います。
>女性が男性社会で活躍するというのは、個人においては尊重しますが、集団及び全体に対しては全く否と考えています。
そうですね。
今回のコメントの後半でのご意見は、結構保守的かと思います。男/女らしさは重要だ、といったお考えなどを示されていますし。しかし恐らくsabahito様も個々のキャリア志向の女性、或いは女装趣味の男性を指して「あんなヤツはダメだ」とはおっしゃらないと思います。
つまり、今回採り上げた小山師匠の主張が正しいなら、ダイヤモンド博士のみならずsabahito様もぼくも、恐らく多くの保守派も「ジェンダーフリー賛成派」なわけです。
が、フェミニストたちはそうした現実を見ようとせず、「バックラッシュ派」だと言い立てる。
それは彼女らが「ジェンダーフリー」という概念に込めた真意が、「もっと恐ろしいものの片鱗」であるからに、他なりません。
結局、「みんな自由に、そして公平に」ではキャリア志向の女性が増えないことを、フェミニストは誰よりもよく知っているから、ある種の「強制」をもって自分たちの理想の実現を図っているわけです。
>最後に私の誤解であってほしいのですが、文壇の世界では、
学者さんたちの世界ではハタから見れば同じことを「いや俺の考えが正しい」とお互いに譲らず言いあう傾向がありますからね。「男性差別」という言葉が嫌いだと言って「女災」なんて言葉を考え出したバカもいますw
ただ、そこにそれなりの必然性があるとしたら、それは仕方ないとも思えます。
「何だかムツカシイ言葉」を言ったもん勝ちという、「ポストモダン」などという分野もあって、これはフェミニズムと関係が深いのですがw
ただ、「仕方ない」は「仕方ない」でもそれが一般人との溝を作っているのも事実です、
フェミニズムは象牙の塔で生まれた謎の概念を振り回しては「知らないお前が情弱」「エラい人が本で言ったのにお前が知らないだけ」と言うのが得意ですが、まあこれは学問ではなく宗教なので……。
>>9 兵頭様
本論を拝見して、「やっぱりなあ」と思いました。
やっぱりダイヤモンド氏は、日本のジェンダーフリー教育の実態についてはよく知らなかった。知らないままジェンダーフリーを「男女の機会均等」程度の軽い意味合いで捉えて賛成している。これじゃ駄目でしょう。
保守派が集めた日本のジェンダーフリー教育の事例、例えば男女混合の体育をやっていたとか、男女混交で妊婦の出産映像を見せたとか、ジェンダーチェックと称してひな祭りや端午の節句まで禁止しようとしたとか、そういった現実を知ったら、果たしてダイヤモンド氏は賛成したでしょうか。
まあ外国の博士に日本の教育現場を知悉しろというのも無理な注文ですし、博士の無知を責めても仕方ないんですが。
でもこの場合もフェミニストの不誠実さは透けて見えますね。上記のようなジェンダーフリー教育の実態を、知らないのか意図的に無視してるのか、ことさら軽く見て等閑視したがりますからね。小山師匠のように「問題提起だ」と言ってみたり、「本来のジェンダーフリーは違うから」と逃げたり(そのわりにジェンフリ教育への批判には噛みつくというのが謎ですが)。どっかの誰かさんは「それは妄想だ!」と噴飯ものの、それこそ根拠ゼロの妄想発言までしてましたね。子供が関係なければ爆笑してるところです。
そして彼女らはジェンダーフリー批判に対して的外れな反論をする一方、理論的・根本的な批判――性自認もジェンダーも先天的な性差によって規定され、それをもと(型)にして発達する。生得的性差とジェンダーは切り離す事ができず、無理に性差を否定するような教育を行ないジェンダーを歪めれば子供の心の発達に重大な障害を及ぼし得るという批判――にはまったく応じていません。彼女らにとっては自らのイデオロギーが大事で、子供の心や健康な成長などどうでもいいのでしょう。
結局フェミニストというのは政府の力を使って強権的に特定のイデオロギーを人々に押し付ける反民主主義者で、子供の心を無神経に弄ぶ連中だというのがジェンフリ絡みの騒動で明らかになったように思います。
正直、『バックラッシュ!』出版以降、保守側の攻勢が弱まったので、「言い負かされた」のだと思っておりました。前回記事で聞いた通り、恐らく保守側にもフライングがあり、そこを突かれて言い淀んでしまったのかと。
が、フェミニスト側の主張は見ていくと本当にその場限りの言い逃れが多く、それにツッコミを入れないというのは、ちょっと保守派もだらしないですね。
>結局フェミニストというのは政府の力を使って強権的に特定のイデオロギーを人々に押し付ける反民主主義者で、子供の心を無神経に弄ぶ連中だというのがジェンフリ絡みの騒動で明らかになったように思います。
これは小山師匠の「問題提起だ」という物言いが象徴しているように思います。
あまりにも非現実的なルサンチマン、不遇感を抱きすぎているがため、自分たちがいかなる力を握り、それを行使しているかわからず、「問題提起だからいいじゃん」と素朴に考えている。
ただ、
>どっかの誰かさんは「それは妄想だ!」と噴飯ものの、それこそ根拠ゼロの妄想発言までしてましたね。子供が関係なければ爆笑してるところです。
これは何のことでしたっけ?
(まあフェミニストの言うことは九割方当てはまりそうですが……)
兵頭「ダイヤモンド博士のみならずsabahito様もぼくも、恐らく多くの保守派も『ジェンダーフリー賛成派』なわけです」
ところがどっこい‥‥‥‥それは妄想‥‥‥‥! 現実です‥‥‥! これが現実‥!
ミルトン・ダイアモンド
「男とは、女とは、こうあるべきだといった自分の好みを他人に押し付ける権利は、何人といえども持っていない」
林道義
「男子を男らしく、女子を女らしく育てないと、カップルを作ることもできなかったり、性行動を取ることもできなくなる恐れがある。とくに男子の場合には、心理的に去勢されてしまい、男性の本能行動にとって必要な積極性を失ってしまう者が出てくる可能性がある。」(http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/femi6-6.html)
渡部 昇一
「男は男らしく 女は女らしく 」(自身の著書)
八木秀次
「(高校生の意識調査で『男は男らしく、女は女らしくすべきだ』という設問に賛成した人数が少なかった件について)国の教育全体が他国と比べても特別に病んでいるのである。そして、その結果、今、新しいタイプの「日本人」が生まれようとしている。私たちはその恐るべき実態を目の当たりにしている。」(http://www.tsukurukai.com/15_web_voice/webvoice_vol08.html)
西尾幹ニ
「人間の幸福は男が女を愛し、女が男を愛するということで成り立っていて、これは万古不易なのです。ジェンダーフリーの思想は、女としての幸福が得られない女の主張なのです。」
「オカマ夫婦は絶対にあってはいけない家族だということを申し上げておきます。」(『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』)
兵頭新児
「ブレンダ少年の例を見てもわかるように、『環境要因が不適切だと、性自認が混乱する』、だから『男の子は男に』育てるべき、ということです。ぼくもそれ(林道義)と同じ意見ですね。」
あと、兵頭のダブスタ性はともかく、ブレンダ少年の例って女性として育てられた"にも拘らず"、自分を男だと認識していたのがポイントであって、性自認は混乱してなくないか?
>>11 兵頭様
>>正直、『バックラッシュ!』出版以降、保守側の攻勢が弱まったので、「言い負かされた」のだと思っておりました。
どうなんですかね。自分も保守派の論客の発言をちゃんと追ってるわけではないんでよく知らないんですが、一方で政府がジェンダーフリーを否定し、男女共参とは無関係と答弁していたり(この辺の事は林道義氏のHP上でも確認できます)、保守派や保護者、教育関係者の訴えで過激なジェンダーフリー教育が一部見直されたりもしているようです。してみると保守派の主張は一定の成果を挙げ、他方フェミ勢力は後退を余儀なくされたと見てもいい気もします。
政治的にはジェンダーフリー派は劣勢なのでは、というのが自分の見立てです。学術的には全面敗北ですが。
>>これは何のことでしたっけ?
ああ、それはSKYLINEの事です(笑)
なるほど、「政治的には比較的勝利した」って視点は全く欠落しておりました。本当に自分の関心事にしか目が行かないもので。
上野師匠もどっかの地方自治体に後援会を頼まれたのに、保守派に騒がれてドタキャン、といった事態がありましたし。
でも彼女らはそういうのを本にまとめて「体制側の圧力ガー」って言っちゃうんで、どうしても「言い返してやれよ」って思っちゃうんですね。
でもそれも山本氏や八木氏にしてみれば「いや、お前がSKYLINE嬢をシカトしてるのといっしょだし」と言いたいところかも知れません。
>ああ、それはSKYLINEの事です(笑)
何しろ小山師匠の欺瞞に気づきもせず、こっちに進言してくれるくらいですから。
実はこっちの味方なんじゃないですかw
>>16
"シカト"といえば南日本新聞が追跡取材を行った結果「男女同室着替えなんてものは確認できなかった」と報じられたとき、八木氏が「いや、世界日報の取材ではあったのだからあったのだ」と異なる報道があったのに結論を保留することさえせず、世界日報のほうが正しいのだと強弁したことがあったな。
http://blog.livedoor.jp/suruke/archives/17335186.html
この態度はこちらの質問を無視し続けた挙句に「あなたが何を聞いてたのか忘れちゃった」などという伝説のおもしと発言をかました兵頭やお前の主張の根拠を示せ、といわれて一方的に勝利宣言をして逃亡したaaのそれとパラレルだ。
蓋し、「都合の悪いものは見えないアイ」というのはこの手の連中に共通する資質なのだろう。