再録です。
前回の田中東子師匠の時に言及した書ですが、記事の初出は2017年11月23日。もう七年前です。本そのものが出た直後の記事なので、本の出版も大体この頃。
少々、わかりにくい箇所は加筆を加えておりますので、初出とは異なる点があることをご了承ください。では、そういうことで。
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本書は北原みのり、香山リカ両師匠の対談本。その時点で読まずともお察しではあるのですが、それにしても本書の出版はぼくの目にはそれなりの衝撃をもって映りました。というのも、この「フェミニストvsオタク」という対立構造はネット社会では周知のものでも、リアル社会で言及されるようなことではありませんでしたから。
だから一応はオタク側の批判に対してフェミニストがいかなる反論を試みているかについて、多少の期待を持って本書を開いたのですが……残念ですが、その期待は叶えられることはありませんでした。
読んでいくとオタクについての話題はほとんどナシ。
全体の一割もないでしょう。5%あったかなあ……という程度です。
その他は旧態依然としたアラフィフフェミニストの十年一日のごときだらだらしゃべり。こうしたモノでも本になり、懐が潤うのですから、本当にフェミニスト様は特権階級であらせられますなあ!
何にせよタイトル詐欺の批判は免れませんし、「どう形にすんだ、これ!?」な素材を敏腕編集者がキャッチーなタイトルでまとめた、みたいな舞台裏を想像したくもなります。
まあ、そんなこんなで、ネガティブな意味での期待をも外してくれた本書、お二人の思想的スタンスを考えれば容易に想像のつくとおりヘイトスピーチがどう、C.R.A.C.がこうと言った話題も盛んに登場します(言うまでもなく野間さん全肯定です)。下手をすると「オタク」より「ネトウヨ」というワードの方が頻出しているかも知れません。ただし、その両者を接続する言説は、残念なことにどこにもない。二人がその両者について、心の底から何の関係もないと考えているのならともかく、そうでないなら(そうでないとする証拠もないのですが)極めて不誠実というか、片手落ちです。「オタクvsフェミ」という問題にがっぷり四つに組む覚悟があるなら、ここ(「ネトウヨ≒オタク論」とでも称するべき左派の中の通説)は大変に重要なはずだからです。
さて、そんなわけで正直、本書についてはどうアプローチするか迷っているのですが、ここは一応、表題になっている「オタクvsフェミ」をメインに、紹介していくことにしましょう。
本書では北原師匠によるまえがきから宮崎事件について語られ、オタクについての話題の半分くらいはこの事件についてに費やされております。
既に海燕師匠の指摘があちこちに流布されており*1、ご存知の方も多いことでしょうが、ここで北原香山両師匠は「宮崎勤はオタク文化を誕生させたカルチャースター」とでも言うべき捉え方をしており、その無茶苦茶さが批判されたのです。
が、敢えて師匠らの立場に立って言うならば、彼女らの言は「幼女を性的対象として消費する文化が大手を振ってまかり通るようになるなんておかしい!」ということに尽きます。「宮崎がそうした文化を産んだわけではないけれども、この時に、文化人が「表現の自由」を錦の御旗に論陣を張った。それがオタク文化の隆盛に一役買った。ある意味、宮崎は間接的功労者とでもいうべき人物だ」。師匠らの言いたいことをなるべく彼女らの親身になって翻訳するならば、まあ、こんなところになるのではないでしょうか。
もちろん、それがどこまで正しいかは疑問です。別にこの時に表現全体が大幅にフリーダムになったわけではないでしょう。「今までは考えもしなかった表現が、この時期に出て来た」だけのことです。いや、美少女コミックの黎明期は80年代ですが、広がって行ったのが90年代という見方は、それほど外していないはず。そう考えると、これは構造としてはむしろブルセラに近い。まさか女子高生が自主的にそんなことをするとは、という。ご存じない方もいるかも知れませんが、この当時、女子高生が使用済みのブルマーやセーラー服、下着を売ると言うことが流行ったのです。ヘアヌードや援助交際(つまり、今で言うパパ活ですね)もこの頃に出て来た「まさか」でしたが、ブルセラがそれら以上にトリッキーなのは、使用済み下着というエロのカテゴリに入れにくい、今まで思ってもみなかったようなものが商品化されたという意外性です。エロ漫画にしたって、まさかアダルトビデオなどが普及してそれほどタイムラグもないというのに、二次元の美少女の方がリアルよりいいと言われるとは、予想外だったはずでしょうから(そしてまた、ロリコン的表現それ自体が今までは知られておらず、これまた意外だったはずです)。
これらはつまり宗教的縛りもない日本において、村社会的共同体意識が解体されて、リベラルな考え方のみが専ら正義とされ、道徳心がストッパーにならず云々……みたいなことこそが原因であり、上の諸現象はその結果として立ち現れたと見るべきなんですね。
そして、そうしたストッパーの解除を積極的に行ってきたのは専ら左派です。若い方にはご存じない方もいらっしゃるかも知れませんが宮台真司師匠は90年代、上のブルセラなどを語り、それを肯定(と断言するのも乱暴ですが、ここでは細かいことは措きます)することで世に出た人物でした。
端的に言えば、これら現象とフェミとのバトルは、左派、言ってみれば個人のエゴをスタート地点とする思想の、自己主張同士のバッティングというどこにでもある、敢えて言えば「ただのケンカ」でしかありません。要するに、彼女らの敵は宮台真司なのです。実際、本書では宮台師匠についても否定的に言及されています。
いずれにせよ、両師匠の発言は事実を踏まえているとは言い難いのですが、当時は美少女コミックが成年マークもつけずに売られておりましたし、現代でも『To LOVEる』とかはまあ、子供が読めるのはどうかなあ……と思います。その意味で、言い分には5%くらいは賛成できるわけです。コンビニの成人雑誌も「子供に見せるべきではない」という主張はわかるので(本書もその旨が書かれています)、ゾーニングせよというのであれば、大いに賛成できます。
しかしもちろん、フェミニストは「それだけでは足りぬ、ポルノは根絶せよ」と主張する。そしてまた表現の自由クラスタも「ゾーニングはまかりならぬ、子供からエロ本を奪うな」と主張する。両者はぼくの目から見れば、「何か、ワンイシューな正義の御旗を振りかざす似たもの同士」に見えてしまうんですね。本書はオタク文化を客寄せに掲げているが、本丸は別のところにあると表現すべき内容でしたが、それを言えば「彼ら」のやっていることもまた……。
*1「北原みのり『フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか』の論があまりに酷い【歴史修正主義】(11/20追加)」(https://togetter.com/li/1805833)
さて、宮崎事件(という、今時フェミニストと表現の自由クラスタと大塚英志以外には誰も興味関心を持っている者がいなさそうなトピック)以外で、本書で語られるオタク関連の話題となると、やはり碧志摩メグになるでしょうか。
ただ、トピックが変わっただけで、言っていることは別段変わりません。
逆に言えば、その変わらなさが彼女らのダメさを示してもいるのですが。
香山 たとえばアメコミではグラマラスな格好良い女が出てくる一方で、日本のアニメは幼女が活躍するものばかり。欧米では年を取った女性もオシャレで派手な服も着るし、男性もパートナーとして女性を大事にしている。それに比べて日本は若い女ばかり追い求める。
(112p)
本書では「萌え美少女」が終止「幼女」と表現されます。果たして何歳までを「幼女」と呼ぶのか、別に定義などは存在しないでしょうが、碧志摩メグは「幼女」ではないでしょう。上の言葉も碧志摩メグ自身を「幼女」と明言しているわけではありませんが(そうした箇所はなかったかとは思いますが)、文脈としては碧志摩メグ(や、会田誠やAKB)の話題に続いて出てきた箇所です。これ以降も話題はおニャン子クラブへとつながり、「セーラー服に興味を持つこと」が断罪されています。
ご存知の通り、碧志摩メグについてはその胸の表現こそが云々されました。本書でも、両師匠がそこをこそ問題にしているのです。
北原 こういう萌えキャラって、骨格よりもむしろスカートのシワや乳房の膨らみを表現する影で体を表現している。どれだけエロティックな皺や影を描けるかが肝なんでしょうね。
香山 この、ヒモをほどくような手がツヤ感ですね。
(104p)
「胸もない幼女を好むとは異常だ」ではなく、「少女の胸が強調されている絵を好むとはけしからぬ」との言い分です。つまり、「幼い子供を性の対象にするとは許せぬ」という主張はタテマエで、彼女らが本当に憎悪しているのは「ごく一般的な男性の好み」という他はない。
もちろん、「ごく一般的な男性の好み」を全否定することがフェミニストの使命であることは、当ブログの読者のみなさんには周知のことだと思うのですが、こうなると師匠らはそのためにオタクをダシにした」と言われても仕方がないわけです。
香山 私、碧志摩メグもうな子*2も、大学の授業で触れたんです。女子学生でも、うな子のほうは「こんなのよくある、なんでダメなんですか」という感じで、メグのほうは「かわいい。私も好き」と言うんです。「あなたが男性の欲望の対象になったらどう思いますか」と聞くと、「私はこんなことしない」と。同じ女だからどうにかしなきゃっていう発想もあまりないんです。
(120p)
いやはや、女子が碧志摩メグを見て「かわいい」と思うことはまかりならん。むしろ見た瞬間、「同じ女だからどうにかしなきゃ」と思わねばならないそうです(どうにかって何をどうするんだ?)。
香山 (前略)「でも彼女たちは男の人の欲望の対象なんじゃないの?」と言うと、「そんな言い方しなくても良いと思います!」とか言って。
北原 こっちの見方が汚いと思われるんですよね。
香山 そうなんです。それで、「可愛いし服も参考になるし」なんて言っている。
北原 AKBがエロに見えないのも、この行政の萌えキャラがエロに見えないのも、どれだけ日常が悲惨でエロが溢れているかという証拠だと思うんですよね。
(123-124p)
師匠らはペドファイルに怒っているわけでは全くなく、オタクを叩きやすいから叩いているわけでも全くなく、男性全体の性欲を根源否定しているだけでした(ただし、ぼくもよく知らんのですがAKBって結構露骨にパンチラしてるそうで、そういうのはちょっとどうなのかなあ……という気はします)。
もう一つ、敢えて論点を提示するのであれば、彼女らのオタクへの憎悪は「クールジャパン」的な認められ方にあるように思えます。碧志摩メグが騒がれたのもやはり、お役所の公認キャラであったことが大きい。こうした国家権力へのツンデレ的愛情もまた、フェミニストと「彼ら」との共通点と言えそうです。
*2 鹿児島県志布志市のPR動画で、スクール水着の少女をうなぎに見立てたとして炎上。てっきりうなぎのPR動画と思っていたら「ふるさと納税」のものだという。
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文章量が多いことに、自分で読み返して呆れました。
ということで、続きは明日か日曜に――。